インバウンドコラム
3月末に閣議決定された「観光立国推進基本計画」なかの「インバウンド回復戦略」に「消費拡大に効果の高いコンテンツの整備」の項目があり、「アドベンチャー・ツーリズムの推進」に続いて「アート・文化芸術コンテンツの整備」が掲げられている。ここでは、30年近く前からの九州各地におけるその状況を振り返り、今後の可能性を考えていきたい。
芸術の文脈ですでに集客力がある日本のコンテンツ
先述した「観光立国推進基本計画」では、「世界から人を惹きつけるグローバル拠点の形成に向けた取り組み」として、アート・芸術文化の振興を強力に推進する意向が表記されている。具体的には、2025年度までに「国際的な拠点としての地位の確立」を掲げ、「国際的な芸術祭の活用」「地域の文化芸術の振興」や「芸術の観光への活用を推進する人材の育成」などが掲げられた。
芸術祭による観光振興でいうと、多くの方が思い浮かべるのが、「瀬戸内国際芸術祭」ではないだろうか。2010年から3年に1度、トリエンナーレ形式で開催されている現代アートの芸術祭だ。2019年の報告書によると、春・夏・秋の会期を通して、約118万人が来場している。また、アンケート集計結果から、来場者の内訳は、香川・岡山両県が38.6%、両県以外の国内が37.8%、国外が23.6%(台湾、中国、香港で約7割)となっており、中華圏からの来場者も多い。
瀬戸内国際芸術祭より10年早く、2000年に第1回目が開催されているのが「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」だ。2018年に取材したが、そのときも中華圏からの来場者が多く、また海外からのボランティアも参加し、交流人口が着実に増加していた。
里山の文化とアートで海外からの旅行者を魅了する「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」
外国人旅行者の集客力では、チームラボの各地での展開が挙げられる。東京・豊洲の「チームラボプラネッツTOKYO・DMM」には、2023年1月1日~2023年4月30日で訪日外国人50万人が来館したが、これは、来館者全体の6割を占めるという。大阪市の長居植物園に常設しているチームラボによる夜の野外ミュージアム「チームラボ ボタニカルガーデン 大阪」では、2023年4月の来場者の60%以上が外国人とのことだ。
九州でも、2015年にチームラボがライフワークとして佐賀・武雄温泉の御船山楽園で「チームラボ かみさまがすまう森」をスタートさせ、2023年で9回目。コロナ禍前の2019年当時は、台湾や中国など外国人旅行者をみかけた。武雄温泉は九州オルレのコースとして韓国人がきてはいたが、海外での認知度はまだまだでこれからといったところ。西九州新幹線の乗換駅もでき、相乗効果で海外からの誘客が見込まれる。
▲『チームラボ かみさまがすまう森』の展示『小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング』
他にもチームラボは世界各地で大規模な展覧会や常設展を行っており、それゆえ認知度も高い。最近では、2022年12月に、中国・北京で1万m²、高さ11mの最大規模のミュージアム『チームラボマスレス 北京』をオープンさせている。
▲チームラボ『質量のない雲、彫刻と生命の間』©️チームラボ
『チームラボマスレス 北京』の展示のひとつ
アートが地域振興もたらす効果は大きく、海外からの旅行者を呼び込む魅力的なコンテンツであることには間違いがない。
福岡xアート 30年以上前からアジアへの視点を培った歴史
それではここから九州の話に移ろう。約30年前、福岡のタウン情報誌「シティ情報ふくおか」で「アート」と「舞台」ページを担当し、編集者・ライターのキャリアをスタートした筆者は、専門性の高いこの2つの世界を伝えるために展示会や舞台に何度も足を運び、アーティストや学芸員や画廊オーナーに話をきき、悩みながら原稿を書いた。まだインターネットがなかった時代、紙媒体の情報が現場とファンをつなぐメディアであったため、集客への重い責任があることも痛感していた。
1990年、福岡ではまち全体を使ってアート作品を展示する「ミュージアム・シティ・天神(後にミュージアム・シティ・福岡)」がスタート。商業施設の中や、公開空地に作品が展示された。振り返れば、このプロジェクトは近年各地で盛んに開催されている「まちごとミュージアム」や「都市型のアートプロジェクト」の先行事例ではないかと思われる。
