インバウンドコラム

世界一に選ばれた観光列車の、共感を呼ぶブランド戦略『ななつ星への道』

2025.06.05

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『ななつ星への道

著者:唐池 恒二/ 出版社: PHP研究所

 

 

クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」は、どのようにしてできあがったか。どのようにして世界一になったのか。本書では、その謎が解き明かされる。「ななつ星 in 九州」のデザインを手がけた水戸岡鋭治氏による挿画が随所に配されており、ページを繰る時間が、より楽しくなる。旅に興味のある方に、ぜひ手に取って読んでいただきたい。

 

世界が認めた感動体験の裏側、観光列車「ななつ星」を成功に導いた5つの鍵

2021年から2023年の間、ななつ星in九州はコンデナスト・トラベラー誌で3年連続の世界一に輝いた。成功の5つの要素が、そのまま章立てのタイトルに使われているので、わかりやすい。それは「思い切り心ときめく車両」「『ほおぉうっ』とうなる物語」「誰も経験したことがない『おもてなし』」「わがままで傲慢な販売戦略とブランディング」「『変幻自在』の広報宣伝」の5つである。

この5つすべてに「氣」の力が宿っている。著者の唐池恒二氏によれば、「氣」とは、「もの凄い熱量と熱量がぶつかり合って生み出されたもの」だという。ななつ星の車内に満ち溢れた「氣」は、乗客の感動へとつながり、3泊4日の旅の中で、平均3〜4回は涙する場面に遭遇するそうだ。

「もの凄い熱量と熱量のぶつかり合い」の過程では、意見の対立も不可避だろう。実際にどのように意見が対立し、合意形成がなされたのか。本書から今回取り上げるのは、神社参道論を中心に進められた事例である。

 

神社参道論と世阿弥の美学、伝統文化が生んだブランド戦略

最高級の部屋とダイニングカー(食堂車)の距離について「便利だから近い方がいい」という意見と「歩く距離が長いほど気分が高揚するので遠い方がいい」という意見が対立した。唐池氏の主張は、後者で「神社参道論」を根拠とした。「神社は、参道が長いほどありがたみが増し、ある程度の歩く距離が気分の高揚につながる」という論理だ。議論の末、唐池氏の案が通り、現在は、DXスイートの乗客が車内を嬉しそうに歩く姿も見られるそうだ。

神社参道論は、世阿弥が説いた『序・破・急』に関連付けられ、ビジネスの場での応用も可能だ。「序」はテンポがゆっくりの導入部、「破」は変化に富んだ展開部、そして「急」で一気にテンポを速めてクライマックスへ。この感動を高めていくために有効な流れは、能楽や歌舞伎、浄瑠璃などの古典芸能はもとより、現代では映画やアニメの脚本、そしてビジネスのプレゼンテーションの場面でも多く活用されている。唐池氏は他にも、世阿弥の「秘すれば花」という教えも実践し、成功したと述べている。クラシックな豪華列車のブランディングと、伝統文化との親和性は高く、歴史に根差した奥深さが、ななつ星の魅力を増大させるのだろう。受け継がれてきた九州の職人技が結実して、車内の内装となっていく物語にも惹きつけられる。

あとがきで目を引くのは、鉄道デザインを担当した水戸岡氏の「唐池さんがいるだけで、いいんですよ」という言葉だ。チームとしての深い信頼関係を象徴する一言であり、本書で語られる信頼関係構築までの物語も興味深い。本書に溢れている鋭意努力の「氣」を、読者ご自身で感じ取っていただくことを願っている。

文: 全国通訳案内士 鈴木桂子

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