インバウンドコラム
コストを無視したギャンブル的な激安ツアーの横行
2011年7月1日からスタートした中国人向けの個人観光マルチビザの発給は、従来に比べてかなり大胆な緩和策です。初回の訪問時に沖縄県を1泊以上滞在することを条件に、有効期間の3年間何度でも訪日でき、1回の滞在期間は最長90日間。しかも対象者の「2親等までの家族」の発給を認めているからです。日本側は中国の高所得者層の訪日を親族まで含めて促進する効果を期待していますが、中国側からすれば、長年の懸案だった日中両国のビザ協定をめぐる不平等の解消を不十分ながら一歩前進させたものと言えるでしょう。
その後、外務省から正式な発給数は公開されていませんが、関係者らは一様に順調に伸びているといいます。ただ今回の緩和措置に関して、なぜ最初の訪問地が沖縄なのか(なぜ北海道ではなかったか)という声があることや、外務省のプレスリリースのいうように「これにより沖縄県を訪問する中国人観光客が増加し、沖縄県のさらなる観光振興につながる」(2011年5月28日)のかどうかは、今後の推移を見ていく必要がありそうです。
もっとも、訪日旅行者数の増減や観光ビザの発給数が行政機関の事業成果や評価基準のようにみなされるのだとしたら大いに疑問です。大局的にみれば、すでに韓国、台湾、香港などでノービザ化が実現している以上、中国本土客への限定付き適用(国情の違いゆえまったく同じことは不可能だとしても)は時間の問題かと思われます。むしろこうした日本政府の措置が今日の中国のビジネス界や旅行者の動向に実態面でどう現れてくるかについてもっと注目すべきでしょう。
「日本はお金をかけて旅行に行くような国ではない」
というのも、10月下旬に北京を訪ねたぼくの耳に入ってきたのは、マルチビザ解禁後の中国人の沖縄ツアーの現状に対する懸念の声ばかりだったからです。日本の関係者だけでなく、中国側の旅行関係者らも同じ意見でした。それはこういうことです。
「沖縄ツアーの安いイメージがこれ以上先行されては困る」
ビザ緩和をビジネスチャンスとみた海南航空の北京・那覇線が7月28日、初就航しました。同社はいま中国の航空業界で最も勢いがあるとされるエアラインです。ところが、ツアー販売を独占したのは、海南航空傘下のcaissa社でした。ここは欧州方面のツアーを中心に、ツアー価格の12回分割払い料金を載せて目を引くというメディア広告で伸びてきた激安系。沖縄4泊5日ツアーの料金はわずか4000元(約5万円)。本来なら市場を一社が独占すれば価格は高止まりすると思いきや、中国ではそんな常識は通じないようです。わずか週数便のフライトですし、今後は中国国際航空などの新規就航で市場の開放が進むのでしょうが、問題は最初の時点で沖縄に激安ツアーの烙印が捺されてしまったことです。
受け入れ側の沖縄県の実情を確かめていないぼくからは、これ以上ふみ込んだことはいえませんが、「これではまた”同じ轍”をふんでいるのではないか」という失望が、少なくとも中国側の旅行関係者からひしひしと伝わってきます。
“同じ轍”とは何か?
