インバウンドコラム
2008年を起点に、日本は人口減少という前代未聞の社会変容が始まった。そのなかで、特に地方エリアにおいて、いかに地域経済・社会を存続させていくか、いかに持続的な地域づくりをしていくかという議論が活発になされてきている。
インバウンドを含めた観光は、こうした人口減少による地方存続の危機から抜けだすこと、つまりは経済の活性化に資することに加えて、雇用の創出や地域の魅力向上によって、交流人口や関係人口の増加を生み、その結果、地域の暮らしを豊かにするものとして全国各地で取り組まれてきたのである。
しかし、少しずつ観光による負の側面も出てきた。急速なインバウンド市場の増加によって、各地でオーバーツーリズムが発生したり、観光事業者や地域社会が経済的メリットを追求するあまり、「地域住民の暮らしを豊かにする」という視点を疎かにするという事態が起きてきたからだ。
加えて、2020年に入り、新型コロナウイルス感染症により国際観光がほぼゼロになる事態が発生した。このパンデミックは観光のあり方を含め、人々の生活を根底から変えているといって差し支えないだろう。それも世界規模で。
そうした背景のなか、注目を浴びているのがサステナブル・ツーリズムである。
フィンランド政府観光局が取り組む「サステナブル・フィンランド」とは?
サステナブル・ツーリズムとは、日本語でいえば「持続可能な観光」という意味であるが、もう少し説明を加えるなら、「環境」「社会」「経済」の3つの観点において持続が可能な観光ということになる。
UNWTOは持続可能な観光について、「訪問客、業界、環境および訪問客を受け入れるコミュニティのニーズに対応しつつ、現在および将来の経済、社会、環境への影響を十分に考慮する観光」と定義している。
まさにいま、世界中で地域社会や環境を守りつつ、経済的にも持続可能な観光地づくりが進められているのである。
サステナブル・ツーリズムの代表例が、2018年から取り組むフィンランドである。北欧にある人口約500万人の国・フィンランドは、同国のブランド力向上と旅行者の誘致のためのマーケティング活動を行う「Visit Finland(フィンランド政府観光局)」を中心に、「サステナブル・フィンランド」を推進している。
これは、受け入れ(地域・事業者)側のエコロジカルな配慮を促進するだけでなく、旅行者側にその地域に住む人々の文化や環境を尊重する配慮を求める取り組みである。
フィンランド政府観光局がインターネット上に掲げる「サステナブル誓約(SUSTAINABLE FINLAND PLEDGE)」への賛同を求める運動や旅行者向けに「フィンランドでサステナブルな旅をするための10のヒント(10 Sustainable Travel Tips in Finland)」を公開したりしている。なお、後者の10のヒントは、以下の通りである。
「身軽に旅する」「ハイシーズンを避けて、より長期間滞在する」「公共交通機関を利用する」「地元の人たちを尊重する」「地元の食、デザイン、工芸品に親しむ」「自然享受権」「リサイクル」「水道水を飲む」「ベジタリアン食を食べてみる」「フィンランド人のように生活を楽しみましょう!」
こうしたフィンランドの取り組みの背景について、元フィンランド政府観光局日本局長で、現在は株式会社フォーサイト・マーケティングでCEOを務める能登重好氏は、「ヨーロッパの旅行業界ではサステナブルな取り組みをしていないベンダーとは取引しないという姿勢が顕著で、ビジネスの土俵に立つために欠かせなくなっています」と話す。
受け入れ側、すなわち地域や事業者の意向や事情というよりも、マーケットインつまり旅行者(市場)側のニーズを考えたときに、サステナブルな視点が不可欠ということだ。
サステナブルへの興味関心はコロナ禍で加速した
弊社やまとごころでは、2020年8月24〜31日に、数多くの観光事業者や自治体関係者などに対し、読者アンケートを実施した。
約600名から回答を得たが、その結果、いまいちばん知りたいテーマとして「サステナブル・ツーリズム」があがった。コロナ禍によって、受け入れ側においても持続可能性への興味関心が加速しているといえる。
これまで、日本のインバウンド政策においては、数や消費額が重視されてきた。繰り返しになるが、そのなかで観光客が集中するエリアで、地域住民の生活や自然環境へ悪影響を与える事例が出てきた。
