インバウンド特集レポート
訪日外国人旅行者のニーズの多様化と共に、宿泊施設に求められる役割も大きく変化している。いま、旅行者が宿に求めるのは、ただ寝泊まりする「場所」にとどまらない。「どこで・誰と・どんな時間を過ごすか」という体験そのものである。
そんなニーズに応えるかたちで事業を展開し、旅行者からの高い支持を得ているのが、シンガポール発のソーシャル&ライフスタイルホテル「lyf(ライフ)」だ。渋谷、銀座、福岡の3拠点を展開するlyfは、宿泊そのものにコミュニティの価値を組み込むユニークな運営が、注目されている。
今回は、2024年12月にオープンしたlyf渋谷東京の支配人で、日本のlyf統括支配人も務める井上絵梨氏に話を伺った。滞在者とのエピソード、現場の創意工夫、そしてスタッフたちに根付く「Whyを問い続ける文化」など、lyfの運営から見えてきたのは、“旅の本質”を問い直す宿づくりの姿だった。
自由に、自分らしく過ごすための空間設計。lyfが仕掛ける新しい宿のかたち
2019年にシンガポールで誕生したlyfは、ホテルでありながらコミュニティを軸にした空間、サービス設計をしているのが特徴だ。現在日本では、渋谷、銀座、福岡の3拠点を展開。中でもlyf渋谷東京は、開業直後から高い稼働率を維持しており、特に訪日客の間で高い支持を集めている。
「ゲストには自分の家のように自由に過ごしてもらいたいと考えています」と語る井上氏。ブランド名のlyfは、「Live Your Freedom」という言葉の頭文字を取ったもので、「自分らしく自由に生きることを大切にする」という想いが込められている。
それを体現するかのように、施設内には、lyfガード(スタッフ)とゲスト、ゲスト同士の交流が生まれるような様々な工夫が凝らされている。例えば、ソーシャルスペース「CONNECT」は、24時間自由に利用できるラウンジだ。飲食物の持ち込みも可能で、イベントスペースとしても活用されている。また、ソーシャルキッチン「BOND」は調理設備を備え、料理を通じた交流を促す。ランドリールーム「WASH & HANG」も、アイロンやズボンプレッサーを共用とすることで、ゲスト同士の偶発的な出会いのきっかけを生んでいる。
実際に、共用スペースやロビーには自然と人が集まり、日常的に会話を楽しむ光景が見られるという。
▲ソーシャルスペースの「CONNECT」は、24時間ゲストが自由に使え、飲食物の持ち込みも可能。イベントスペースとしても使用される
館内のデザインも特徴的だ。たとえば、フロアごとに異なるイラストのサイネージは、すべて渋谷の街をモチーフとしており、滞在者が“その街に溶け込む”感覚を得られるよう工夫されている。「単に寝泊まりするホテル」ではなく、ゲストの五感に語りかけるような「滞在体験」を演出している。
▲施設内各所の遊び心あるデザインも見所の一つ
コミュニケーションのあり方にも、lyfならではの工夫がある。スタッフである「lyfガード」は、堅苦しい言葉遣いはせず、”こんにちは””元気?”といったフレンドリーな挨拶をするのが基本だ。全館禁煙以外は細かなルールも設けていない。「ゲスト自身が自分のスタイルで滞在できる環境を整えています」と井上氏が語るように、施設としての“完成度”以上に重視されているのは、ゲストの“過ごし方”である。
また、コミュニティ作りの一環として地域との交流も視野に入れた多彩なイベントを開催するなど、「宿泊」ではなく「滞在を楽しめる時間」を提供している。
▲客室はコンパクトな作りとなっているので、アイロンやズボンプレッサーは共有のランドリースペース「WASH & HANG」を利用。ここにもゲスト同士の交流を生み出す一つの仕掛けがある
9割超が訪日客、それでも”戻ってくる”──lyfが選ばれる理由
lyf渋谷の宿泊者は、海外からの訪日客が9割以上を占めている。200室ある客室は、2024年12月の開業から1週間経過して以降現在まで、継続的に高稼働の状態が続いているという。