それは、中国の旅行会社が催行するコストを無視したギャンブル的な激安ツアーの横行と、その常態化によって市場が荒れてしまうことです。
そもそも震災後、中国からの日本ツアーの価格が末期的状態に陥っているのは、インバウンド関係者の多くはご存知でしょう。5月から6月にかけて集中的に打ち出された市場回復のためのキャンペーン料金で、いったん東京・大阪5泊6日3000元(約4万円。もちろん、航空運賃、ホテル、バス、食事、ガイド代すべて込み)にまで転落してしまったことで、夏以降従来の価格にしても客は戻ってこない。国慶節で中国からのツアーが回復しなかった理由はいくつも考えられますが、相場観の下落が大きいことは確かでしょう。
何より恐ろしいのは、中国の高所得者層の間で「日本はもうお金をかけて旅行に行くような国ではない」とささやかれ始めていることです。日本のインバウンド関係者らが主力を向けて取り込みたいはずの中高所得者を中心とした中国個人ビザ客の認識が、もしこのように日本を低く見積もる傾向を強めているのだとすれば、今後大きな障害になることが予測されます。中国人の日本ツアーの激安化は、日本というバリューの地盤沈下を結果的に広めてしまい、そこにいちばん大きな問題があるのです。単に訪日旅行者数が増えたと喜んでいればよかった時代はもう終わったと認識すべきでしょう。
それにしても、なぜこんなことになってしまったのか。何ごとも背景と経緯があります。それを語る前に、あらためて実態を総括しておきたいと思います。
悪質な車内販売と契約免税店への連れ込み
ここ数年ぼくは、日中両国のインバウンド関係者へのヒアリングやツアーの同行取材、主要な観光地、ホテル、お土産屋、飲食店などへの取材を続けてきました。なかでも中国人ツアーの内実をいちばんよく知っていたのは、日本滞在中の大半を占める移動を客と一緒に過ごすバスの運転手さんでした。彼らは一部始終を目撃しているからです。
これまでのヒアリングや同行取材を通じて見えてきた中国人の日本ツアーの特徴を挙げると、以下のとおりです。
①食事はいつもバイキング
②バスの中ではもっぱら車内販売
③オプション買わなきゃ置き去り
④キックバックを原資としたコスト構造
それぞれ簡単に説明しましょう。まず①はツアー中の食事の話ですが、運転手さんに聞くと「ほぼ連日バイキング」だそうです。「たまに回転寿司やしゃぶしゃぶの店にも行くけど、予算がないから食べ放題メニュー。子供連れの家族ならいいけど、ツアー客は50代が多いんだから、もっとマシなものを食べさせてあげればいいのに」と感じるようです。
一般に中国の人たちは日本の会席スタイルより、中華料理と同じように自分が好きなものを好きなだけ食べられるバイキングを好んでいるとも聞きます。問題は「オプションといって、事前に注文をとってズワイガニや和牛などに法外な追加料金をとること。これがクセモノで、ひどいときは2000円くらいの刺身盛りを1万円とか平気で取っている」。なんだかひどい話ですね。しかも、中国人ツアーが食事に連れていかれるのは、中国系の店が多い。実はぼくも一度銀座で見かけたツアー客が某北海道料理店に入っていくので、後を追ったら(酔狂ですいません。これも取材です)、フロアと厨房にいたのは全員中国人スタッフでした。ツアー客の皆さんは食事の前に大きなズワイガニを両手に持って記念撮影。とても和やかでしたけど、これが中国人の日本ツアーの実情なんだなと思ったものです。
ここまでは苦笑いですむ話かもしれませんが、②の「バスの中ではもっぱら車内販売」以降はちょっとシリアスです。運転手さんは声を荒らげてこう言います。「バスが走り出すと、すぐに車内販売が始まる。観光案内はそこそこにしてガイドが客にあれこれ売りまくる。その売り物がとんでもない。日本じゃ見たことのないようなバッタモンを1万円とか2万円で売っている」。
もう3年前の話ですが、こうした悪質な車内販売に加え、特定の契約免税店への連れ込みの実態が、都内で発行されている在日中国人向け週刊新聞『東方時報』2009年6月25日で報じられ、中国の大手メディア『北京法制晩報』にも転載されたため、日本ツアーの内情と悪評が中国全土に広まり、大きな反響を呼んだことがあります。もともとこれはだいぶ前から中国人の香港や東南アジアツアーで問題となっていたことですが、日本でも同様のことが起きてしまっていたのです。