▲『ミュージアム・シティ・福岡1998 新古今』のタイ人アーティスト、ナウィン・ラワンチャイクンの作品。作家は、長年タクシーの運転手として働きながら、趣味のカメラで博多を記録していた人と出会い、彼の話と写真をもとに架空の映画の看板と、コミック本、ラーメンの丼を制作した。丼はインフォメーションである「情報茶店」で注文すれば、近所のラーメン屋さんがラーメンと一緒に出前をしてくれるというシステムで販売
さらに、福岡では、アジアのアートに注目し、アジアのアーティストを招聘するなどの交流が30年以上前から盛んだったと記憶している。
例えば、火薬を使った絵画やパフォーマンスで有名な中国のアーティスト、蔡國強氏が1991年に「ミュージアム・シティプロジェクト」が主催の「中国前衛美術家展」で倉庫の爆破を行った。シティ情報ふくおかの編集部での取材や打合せでお会いした際には単に「ああ、爆破のアーティストだ」と思ったものだが、彼は中国の現代美術の可能性を、福岡を通して伝えようとしていたのだと考えられる。2008年の北京夏季オリンピックでは、アーティスティックディレクターとして、北京市内を花火で縦断する演出などを手掛け、注目を集めるビッグネームになっていった。
1979年に開館した福岡市美術館では、当初から近代アジア美術をとりあげているし、1999年にオープンした福岡アジア美術館では、世界で唯一といわれる、アジアの近現代美術作品を系統的に収集し、展示している。
▲草間彌生『南瓜』1994年。同年、先述した「ミュージアム・シティ・天神’94 Fukuoka, Japan」で、草間彌生氏が初めて制作した野外彫刻作品
福岡アジア美術館では、1999年の開館当初から「アーティスト・イン・レジデンス(※1)」を行っている。1999年〜2021年まで、アジア22カ国のアーティスト106名、研究者50名(アジア以外から5名)、2022年度は3期に分け、国内外の8組のアーティストを招聘した実績がある。
※1 アーティスト・イン・レジデンス
招聘された国内外のアーティストが一定の期間ある地域に滞在し、制作やリサーチを行うこと。国内のアーティストが海外のアーティスト・イン・レジデンスに参加し、世界に羽ばたくきっかけを持つこともある
▲2023年2月〜3月に開催された「福岡アジア美術館 アーティスト・イン・レジデンスの成果展2022」で屋台研究を行う下寺孝典(タイヤ)が屋台職人とともに作った屋台
展覧会や芸術祭で招聘されたアーティストは作品制作を第一の目的にするのに対し、アーティスト・イン・レジデンスは、必ずしも作品制作を第一の目的にしない場合もある。ただ、いずれの場合も、ある一定期間その土地に滞在し風土や文化、地元の人々との交流を通して、刺激をうけ、それを今後の活動の中に活かしていく。演劇の世界も含めて、国内・海外を軽々と越えて相互に行き来し、交流を深めたり、交流人口を増加させることは、30年以上前から脈々と続いてきたといえる。
今改めて、その価値を認識し、観光や地域振興につなげる動きに注力すべきということだと思う。
※2023年3月11日に福岡アジア美術館でおこなったシンポジウム「九州AIR(アーティスト・イン・レジデンス)再考」の記録映像はこちら
筆者は当日受講し、今回紹介している美術館や施設、プロジェクトの活動状況や課題のヒントを得ることができた
様々な地域活性と連動するBEPPU PROJECTの活動
九州で「アート☓観光」を語るとき、BEPPU PROJECTを抜きにはできない。 2005年に、世界有数の温泉地である大分県別府市を活動拠点として発足。アートが持つ可能性を普遍化し、多様な価値が共存する世界の実現を目指すアートNPOで、ここでは紹介しきれない実に様々な事業を展開している。
事業には4つの柱があり、第一に「文化芸術振興」、第二に「アーティストの移住定住促進」、第三に「産業振興」、第四に「情報発信」を掲げている。
主な活動に、2009年、2012年、2015年に開催された、別府のエネルギーを世界に発信するような芸術祭「混浴温泉世界」やその後継企画としての「in BEPPU」などが挙げられる。
2009年の第1回開催時、湯けむりがあがる鉄輪温泉の道を、地上からの距離がわずか10cmほどしかないボードに腹ばいになって進んでいくビデオ動画を撮影。インスタレーションとしたジンミ・ユーン氏の作品と、記者会見の穏やかな表情の差異には度肝を抜かれたのをよく憶えている。
その他、「混浴温泉世界」では、様々な別府のアートイベントとも連携し、コンテンポラリー・ダンスや音のプロジェクトなどと相まって、独特の世界観を発信している。
