インバウンドコラム

第1回 震災は点検の絶好のチャンス!

2011.08.18

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最初に質問です。中国からの訪日団体ツアーが初めて来日したのは、いつのことだったかご存知でしょうか。

中国人団体観光ビザが解禁された2000年9月のことです。それから10年という節目を迎え、さらなる飛躍に期待をふくらませたインバウンド関係者をどん底に突き落としたのが、昨年9月の尖閣諸島沖漁船衝突事件であり、3.11東日本大震災でした。

この10年間、日本と中国を往来しながらインバウンドの現場を訪ね歩いてきたぼくも、まるでドラマの世界にでもいるような衝撃と徒労感を味わうことになりました。

しかし、だからこそ思うことがあります。潮が引くようにツアー客が去ったいまこそ、中国インバウンドの中身を点検するための絶好のチャンスではないか。

いったいこれまで我々は何をやってきたのだろうか。どんな目標を掲げ、成果はあったのか。見直すべきことはないのか。もちろん多くの方がそう自問されてきたことと思いますが、これらの問いにどれだけ明確に答えることができるでしょうか。

この連載では、中国インバウンドのさまざまな現場を、中国側、日本側の実情を対比しながら点検していきたいと思います。少々辛口ですが、前向きに意見していくつもりです。

 

日本の観光案内は読まれているか

中国の旅行会社では、一般消費者を接客するカウンターがない店舗も多い

第1回は、中国語の観光案内パンフレットの点検です。日本政府観光局をはじめ全国の自治体、商工会議所、観光協会、小売店、商店街、さらには出版社やコンサルティング会社などが独自に広告クライアントを集めた小冊子や地図、フリーペーパーが、この数年間膨大な量発行されました。当初は日本人向けに作られた地図を中国語に翻訳しただけのものが多かったのですが、最近では外客向けにオリジナルに作られたものも増えています。

はたして、これらは実際の中国人訪日客に読まれているのでしょうか?そもそも本当に彼らの手に渡っているのか?

結論から言うと、残念なことですが、ほとんど読まれていません。
なぜなのか。

ぼくの事務所では中国の旅行ガイドブックを制作している関係で、多くの現地旅行会社と提携しています。この10年で彼らのビジネスの比重が、インバウンド(日本人の訪中旅行)からアウトバウンド(中国人の訪日旅行)へと急転換していくプロセスを見てきました。中国の旅行業界で日本市場のビジネスモデルがインからアウトに大きくシフトしたのは、地域によって時間差がありますが、概ね2007年頃だったのではないかと思います。

そんなわけで、ぼくはよく中国の旅行会社の店舗を訪ねるのですが、カウンターに日本のパンフレットが置かれていることはほとんどありません。そういうと、「そんなはずはない。うちでは各社に置いてもらう約束で毎回送っている」と反論する方がいるかもしれません。でも、実態は違います。ある旅行会社のスタッフがこう打ち明けてくれました。

「数年前より日本各地から大量に中国語資料が届くようになりました。最初はありがたかったのですが、いまでは多すぎて置き場所がないほどです。そのため、一定期間を過ぎると使いようのない山のような資料を処分している」
と申し訳なさそうに言うのです。

なぜこうなってしまうのでしょうか。以下の3つの理由が考えられます。
①中国の旅行会社ではカウンター販売は一般的でない
②日本のパンフレットはセールスツールとして使えない
③中国人は情報誌の読み方を知らない

 

未成熟なのにオンライン旅行50%超の市場

日本ではレジャーシーズンが近づくと旅行会社のカウンターに消費者が並ぶ光景が見られますが、中国ではいわゆるカウンター販売はそれほど一般的ではありません。ツアー商品の売られ方が日本とは同じではないのです。この認識は重要です。それは日中における旅行市場の発展のプロセスが異なるためですが、中国の消費者は旅行会社がツアー商品の中身を懇切丁寧に説明してくれるなどと期待していません。中国で海外旅行が一般化したのはたかだか10年、旅行会社のスタッフは海外事情に精通しておらず、単なる販売員です。インからアウトへの転換に人材育成が追いついていないのです。

その一方で、オンライン旅行販売率は50%を超える勢いです。後の回で説明しますが、中国では消費者、業界ともに未成熟なままオンライン化が進んだことで、かえってツアー商品の多様化、差別化を阻んでいる面があります。商品の中身が豊かになる前に、不条理ともいえる料金競争に突入してしまったのも、こうした事情に起因しています。

