インバウンドコラム

withコロナの観光業を救う10のキーワード Vol.7「ニューマーケット」を狙う 世界の観光地がとるマーケティング戦略

2020.09.04

村山 慶輔

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2020年4月、JNTO(日本政府観光局)は、訪日プロモーションの重点地域として中東地域と中米・メキシコを、準重点市場として北欧地域とブラジルを新たに追加した。

1人あたりのGDPで上位に入る北欧地域はさておき、中東地域やメキシコ、ブラジルを訪日プロモーションの対象に加えている点に注目したい。経済成長の最中にあるこれらの国を狙う理由は、後述するイノベーターやアーリーアダプターの獲得によって、来るべき大きな市場の獲得につなげていくことにあるだろう。同様の理由から、今後は南アジアのインドやアフリカのナイジェリアといった人口の多い国も、無視をするわけにはいかない。実際、2018年のデータで年間2600万人が海外へでかけているインドからは、すでに約17万人が日本を訪れている。
本稿では、インバウンドのニューマーケットともいえる、第三世界からの観光客について、マーケティングのあり方とビザ発給緩和の側面から検討していきたい。

 

ニューマーケットを狙うべき理由

マーケティング理論のひとつとして、「新たなサービスや商品を普及するにあたり重要なのは、冒頭で記したイノベーターやアーリーアダプターをいかに惹きつけるかである」という考え方がある。流行に敏感で影響力を持つ彼らをファンにすることで、潜在的なマジョリティ層の獲得につながるからだ。

もちろん、初期市場であり商品の信頼性よりも新規性を重んじるイノベーターやアーリーアダプターと、メイン市場であり商品の新規性よりも信頼・安定性を求めるマジョリティ層の間には、キャズムと呼ばれる大きな溝がある。したがって、イノベーターに対してはいかに新鮮な商品であるかを伝え、アーリーアダプターには商品にアクセントを与えることで、自己承認欲求を満たすようなレビューやSNS投稿を促さなければならない。それらによって一定の信頼を集めたうえで、マジョリティ層が持つ個別の興味関心に合わせて最大公約数的な打ち出し方をする必要があるということだ。

また、こうしたマーケティング理論を引き合いに出さずとも、昨今のインターネットによる情報化社会では、口コミが大きな意味を持つことに異論を挟む余地はない。たとえば、あるインド人が海外旅行の目的地を探している場合、すでに海外旅行をしたことがあるインド人による口コミが最大の決定要因になる。

当然、彼らにとっては、外国人の口コミよりも同国出身者の口コミのほうが信頼できる。だからこそ、国際観光の黎明期や萌芽期の段階にある、言い換えれば、現段階ではまだ大きな市場に成長していない国や地域(ニューマーケット)に対するアプローチを怠ってはならないのである。

 

新規性を重んじる客層と、流行に敏感な客層を獲得するには?

では、国際観光において、新規性や革新性を最も重んじるイノベーターを獲得するにはどうすればいいか。

ひとつは、熟成した市場における訪日経験者(リピーター)のニーズを当てていくことが考えられる。たとえば、海外旅行好きが多い香港市場において、訪日経験が10回以上ある人がもつ興味や意思を反映させるのである。具体的には、地方特有の郷土料理やB級グルメ、秘湯といった日本人旅行者と同等かそれ以上にディープなコンテンツである。

あるいは、富裕層を狙うという方法もあるだろう。イノベーター=富裕層と捉えることは、100%正解ではないが、かなり高い確度があり、したがって顧客に富裕層を抱えるエージェント(旅行代理店)へのアプローチが効果的である。

 

スペインのコスタ・デル・ソル観光局が新興市場向けにとる戦略

たとえば、スペインのコスタ・デル・ソル観光局は、2020年のアクションプランのなかで、新興市場の獲得に向け、ニューデリー(インド)のSatte、テルアビブ(イスラエル)のIMTM、ドバイ(UAE)のATM、ベルゲン(ノルウェー)のRoutes、シンガポールのILTMといった見本市への出展の予算を割り当てていた。コロナ禍によってこれらは計画どおりとはいかなくなっているが、新興国の富裕層を獲得する意思がはっきりと見えてくる。

加えて、同観光局は、中東エリアでトップクラスの生活水準をもつサウジアラビアを対象に、リヤド、ジェッダ、アルコバールの3都市、約200の旅行代理店に対して、ワークショップ形式のB2Bアクション、夕食会でのプレゼンテーションとネットワーキングで、観光地のラグジュアリーなオファーを紹介したようだ。

 

トルコがインド市場のアーリーアダプター獲得を目指して行ったPR

情報感度が高く、流行に敏感だといわれるアーリーアダプターを獲得したいのならば、エッジの効いたメディアへの露出や、コアなファンを持つ有名人やインフルエンサーを活用したPRが有効だ。

たとえば、観光大国の1つであるトルコは、2019年にボリウッドスターのJacqueline Fernandez、インドの有名な歌手で俳優のHarrdy Sandhu、ブラジルのテレビ司会者、女優、歌手のEliana Michaelichen Bezerraなど、数名の有名スターを招待している。