2022年夏に開催された「塩田千春展『巡る記憶』」も、世界で活躍するアーティストが、展示する場のストーリーと記憶を紡ぐことで、非常に楽しく、圧倒的な展示に仕上がっていた。九州だけでなく、全国からの旅行者を集めていた。
▲塩田千春展『巡る記憶』新中華圏ビルでの展示。元中華料理店だった空き家に様々な器などが吊り下げられ、誰もみていないと人間不在のパーティーが始まりそうな雰囲気を醸し出していた
2022年10月からは、恒常的にアートを体験できるよう市内各所に作品を長期展示する「ALTERNATIVE STATE」をスタート。2023年3月からは、台湾出身のアーティスト、マイケル・リンが浴衣の花柄をモチーフにした大型壁画を地元の若手アーティストや学生らとともに制作し、歴史ある映画館「別府ブルーバード劇場」を備える「ブルーバード会館」の西側壁面を彩っている。
撮影:山中 慎太郎 (Qsyum!)©︎混浴温泉世界実行委員会
2つ目の柱である「アーティストの移住定住促進」では、2008年から別府の温泉文化のなかに息づく湯治のための宿泊形態「貸間」から名付けられた「KASHIMA BEPPU ARTIST IN RESIDENCE」を実施。2023年3月までに16カ国52組のアーティストが滞在した。また2023年1月からは別府市創造交流拠点「TRANSIT」の運営を別府市から受託し、 移住支援だけでなく、地域課題や企業のお困りごとを創造的に解決する人材とのマッチング業務などを手掛けている。
3つ目に「産業振興」、4つ目に「情報発信」を掲げているが、これらBEPPU PROJECTが手掛ける事業はすべて連関して、別府市や大分県の文化芸術を活性化する動きにつながっている。
BEPPU PROJECTが行っている事業の中で、観光の側面からさらにフォーカスしたい点が2つある。
1 アートツアーの実施
文化芸術振興の1つとして、アートガイドや地元のユニークな体験を行う事業者とともにアートを巡るツアーを行っている。大分県の国東半島での野外展示や作品をめぐるツアーを企画・実施している。
2 徹底的な効果の可視化
行政や実行委員会からの委託事業をうけている側面もあり、事業報告書では、来場者のカウントや属性(どこからきたか)、どれくらい消費したかなどの細かなアンケート分析がなされている。 アート展や作品自体の評価も大切だが、それがどれだけ地域振興、活性化に寄与しているかをここで検証できる。
福岡拠点のアーティスト「田中千智」の「宿」「伝統工芸」との共創
ここからは福岡市を拠点に活動するアーティスト・田中千智氏との取材の中から出てきた気づきを共有したい。
同氏の作品は、アクリル絵画を使った漆黒の背景に、鮮やかな色彩の油彩で、人物や風景が描かれている。これは、一見とても寓話的に見えるが、人物が浮かべる眼差しが観る者によって捉え方が変わり、いろんな想像をかきたてる。
▲田中千智|『先を見つめる人』|2022年 © Chisato Tanaka
3月には福岡市美術館で実施されていた「ホワイトウォールプロジェクト」の第一期を終えた。このプロジェクトは3年に1度、気鋭のアーティスト1組に壁画を用いた新作を依頼し、あわせて隣接する展示室で個展を開催するというものだ。
▲福岡市美術館のホワイトウォールプロジェクト。横13mの壁一面に広がる作品は2025年12月まで展示され、2024年1月、2025年1月に段階的に制作が行われる
今まさに新進気鋭のアーティストとして活躍している田中千智氏だが、 まずは宿泊施設の一室をアーティストの世界観で構成する活動に注目したい。
2017年、福岡県筑後市の100年続く宿泊施設「MEIJIKAN」のリニューアルに際し、4人のアーティストが筑後市に滞在して4つの部屋を制作したが、田中千智氏もその中の1人だ。「夜と旅人の部屋」と題し「夜と灯り」の絵画世界と筑後市や羽犬塚の街や史跡が溶け込む部屋があり、作家が挿画を担当した本で読書もできる。他3名の作家の部屋も同様に今も宿泊できる。1階にはアーティスト作品やグッズの購入、2階には筑後地方のアーティストの展覧会が見られるギャラリーがあり、宿全体が地域と宿泊者と作家をつなぐ拠点になっている。
▲宿泊施設「MEIJIKAN」の田中千智の部屋『よると旅人の部屋』(出典:MEIJIKAN)
2021年には、岐阜県美濃市「NIPPONIA美濃商家町」で、美濃和紙と田中千智の世界が融合した作品を、ギャラリーや美濃和紙を保存していた約100年の蔵を改造した客室にて、期間限定で展示した。約2カ月間の宿泊プランも好評を博したという。現在でも、ギャラリーでは美濃和紙とコラボした作品が展示期間に購入できる。