紙媒体とネットを組み合わせた多様なチャネルを使って旅行情報を消費者が手に入れるという日本で日常化した光景を中国で期待するのは無理というものです。せっかく作った中国語の観光案内が旅行会社のスタッフから中国の消費者の手に直接渡ることがほとんどないのはそのためです。せめてセールスツールとして使いやすければ、中国の旅行会社のスタッフも活用しない手はないと考えるのでしょうが、実態はそうではない。日本側の作る観光パンフレットの多くは、日本の消費者(中国のではない!)の嗜好に沿った実用ガイドに偏っています。これでは旅行先を決める前の段階で使えない。その豊富な情報を享受できるほど、大半の中国の消費者は日本の事情を理解しているわけではないからです。

 

中国人は情報誌の読み方を知らない

さらに致命的なのは、そもそも中国の消費者が日本の過剰に洗練された情報誌の読み方を知らないという事情があります。限られた2次元のスペースにたくさんの写真と細かい情報がぎっしり書き込まれた、たとえば「東京ウォーカー」や「るるぶ情報版」のような情報誌を読んだことがないのです。だから、仮に中国客が日本のパンフレットを手にしても、どこからどう読めばいいのかわからない。掲載店舗のありかを探すために別ページにある地図を参照するという情報誌の基本的な約束事を知らないのです。しかし、彼らはネット通販の口コミサイトなら使える。ピンポイントの店舗や商品情報はわかるのです。

それは端的にいうと、彼らが「エイビーロード」を知らないままネット時代を迎えたことを意味します。このすでに休刊した情報誌の存在は、多様な商品の中身を詳細に比較検討できることで日本の海外旅行シーンの成熟化に大きな役割を果たしました。一方、中国の消費者はこうした比較検討メディアの時代を経験することなく、ネット時代に突入しました。おかげで我々の知っている情報化のプロセスがすっぽり抜け落ちているのです。

 

中国で今人気の旅行ガイドブック。「食べる」「遊ぶ」「買う」に分かれた構成だが、写真が大きく、文字は少ない。このくらいの感じがいいらしい

そのことは、中国の書店で売られる旅行ガイドブックの中身を点検するとよくわかります。ここ数年、ぼくは中国の海外旅行書籍の変遷をつぶさに眺めてきましたが、現状では(あくまで日本との比較ですが)驚くほど稚拙な内容といわざるを得ません。ある出版社の担当者に中国のガイドブックを見せたことがあるのですが、彼は「トータルなデザインもそうだし、実用書としての機能性や体裁の不備など、真っ赤になるくらい赤字を入れたくなる」と感じたようです。確かにプロの目から見れば、日本の30年前の表現力です。それが中国の消費者の目線であることを我々は理解しなければならないのです。

 

情報の絞込みと手渡す手間をかける

ではどうすればいいのでしょうか?

まずはパンフレットの中身を総点検しなければならないと思います。そこに書かれた情報が使えるかどうかは、利用者がどういう観光形態や行動パターンを取るかによります。初来日の団体ツアー客に日本の情報誌を手渡しても活用できません。彼らに見合った情報の絞込みが必要です。

そのためには、中国の旅行会社にヒアリングがもっと必要です。彼らがほしいのは、どんな情報なのか。もしセールスツールにするなら、どんな内容のものが有効なのか。

ある北京の旅行会社のスタッフは、「文字は少なくていいので、写真を大きくしてほしい」と言います。「中国のお客さんは日本のことを何も知らないので、地図を見せてもよくわからない。ひと目で見て、ああ行きたいと思えるような美しく印象的な写真が大きく載っていると、彼らの目を引くし、セールスにも使いやすい」からです。

我々が中国のガイドブックを見たときに感じる「こんなもので満足できるのだろうか?」という”ゆるさ”を逆に参考にすべきでしょう。求められているのは、多彩で細かい実用情報ではなく、彼らの心をつかむ厳選されたキラーコンテンツなのです。

我々は紙媒体を作ると、つい何かを成し遂げたような気になりがちですが、それがきちんとターゲットの手に届くかどうかも点検しなければなりません。現状のパンフレットのままでは旅行会社経由でツアー客の手に届かないのだとすれば、旅行会社のニーズに沿ったセールスツール用の内容に作り変えるべきでしょう。旅行会社のスタッフに何らかのインセンティブを与えるようなしくみも必要かもしれません。あくまで消費者に届けたいなら、出発前のツアー客に空港で直接手渡しするという算段も考えるべきでしょう。そこまで手間とコストをかけないと、紙媒体を作る費用対効果は望めないのです。

これらのパンフレットの多くは、ホテルや小売店などインバウンド関係者の捻出する広告料や自治体の予算から発行されているはずです。であればこそ「来てもらいたい」側と現在の中国側のニーズがどこまでマッチしているか念入りな検討が必要です。世間でよくいう「中国の市場を理解する」とは、こうした現場の具体的な点検をふまえて初めていえることなのです。次回は別の現場に移ります。

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