ツアー中に客を置き去りというありえない世界
③の「オプション買わなきゃ置き去り」になると、もう義憤を覚えてしまうような話です。先ほど食事の話で出てきた「オプション」ですが、これが観光にも適用されるのです。たとえば、富士山5合目は人気スポットですが、ツアー客をバスでそこまで運ぶのにガイドは1名3000円相当の追加料金を要求するといいます。もし払わなければ、その客だけバスからわざわざ降ろして麓に置き去りにする。日本人の感覚ではありえない世界ですが、その置き去り場所として有名なのが、富士ビジターセンターだそうです。
「ここで3時間待ってろ、とガイドは客に言う。そこは無料施設だからカネはかからないけど、とても見ちゃあいられない。『乗せてやんなよ』って俺は言うんだけど、ガイドは『いいから』と」。さすがに運転手さんもこればかりは許せないと感じたそうです。
なぜガイドたちはここまで非情にならなければならないのか――。その理由が④の「キックバックを原資としたコスト構造」にあるのです。
日中の関係者の証言をまとめると、真相はこうです。中国で一般に販売される「ゴールデンルート」と呼ばれる東京・大阪5泊6日のツアー代金は震災前でも5000元(約6万円)相当。ところが、中国側の旅行会社から日本国内の手配をするランドオペレーターに渡るのは往復航空券代と営業利益を差し引いたせいぜい2000元(約2万5000円)といいます。これだけで滞在中のホテル代やバス、食事、ガイド費用を支払えるはずがなく、その埋め合わせのためにガイドによる「オプション」販売と車内販売、さらには契約免税店への連れ込みが必要となるわけです。つまり、中国人の日本ツアーはガイドによるキックバックを原資に成立しており、その背景には中国側でツアー客を集客する旅行会社のコストを無視したギャンブル的なビジネス体質があるといえます。
他にも言い出したらキリがありません。日本に観光に来ていながら、食事も買い物(契約免税店)も中国系経営店で。パンフレットではホテルは東京とうたっていても実際は幕張や成田、箱根とあっても石和温泉や河口湖周辺というのは当たり前。別の回で詳しく触れますが、このシステムを支えるガイドもきわめてグレーな存在です。
これらの実態から、ぼくはこう結論せざるを得なくなりました。
「中国人の日本ツアーはメイド・イン・チャイナである」。
※さらに詳しい実情や背景に関して、今年2月に刊行した以下のムックに書いています。
「ツアーバス運転手は見た!
悲しき中国人団体ツアー
押し売り、キックバック、置き去り……訪日中国人旅行の驚くべき実態!」
『データでわかる日本の未来 観光資源大国ニッポン』(洋泉社MOOK)
http://www.yosensha.co.jp/book/b82418.html
最大の犠牲者は中国のツアー客
これまで他人事のように中国人の日本ツアーの内情を明かしてきましたが、実際にこれが起きているのは日本なのです。同じ問題はアジア各地で2000年初め頃から始まり、日本に飛び火したわけですが、中国で販売されているヨーロッパ行きツアーの価格帯を見るかぎり、当然彼の地でも同じことが起きていると考えられます。
ここで我々が考えなければならないのは、中国の旅行会社のコストを無視したギャンブル的なビジネス体質の最大の被害者は誰かということです。それは中国のツアー客自身でしょう。
こうした事情を知るだけに、ある在日中国系インバウンド業者の知り合いは「自分の友人や親族には絶対中国の旅行会社のツアーはすすめない」と話してくれたほどです。
これでは「日本はお金をかけて旅行に行くような国ではない」と言われても仕方がないではありませんか。
こんな「安かろう悪かろう」ツアーが常態化したままでは、いくら訪日旅行者数が増えても誰も報われない。その現実からどう脱却すればいいのか。いったい日本を「安かろう悪かろう」の国にしてしまったのは誰なのか? それは中国の旅行会社だけのせいなのか。
次回はなぜこんなことになってしまったかについて、検討していきます。
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