▲田中千智|『今日は寒い夜』2022年
▲田中千智|『冬の散歩道』2022年
「アート」と「伝統工芸」は、どちらも積層された時間や眼の前の空間を一瞬にして独特の世界に誘う魅力がある。両方が掛け合わされることで美濃の歴史と物語が象徴的に語られ、伝えられたのではないだろうか。
宿という旅人が過ごす空間で、アートがその空間と時間を彩る演出を行っている事例は増えてきたと思う。福岡市の博多駅近くにある「THE BASICS FUKUOKA」では、客室・ロビー・レストラン・ラウンジ、館内各所に、20人近くのアーティストの様々なアートを配し、1点1点がホテルを演出する大切なピースとして取り扱っている。
▲田中千智の絵が配されたTHE BASICS FUKUOKAの客室(左)と約5,000冊の所蔵を誇るロビーライブラリー(右)
アート作品が海外へ
今年の2月末から3月上旬に開催されていた福岡の岩田屋三越美術画廊の「田中千智展」に足を運ぶと作品の売れ行きは上々だった。旅行で福岡を訪れた韓国人が、M30サイズの大きな作品を購入したいとの申し出に、海外発送の方法がわからなかったため即答できなかったとも聞いた。アート作品や伝統工芸品は海外発送の料金も高く、作品の値段より高くなる場合もあるが、それでも購入したいと言ってくれる人は、価値を感じ、愛好者やリピーターになってくれる可能性が高い。
作品の販売に関しては、「アートフェア」も有効に機能している。世界各地で開催されている美術商が扱っている作品が一堂に会する現代アートの見本市は、マイアミや香港が有名だが、日本国内でも開催されている。2022年に福岡市で4日間にわたり開催された「アートフェアアジア福岡 2022」での売上総額は1億9241万764円(一部推計)を記録したという。私も足を運んだが、韓国などアジアの画廊からの参加もあり、コレクターだけでなく、一般の来場者も多かった。
2023年3月末に発表された観光庁「観光再始動」で採択されたなかに「国際的アートフェアを契機としたインバウンド旅行者向け高付加価値モデルルート創出事業」がある。アートフェアが旅行者を呼びこむ集客装置にもなりうるし、フェアを通して、アーティストが知名度を高め、世界に羽ばたくきっかけにもなりうる。
旅とアート 五感で感じる体験
中国を筆頭に投資対象としてのアート、高い価値を持つNFTアートなどビジネス面でも注目されている。アートをどのようにみるか、価値を考えるかは人それぞれだと思うが、ここでは、「旅」と「アート」の共通点であり、私自身がもっとも感動するポイントを挙げたい。
それは現場に行き、アートや旅先の空間で体験することこそが心を揺さぶり、人生を豊かにしていく充実感があるということだ。
特に、アーティストが滞在をして、その土地からインスピレーションを受けて制作した作品は、そこに込められている物語を知ると深く心に染みいり、また展示されている場が出す磁力(のようなもの)との融合により、さらに力を増す。 そこに行く前後や現場での地元の人との交流や歴史を体感することでさらに記憶に残るものになる。 行ってみないとわからない、心に刺さる何かが「旅」と「アート」の現場にはあると思う。
地域活性化にアートを活用する地域は今後もまだまだ出てくると思うが、アーティストは地域振興のために、作品制作や研究をするわけではない。あくまでもアーティストに寄り添う中で、良き形が形成されていくのではないか。
これを思う時に、思い出す美術館がある。熊本県葦北郡津奈木町に2001年に開館した「つなぎ美術館」だ。
人口約4300人の津奈木町が運営する公立美術館で、水俣病からの地域再生と魅力ある文化的空間の創造を目的に1984年に始まった「緑と彫刻のある町づくり」の理念をもとに、地域活性化や公立美術館の社会的役割を模索している。都市部から離れた地域でのアートと美術館を基軸にした交流の象徴的な場だと思う。
2014年からはアーティスト・イン・レジデンスのプログラムがあり、個展の開催と、ここで制作した作品の収蔵を成果としている。また、事前に住民説明会を開いてコミュニティと連携をとり、住民参加のワークショップなどを開催。スタジオの代わりに屋外、廃校や美術館のアトリエで創作活動を行っている。レジデンスプログラムと並び、住民参加型アートプロジェクトも実施され、海と山がある過疎の地域で、様々な作品制作やパフォーマンスが展開されているのだ。
地域の交流拠点に「アート」を置くこと、旅先として行きたくなる美術館とはなにかを象徴していると思う。
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