ゲストの国籍の多様さもlyf渋谷東京の特徴のひとつで、初めて見る国のパスポートに毎日のように出会うという。渋谷という立地から観光目的のゲストが多いが、家族連れで訪れている人が夕方になると館内で仕事をしているなど、滞在スタイルは多様だ。
1部屋あたりの平均利用人数は2名以下。一人旅のゲストもいれば、複数人のグループ旅行をしているケースもある。
ゲストの滞在スタイルも特徴的だ。平均滞在日数は3泊前後だが、延泊が非常に多く、ほぼ毎日複数の客室で対応しているという。予定を変更して1〜2泊延ばす人や、一度別の都市へ旅行した後、戻ってくるゲストもおり、スケジュールに縛られず、フレキシブルに旅を楽しむ姿がうかがえる。
また、開業から時間の経った銀座や福岡の店舗には、リピーターが定着している。リピーターは海外ゲストに加え、海外在住の日本人もいて、一時帰国の際に毎回lyfを「常宿」として利用する姿も見られる。滞在中に次回の予約を入れて帰る人もおり、「自分の家のように安心できる」といった声も寄せられているという。
差別化は“つながり”で生む、コミュニティに力を注ぐlyfの戦略
lyfでは、宿泊施設における高付加価値として「コミュニティ作り」を重視している。井上氏は、今後も新しいホテルが次々と開業する中で、宿泊機能だけでの差別化は困難になると考え、他にはない価値を提供する手段として、コミュニティを非常に重要な要素と位置づける。
宿泊業のコミュニティづくりは、時間や労力を要するうえ収益にも直結しにくいが、lyfは「人とのつながりが旅を豊かにする」という理念のもと、その意義を重視。一般に交流が生まれにくいホテルにおいても、何気ない会話こそが旅の記憶を彩ると捉え、交流の場づくりに力を注いでいる。
そこで、lyfでは、コミュニティマネージャーである「アンバサダー・オブ・バズ(通称AOB)」が中心となり、地域とのつながりや多様なパートナーと連携しながら、多数のイベントを自社で企画、運営している。
▲イベントの案内が、ソーシャルラウンジCONNECTやエレベーターなど館内の各所に設置されている
例えばlyf渋谷東京では、元アイドルで現在は渋谷区議会議員という経歴を持つ橋本ゆき氏を招き、座談会を開催。また、渋谷女子インターナショナルスクールとの連携も進んでおり、インターン生受け入れを機に、継続的な連携を模索するなど、地域との関係性を感じられるようなイベントにも力を注ぐ。
そのほかにも、地域性に縛られない柔軟な取り組みも展開している。社会貢献プロジェクト「Art Your lyf」では、アーティストにホテルのスペースを無償提供し、個展開催をサポートした。国籍や拠点にとらわれず参加者を広く募ることで、lyfに多様な価値観を取り入れている。
▲25年1月〜2月には新たな渋谷の街の魅力を発掘する写真展「ShibuyaDive Photo Exhibition」が開催された
なお、イベントづくりのカギとなる外部パートナー選定では、互いの価値観や理念への共感を重視し、対面での打ち合わせを重ねながら関係性を深めていく。
こうした丁寧なプロセスを通じて、lyfの空間や世界観を活かしながら、パートナーの強みが発揮される、相乗効果の高いイベントを生み出している。
▲サステナブルな流木素材を使用した苔テラリウムを作成するワークショップの様子
“なぜ?”を問い続ける現場で、スタッフの自発性を育てる
イベントやコミュニティ作りをはじめ、全ての仕事において井上氏が重視しているのは、なぜそれを行うのかという「やる理由(Why)」を常に意識し続けることだ。イベントの開催やゲストとの会話自体が目的化することを防ぎ、小さな視点にとらわれず、本質を見失わない姿勢が重要だという。
井上氏は「新しい企画が持ち上がった際には、『何のために? 誰のために?』という問いを必ずします。『なぜやるのか』が不明確であれば実施しないという判断も時には必要」と語る。
▲lyf渋谷東京お披露目イベント「ShibuyaDive Night」。約60名のインフルエンサーが参加した
「なぜ?」を追求する姿勢がスタッフに浸透すると、自らやる意味を考え、説明するようになるという。意義を自分で見出して取り組むことで、主体性のあるチームが育ち、それが自然とゲスト対応にも表れると井上氏は語る。