したがって、地域にとっても、事業者にとっても、その地域の観光資源で継続して稼いでいくためには、サステナブル・ツーリズムへの取り組みが不可欠となってきているのである。
加えて、サステナブル・ツーリズムの考え方は、コロナ禍におけるニューノーマルな旅のキーワードだといわれている「開放的」「少人数」「清潔」との親和性も高い。
困難な状況に直面している事業者や地域も少なくない。適切な言い方ではないかもしれないが、このコロナ禍におけるピンチをチャンスと捉え、これまでの観光のあり方、地域のあり方をより持続可能なものへと舵を切ることが、ウィズコロナやアフターコロナにおける「住んでよし、訪れてよし」を成功させる秘訣であり、ひいては豊かな地域づくりにつながっていく。
「環境に優しい」にとどまらず「環境をよくする」という考え方
サステナブル・ツーリズムは、既に10年以上にわたって検討され、世界各地で実行されてきたものであるが、2020年になって新型コロナウイルス感染症が発生したことにより、サステナブルを超えるリジェネラティブ・トラベル、すなわち「再生可能な旅(regenerative travel)」が必要だと語る識者も出てきている。
サステナブル・ツーリズムが、旅行に伴う社会的・環境的影響を相殺することを目的としたものであるならば、リジェネラティブ・トラベルはその場所を以前より良くする観光であるという考え方で、世界では先進的な取り組みが少しずつ芽吹いている。
サステナブル・ツーリズムやレスポンシブル・トラベルに深い造詣を持つ、アメリカ・インディアナ州パデュー大学の准教授Jonathon Day氏は、『ニューヨーク・タイムズ』で「サステナブル・ツーリズムは現状維持。つまるところ観光地をめちゃくちゃにしないことにすぎない」と語っている。
リジェネラティブ・トラベルへの取り組みは、多くの旅行が中断されているコロナ禍において、停滞を余儀なくされているが、むしろその話題性は増している。
実際CREST(Center for Responsible Travel)やSTI(Sustainable Travel International)を含む6つのNPO(非営利)団体が「より良い明日を築く」ことをミッションに据えた「Future of Tourism Coalition」を結成している。そこには、前項で言及したオランダ発のGreen Destinationsが名を連ね、アドバイザーにはGSTCの名前もある。
「Future of Tourism Coalition」の創設時の署名には、GアドベンチャーズなどのツアーオペレーターやINTREPIDなどのツアー会社のほか、本書でも後ほど登場するパラオ観光局や、長年にわたり国を挙げてエコツーリズムに取り組むブータン観光協議会なども加わり、13の原則にサインしている。
その原則とは以下である。
「1. See the whole picture(全体像を把握する)」「2. Use sustainability standards(サステナビリティ基準に準ずる)」「3. Collaborate in destination management(デスティネーションマネジメントに協力する)」「4. Choose quality over quantity(量より質を選ぶ)」「5. Demand fair income distribution(公正な所得分配を求める)」「6. Reduce tourism’s burden(観光による負担を軽減する)」「7. Redefine economic success(経済的な成功を再定義する)」「8. Mitigate climate impacts(気候への影響を緩和する)」「9. Close the loop on resources(リソースの無限利用をやめ、循環資源を使用する)」「10. Contain tourism’s land use(観光地の人口集中を抑制する」)」「11. Diversify source markets(市場の分散化に取り組む)」「12. Protect sense of place(その場所らしさを守る)」「13. Operate business responsibly(責任を持って事業を運営する)」
リジェネラティブなメキシコのリゾートプラヤ・ビバの取り組み