トルコの観光は、同国文化観光省のデータによると、2019年に過去最高の年をむかえ、外国人観光客の数は前年比14.31%増の4290万人に急増したようだが、さらなる成長に向け、ニューマーケットへの進出も画策している。文化観光大臣であるMehmet Ersoy氏は、地元新聞社のインタビューに対して、「ポーランド、ルーマニアなどの中・東欧の新興経済国も新たな注目市場に含める予定だ」とも語っている。

 

自分らしさを表現できる〝余地〟が、自己承認欲求を満たす

ただし、アーリーアダプターは、自ら情報を収集し、将来性やなんらかのメリットを感じた段階で動き始める層であるため、手取り足取りの手厚い情報を提供するというよりは、やや概念的・抽象的な伝え方のほうがいいだろう。

アーリーアダプターには若者が多いことを考慮するならば、〝自分らしさ〟を表現できる余地を残すべきだ。ただ、単にコンテンツを紹介する、転載するだけでは、彼らの自己承認欲求は満たされないからだ。繰り返しになるが、いかに「そのコンテンツを使って自分らしい表現を作り込めるか」が鍵となる。

ひとつ、よい事例がある。3年に一度開催されるアートプロジェクト「越後妻有アートトリエンナーレ」で作品化され、恒久作品として残されている「Tunnel of Light」(マ・ヤンソン/MAD アーキテクツ)だ。同作品は、中国出身の建築家マ・ヤンソンと建築事務所MAD アーキテクツによるもので、全長750メートルのトンネルを潜水艦に見立てており、見晴らし所とパノラマステーションを有している。この清津峡渓谷の風光明媚な景観を活用した現代アートは、単にアート作品として優れているだけでなく、季節や時間、天気といった自然の移り行きで表情を変えながら、人が映り込むことで、よりオリジナルな写真を作り出すことができるという点で、観光客を新潟県の最南部エリアに訪れさせる動機を与えている。

 

旅先での余白がオリジナリティを生み出す

〝奇跡の絶景〟ともいわれ、数多くの外国人旅行者を魅了するボリビアの「ウユニ塩湖」も、単純に風光明媚なだけでなく、自己表現をする余地のあるスポットであることも強みである。つまり、旅行者自身がその風景に映り込むことで、オリジナルの作品を作ることができるということだ。

ニッセイ基礎研究所の研究員・廣瀬涼氏も、若年層市場に関するレポートのなかで、次のように書いている。

「その商品を消費することで自分ならどのようにその商品を消費し、表現することができるかという『モノ消費に見えるコト消費』によって自分らしさを追求している。この自分らしさの追求の結果アウトプットされたものは、個人の作成した唯一無二のオリジナルなのである。(中略)そのため、他人から影響を受けて購買をしたとしても、消費結果としてオリジナリティのあるものを生み出すという思考があるため、自分の意思で購買し、自分が購買行動の意思決定を行ったと考えている」

 

世界が注目するインド市場の可能性とアプローチ事例

ニューマーケットにおける最大の注目国についても触れたい。

それは、2016年より既に日本のビジットジャパン重点市場にもなっているインドである。同国の出国者数は、2000年には442万人であったが、2018年には約6倍の2630万人に膨れ上がっているという。同国の人口は、2027年を目処に中国を抜き、世界一になると考えられており、経済成長もあいまって、世界中の観光地が獲得に乗り出している。

そこで、インド市場に目を向けるいくつかの国の事例を紹介しよう。

スイスにおけるインド市場

一年を通じてインド人を誘客しようと考えているのはスイスである。サンモリッツ、ツェルマット、エンゲルベルク・ティトリスといった観光地では、ウィンタースポーツ(スキー、トボガン、スノーチューブ)を目的に若いインド人旅行者が増えているが、冬以外でも、季節や年齢層を問わず、多くのオファーを提示することで、インド人旅行者はスイスを目的地として選ぶ傾向が強まっているようだ。

在印スイス観光局の副局長Ritu Sharma氏は2019年に「インドの旅行者が、家族全員が楽しめる365日の旅先としてスイスを見るようになってきていることに、私たちはとても満足しています。今年(2019年)、ランヴィール・シン(インドの人気俳優)と一緒に行ったキャンペーンや『グランド・トレイン・ツアー』のキャンペーンは、スイスが提供する新しい未踏の体験やデスティネーションをすべて見ることができ、視聴者に大変好評でした」と語っている。

タイにおけるインド市場

東南アジアでトップを走るタイも、インド人旅行者の新たな可能性を見出している。インドから同国への訪問者は、2019年に前年比で22%増の190万人にのぼっている。

米国発の総合不動産サービスの大手・JLLホテルズ&ホスピタリティでアジア太平洋(APAC)地域の副社長を務めるPitinut Pupatwibul氏は、インド人観光客増加の背景として、バンコク、パタヤ、プーケットなどタイのホットなバケーションスポットへのインドからの直行便の増加があると指摘する。さらに同氏は「インド人旅行者のためのビザ免除プログラムはもう一つの後押しとなっている」と加えたうえで、次のように続ける。「10年前に中国のツーリストに起こり始めたものに似ている」