実際にlyfガードは、ゲストにより楽しんでもらう方法を日々真剣に考え、自発的に行動している。
例えば、lyfを運営するアスコットのロイヤリティプログラム「アスコットスターリワーズ(ASR)」の販促プログラムとして、会員を対象に、じゃんけんに勝つと朝食チケットがもらえるという特典を導入したときのことだ。「ゲストに楽しんでもらうこと」が本来の目的であると考えたスタッフは、あえてじゃんけんで負けるという行動をとったという。仮に、朝食チケット配布枚数の上限に達したとしても、「明日また来てね」と声をかければ、ゲストは翌日を楽しみに参加してくれる。じゃんけんを楽しみにゲストがフロントを訪れることで、”昨日は何してたの?”や”今日はどこに行くの?”など、自然な会話が生まれていく。
こうした選択や行動を支えているのが、lyfの運営方針だ。同社では、接客マニュアルを作っておらず、スタッフ一人ひとりが自由に考え動ける環境が整っている。また、髪型や髪色、ネイルなどの身だしなみにも制約はない。「自由さを重視する姿勢は、宿泊業界でも新しい試みでは」と井上氏は話す。型にはまらない裁量の中で育まれる「自発的なおもてなし」がlyfらしさを体現している。
▲フロント「SAY HI」の横には、オリジナルグッズが販売されている。ハチ公像からインスピレーションを受けたオリジナルキャラクター「lyfie(リフィー)」のグッズもある
宿を“心の拠り所”に、lyfが目指す新しいホテルのあり方
「lyfは、単なる宿泊施設の枠を超え、ゲストにとって“心の拠り所”のような、ゲストが安心して自分らしく過ごせる居場所でありたい」。そう語る井上氏の言葉には、単なるサービス業の視点を超えた、社会との向き合い方が込められている。
井上氏はこれまで、ホテル業界でのキャリアの中でCSR活動にも数多く携わってきた。ゴミ拾いや孤児院支援といった単発の社会貢献への取り組みを通じて感じたのは、「一時的な支援ではなく、継続的に人とつながり、心を支える仕組みが必要」という気づきだったという。
「人は誰しも、旅先では不安を抱えるもの。lyfは、その不安を少しでも和らげ、心がほぐれる場所でありたい」と井上氏は語る。その想いを形にしたのが、たとえば若手クリエイターへの支援プロジェクト「lyf Photo Ambassador」や、アーティストに個展開催の場を提供する「Art Your lyf」といった取り組みだ。
これらは一見すると、ホテル業とは関係のない活動にも見えるが、lyfでは、社会に貢献することこそがビジネスの持続性を高める土台だと捉えている。宿泊施設の運営と、社会課題への向き合いのつながりこそが、lyfならではの特徴と言えるだろう。
lyfでは他にもクリエイター同士の交流を目的とした様々なイベントを開催している。実際に参加者からは、「自分を突破できた」「前に進む勇気をもらえた」「人とつながれる安心感があった」など、心の変化や、居場所としての価値を実感する声が寄せられているという。
「『また帰ってきたくなる』『ここにいると素直になれる』と感じてもらえるように、これからも運営に取り組んでいきたい」と井上氏は最後に語った。
lyfの取り組みは、「居場所を提供する」というホテルの新しい可能性を示している。
プロフィール:
lyf渋谷東京
Cluster lyf Champion(lyf統括支配人)
井上 絵梨(Eri Inoue)
1981年生まれ。兵庫県出身。同志社大学文学部卒業。2005年より12年間、中国、韓国、シンガポールのホテルに勤務した後日本に帰国。主にセールス&マーケティング、新規ホテル・リブランドホテルの立ち上げに従事。 2021年6月株式会社アスコットジャパン入社。lyf天神福岡、lyf銀座東京の開業・運営を経て2024年10月より現職。日・英・中・韓4か国語が堪能なマルチリンガル。趣味は6歳の娘と楽しむホテル旅、写真、物書き。
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