メキシコにある(映画『ショーシャンクの空に』のラストシーンでも知られる)シワタネホの南、太平洋岸にある小さなリゾート地「プラヤ・ビバ(Playa Viva)」は、壮大なメキシコの生態系の恵みを享受できる、ツリーハウスなど12のエコラグジュアリーな部屋を有するブティックリゾートだ。
2009年にオープンした東京ドーム30個分以上の敷地を持つこのリゾートでは、ビーチ、鳥が集う河口、古代遺跡のみならず、カメの密猟や村の貧しい学校の問題などにコミットメント(積極的関与)することで、サステナブルを超えたリジェネラティブな活動を実行している。
プラヤ・ビバは地元コミュニティのリーダー的存在となって有機農業システムの構築や廃棄物削減プログラムなどを実行することで、土地と地元住民の両方に恩恵をもたらし、さらに宿泊料に加算される2%のフィーが地域社会の発展にも使われている。
プラヤ・ビバは、炭素使用量、従業員の福利厚生、魅力的なアクティビティ、地元食品の調達などについて、厳格な基準で審査する旅行代理店「Regenerative Travel」に加盟している数少ないリゾートの1つである。
ちなみに、「Regenerative Travel」には、スリランカの「Tri Lanka」やネパールの「Tharu Lodge」、カンボジアの「Shinta Mani Wild」など12の施設が掲載されているが、2020年10月時点で、日本からのエントリーはないようだ。
そのほか、アメリカ・コロラド州にあるアドベンチャーツアーのオペレーターであるOneSeed Expeditionsは、旅行と地域経済の発展を結びつけることを目的とし、ネパールやペルーなどのローカルな非政府組織(NGO)に対して、収益の10%を無利子ローンとして提供する活動を行っている。彼ら(NGO)が、そのお金を元手にして、事業のための資金を必要とする地元の農家や小売業者に対して小口融資を行うという。
リジェネラティブ・トラベルには「消費者側の意識向上」も必要
リジェネラティブ・トラベルは、事業者が環境や地域社会から奪うこと以上に、与えることを求めるコンセプトである。
ただし、そのコンセプトにおいて旅行者は蚊帳の外にいるわけではない。奪うこと以上に与えるためにはお金がかかるからだ。その費用を誰が払うかといえば、ほかでもない旅行者である。そのことを意識しなければ、リジェネラティブ・トラベルは成功しない。
消費者が従来の取引のものよりも、フェアトレード(公正取引)で届いたコーヒーを飲むことに喜びと満足感が得られるように、旅行においても社会的な意義や誰から買うかといったことに対して、非常に敏感になってきているということだ。
炭素の足跡と訳されるカーボンフットプリントという考え方も広まっている。これは、あらゆる商品の原材料の調達から廃棄、リサイクルされるまでの間に排出される二酸化炭素排出量をわかりやすく示したものだ。当然、商品のなかには観光(旅行)も含まれる。
今般のコロナ禍によって、マイクロツーリズムと呼ばれることもある、より移動の少ないローカル旅行にスポットライトが当たっているが、そうした車や電車、自転車、徒歩といったスローな移動手段を用いた旅行は、アフターコロナにおいても一定の支持を得られるだろう。その旅行によって、「どれだけの二酸化炭素が排出されるのか」ということにまで思いを巡らせる人が増えてくるからだ。
いずれにしても、リジェネラティブ・トラベルはサステナブル・ツーリズムをより進化させたものとして、アフターコロナの時代にその存在感を強めていくと予想される。
「withコロナの観光業を救う10のキーワード」と題してスタートした本連載の内容を含んだ書籍を11月16日に刊行します。ぜひご覧ください。
筆者プロフィール:
株式会社やまとごころ 代表取締役 村山慶輔
神戸市出身。米国ウィスコンシン大学マディソン校卒。経営コンサルティングファーム「アクセンチュア」を経て、2007年に日本初インバウンド観光に特化したBtoBサイト「やまとごころ.jp」を立ち上げる。インバウンドの専門家として、2019年内閣府 観光戦略実行推進有識者会議メンバーを始め、各省庁の委員・プロデューサーを歴任。2020年3月には自身7冊目となる「インバウンド対応実践講座(翔泳社)」を上梓。村山慶輔オフィシャルサイトはこちら。
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