インバウンドコラム
著者:山口 由美
出版社:光文社新書
2023年以降のインバウンドの回復はめざましく、2024年に入ってからは、オーバーツーリズムについて見聞きする機会も増えてきている。2030年には、訪日外国人6000万人時代が到来すると予想する向きもある。多くのゲストをお迎えして、心から喜んでいただきたい。同時に、地域住民も快適な環境を維持したい。観光を経済活性化の一つの柱とする場合、不可欠である地域の持続的な発展にあたって、参考となり得る一冊をご紹介したい。
著者である山口由美氏は、旅とホテルをテーマに、紀行、エッセイ、評論など幅広い分野で執筆を行っている。神奈川県箱根町に生まれ、富士屋ホテル創業者は、氏の曽祖父にあたるという。時宜を得た今回の書籍も、これまでの数々の著書と同様、説得力に満ちている。綿密な取材と幅広い人脈の賜物であることは確かだ。
本書では、世界で見聞きした欧米の富裕層の嗜好傾向を紹介しながら、日本におけるラグジュアリー観光の可能性について言及している。「ラグジュアリーツーリズムが、オーバーツーリズムを回避しつつ観光産業を拡大していく切り札である」との見解は、心強い。ラグジュアリートラベラーは1人で多くの金額を消費するから、訪問者数を抑えて、環境に配慮しながらオーバーツーリズムを回避できるのである。
インバウンドやラグジュアリー観光について日本人が考える場合、通奏低音になるのは、日本人が旅に求めるものになりがちだ。「命の危険があるようなところには魅力を感じない」だけでなく、「美食」や「温泉」を志向しがちではないだろうか。ところが、欧米の富裕層が旅に求めるのは、「スリルの探求」と「コンフォートゾーンの外での体験」なのである。日本では、ラグジュアリーに「スリル」や「コンフォートゾーンの外」を求める人は、少ないだろう。この点において、いわゆるライフスタイルホテルの日本での開業が、世界的に見て相対的に遅かったのは、象徴的だと山口氏は指摘する。
ライフスタイルホテルの特徴は、デザイン性の高さ、個性的なコンセプト、宿泊以外の付加価値などにある。「美食」や「温泉」というより、「冒険」的要素を提供することが魅力なのだ。セントレジス、W、エディション、アマン、アンダーズなどの存在感が日本において増すにつれ、インバウンドも増加傾向を呈し、今日では、ゼンティス大阪などの、日系ライフスタイルホテルも登場するに至っている。
「冒険」に加えて、「サステナビリティ」も重要だ。欧米で浸透している「ノブレス・オブリージュ」という考え方がある。財力、権力、社会的地位を持つ者は、それに応じて果たさなければならない社会的責任と義務があるという道徳観のことだ。世界各国の、サステナビリティに配慮しているラグジュアリーホテルが選ばれやすくなっているのは、そこに滞在するような者は、持続的な地球環境を守る社会的責任を担うべきだと考えられているからなのだ。
11月には南イタリアで、12月にはカンヌで、ラグジュアリートラベルの商談会が行われる。本書が、「アドベンチャー」や「サステナビリティ」をキーワードに据え、世界的な視野でラグジュアリー観光を考えるきっかけになれば、幸いである。
文:全国通訳案内士 鈴木桂子
最新記事
持続可能な観光、旅の本質的価値を考え直すきっかけに『センス・オブ・ワンダー』 (2024.10.09)
東大生が徹底調査、日本の魅力再発見に役立つ『外国人しか知らない日本の観光名所』 (2024.09.25)
21世紀の産業革命が観光産業に与える影響とは?『データでわかる2030年 雇用の未来』 (2024.09.11)
観光先進国、訪日有望市場から学ぶ『物語 オーストラリアの歴史 イギリス植民地から多民族国家への200年』 (2024.08.21)
「歩く」から考える観光地域づくり『フットパスでひらく観光の新たな展開 あるく・まじわる・地域を創造する』 (2024.08.14)
若きホテル経営者から学ぶ思考法『クリエイティブジャンプ 世界を3ミリ面白くする仕事術』 (2024.07.24)
観光産業の現状と未来を考えるヒントに『堤康次郎 西武グループと20世紀日本の開発事業』 (2024.07.17)
100年後も残るための、持続可能な観光地域づくり必読書『ヒストリカル・ブランディング 脱コモディティ化の地域ブランド論』 (2024.07.03)