いまや、中国人の海外旅行者は、世界中の観光地に訪れており、良くも悪くも大きな影響力を持っている。それと同じことが、インド市場でも起こる可能性を彼女は指摘しているわけである。そして、タイが行っている具体的なアクションについては、「到着時のビザの免除、プロセスを合理化するために採用されているブロックチェーンビザについての協議、国際線の空港使用料の削減など、いくつかの努力が行われており、これらはポジティブなステップだ」と言及している。

韓国におけるインド市場

韓国も、インド人観光客を求めて、マーケティング活動を画策している。

韓国観光公社のジョン・スール・クォン氏は「BW HOTELIER」のインタビューに対して、「インド市場での認知度向上に向けては、観光・貿易セグメント向けの一連のウェビナーを通じて、安全でリニューアルされた旅行体験を含め、韓国が提供するすべてのものを十分に認識してもらうことで、インド市場での存在感をさらに高めていきたいと考えている」と答えている。

具体的には、コロナ禍によって落ち込んだ旅行マインドを掴むために、新しい消費者向けキャンペーンである「#TakeMeBackToKorea」を開始し、デジタル化を進めたいとしている。同キャンペーンは、世界の観光客はもちろん、インド全土の人々に向けても、韓国旅行の美しさとユニークさを再認識してもらうことをコンセプトにしているそうだ。

ブラジルにおけるインド市場

観光産業に力を入れているブラジルも、インド人旅行者を獲得しようと策を講じている。そのひとつが、観光やビジネス目的でブラジルを訪問するインド人に対して、ビザ不要の措置を取るというものだ。

こうしたビザ発給要件の緩和は、観光を後押しするだけでなく、経済にも有益である。政府の報告書によると、ブラジルには約5千人のインド人が住んでおり、サンパウロ、リオデジャネイロ、マナウスでは、密接に結びついたインド人コミュニティがある。また、両国はBRICSやG20、IBSA(India、Brazil、South Africa)といった枠組みで、多面的な関係を築いている。ブラジル政府は、ビザなしでの入国を許可することで、ブラジルをインドの観光・ビジネスのプレミア・デスティネーションとしてアピールすることを目指している。

 

有事の際のリスクを軽減するためにも、ニューマーケットの開拓は不可欠だ

観光庁の過去の訪日客に関するデータを見てもわかるとおり、特定国からの訪日客を増やすためには、ビザ発給要件の緩和と、それにともなう航空路線誘致戦略が欠かせない。そうした日本を訪れる際のハードルを取り払ったからこそ訪日中国人の急増を生んだことは、記憶に新しい(もちろん集客やマーケティングも不可欠であるが)。

日本とインドを結ぶのは、デリーやムンバイといった2大都市への直行便だけではない。インド系住民が多数いるシンガポールやマレーシアを経由すれば、それ以外の中核都市との往来も、さまざまな活用の可能性が見えてくるだろう。

たとえば、南インドの人口700万を誇るチェンナイからマレーシアに渡った移民のインド(タミル)人が少なくない。すなわち、日本を訪れる〝ついで〟としてマレーシアに住む知人や親戚、ビジネスパートナーと会うといったオプションも十分に考えられる。

インド人に対しては、外務省は2019年1月1日より、「①数次ビザの発給対象者の拡大(90日・5年)(過去3年間に2回以上の訪日歴に対し、他の要件なしに数次ビザを発給する」「②数次ビザの申請書類の簡素化(原則として納税証明書のみで渡航支弁能力を証明可)」としているが、さらなる緩和措置、あるいは先に書いたようなインド人特有の事情に合わせた工夫も凝らすことができるといいかもしれない。

いずれにしても、今般のコロナ禍で露呈されたインバウンド市場におけるリスクや不安定さを補うためには、1つの国やエリアに頼らない方策を講じなければならない。「○○からの観光客だけ」と偏った集客は、ウイルスによるパンデミックのみならず、多くの有事の際に、足をすくわれる可能性をはらんでしまうからだ。

そうした偏りをなるべく減らしつつも、着実に成長を続けていくためには、本稿で触れたようなニューマーケットを開拓しつづけていくことが重要といえる。

 

筆者プロフィール:

株式会社やまとごころ 代表取締役 村山慶輔

神戸市出身。米国ウィスコンシン大学マディソン校卒。経営コンサルティングファーム「アクセンチュア」を経て、2007年に日本初インバウンド観光に特化したBtoBサイト「やまとごころ.jp」を立ち上げる。インバウンドの専門家として、2019年内閣府 観光戦略実行推進有識者会議メンバーを始め、各省庁の委員・プロデューサーを歴任。2020年3月には自身7冊目となる「インバウンド対応実践講座(翔泳社)」を上梓。村山慶輔オフィシャルサイトはこちら

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