インバウンド特集レポート
2000年を過ぎた頃、香港で「日本」に触れようと思えば、カレー屋か日系デパートか、日本に関連したところに出かけなければならなかった。パッケージや店名に「〇〇の〇〇」ととりあえず「の」さえ入れておけば“日本っぽいだろう”と、日本の高品質の商品を連想させる偽物日本も香港中に溢れていた。
それが今はどうだろうか。都心部では10メートル歩けば何らかの日本関連のものが目に入ってくると言っても過言ではないほど、日本が溢れており、表面的には日本とさほど変わらない生活を送ることができる。
今回のコラムでは、香港での日本の浸透度を説明しながら、それでも香港人が日本を頻繁に訪れる理由を掘り下げていきたい。
▲香港の夜景に浮かび上がるドラえもんのドローンショー
香港人にとって一番重要な「食」の観点から
香港ではファストフード店からおまかせメニューを提供する高級店まで、日本食材を使う店が至る所にある。2022年時点の香港政府統計では香港内にある1万7000軒の飲食店のうち、日本食レストランの数は1400軒。広東料理レストランの1480軒とほぼ同じ数になっている。
そんな香港で8月5日から9月末まで期間限定で販売された「マックグリドル」は「日本で大人気商品」として紹介され、日本語表記のキービジュアルを使用した広報展開が行われた。販売初日には多くの人が行列をつくり、弊社の社員の話では、終盤にあたる9月半ば、朝9時に事前受け取り予約をしていたものの、実際に受け取れたのは9時40分だったという。そこまでしてもあの日本で食べた「マックグリドル」を食べなければという義務感に苛まれるそうだ。
▲「日本大人気」の文字が目立つ香港マクドナルドのマックグリドルの広告
牛丼でみれば、1991年に香港に進出して30年以上を迎える「吉野家」は日清食品の「出前一丁」と並んで香港のものと捉えている人もいる。2019年には「すき屋」が、今年の8月には「松屋」が進出し、牛丼御三家が揃った。回転すしでも「スシロー」、「はま寿司」、「元気寿司」などが日常食として賑わっている。中華圏では「冷たいご飯は食べない」という考えが一般的だったが、2010年に香港でスタートしたおにぎり屋「華御結」は120店舗以上を香港域内で展開。駅構内や街中に店舗を構え、今やほぼ全ての地下鉄駅に出店している。訪日回数が増えると、日本のコンビニでおにぎりを食べることが当たり前となり、香港に戻ってからも習慣化したようで、朝ごはんや小腹がすいたときに、おにぎりを頬張る人が増えている。
昨年は香港の旅行会社の商品でも「食」をメインにうたったガストロノミーツーリズムの旅行商品が増えた。日本料理店だけでなく、日本各地の物産展も頻繁に開催されていることから、香港で日本のものに触れる機会が多く、それが産地への興味に繋がっている。産地で実際に食材を見てお気に入りのものが見つかれば、香港に戻ってから日常的に購入したいと思うのも理解できる。
昨年、私が参加した東北でのガストロノミーツアーでは、特に持ち運びが容易でない日本酒などは、酒蔵で試飲した後に1本購入し、「香港ではどこかで販売しているの?」と尋ねる参加者もいた。彼女がその日本酒を飲むときには必ず旅の思い出がセットで浮かぶことだろう。
香港人を熱狂させる日本のエンタメ
今年の夏、香港の話題を集めたのは、紛れもなく「ドラえもん」だった。香港を象徴するビクトリアハーバー沿いには、高さ12メートルのドラえもん像がそびえ、ドローンショーで夜空にもその姿が浮かび上がり、大人も子どもも心を奪われた。
▲香港で開催した、藤子・F・不二雄生誕90周年記念「100%ドラえもん&フレンズ展」の様子。香港でのドラえもん人気がうかがえる
香港人にとって「ドラえもん」は日本と同じように身近な存在で、“秘密道具“は説明しなくても、日本人と香港人で会話が成り立つほどだ。日本では1969年に漫画連載が開始されたが、香港では1976年から「児童楽園」という雑誌で連載がスタート。日本以外では香港が最も早く最新のストーリーを読むことのできる都市で、現在は原音に近い「多啦A夢」という文字が当てられているが、長い間「叮噹(ディンドン)」という名前で親しまれてきた歴史がある。
そのような背景もあって、今回、香港で、藤子・F・不二雄生誕90周年を記念した「100%ドラえもん&フレンズ展」が開催されたのも想像できる。香港地下鉄MTRやランタオ島にあるケーブルカーにドラえもんの装飾が施されたり、“どこでもドア”が街中に登場したりと、香港全体が「ドラえもん」に包まれた。香港政府、香港地下鉄、官も民も含め総力を結集してこうした大きなプロジェクトが組み立てられていたように思う。
▲カフェメニューにも「ドラえもん」が登場
日本の音楽カルチャーは香港でも非常に人気だ。今年の香港・旧正月のナイトパレードは5年ぶりに復活したが、トリを飾る最大のハイライトは日本のダンスグループ「アバンギャルディ」で、日本が最も大きな扱いを受けていた。
今年に入って、Ado、中島美嘉、YOASOBI、新しい学校のリーダーズ、RADWIMPS、MISIA、Perfume、乃木坂46、宇多田ヒカルと日本人アーティストのライブが続いている。さらに11月末には、香港中心部で開催される都市型野外音楽フェス「Clockenflap」に、櫻坂46の出演が発表されており、言葉は分からない人も多いが、日本のエンターテインメントへの強い興味・関心がうかがえる。
コロナから解放され、いつでも旅行にいけることもあるのだろうが、“日本のライブに行きたい”という香港人も増えてきている。「どこかの地方公演でもよいから行けるところがあれば!」と頼まれることもある。海外からのチケット購入は現実的に難しいが、さまざまなジャンル、良質な音楽を楽しめる音楽フェスに照準を合わせて訪日し、その場に行かないと味わえないライブ・エンターテインメントを楽しむ香港人も多くいる。アニメ、音楽などのソフトコンテンツは、香港における日本のイメージ向上に大きく貢献していると言っても過言ではないだろう。
▲香港の旧正月を祝うパレードでトリを務めた「アバンギャルディ」。会場はこの日一番の盛り上がりに
日本から逆輸入の香港ソウルフード店、日本要素を取り入れ人気を集める
9月はじめ、あるコンビニエンスストアの広告が突然目に入ってきた。「長崎からのガイダンジャイ」と書いてある。ガイダンジャイ(鶏蛋仔)とは1950年代に香港で生まれたストリートフードで、ポコポコした丸いワッフルが連なったスイーツだ。戦後、卵がぜいたく品となり、多くの屋台業者が割れた卵を無駄にしないため、卵を小麦粉やバターなどの材料と混ぜて生地を作り、特製の型に流し込んで焼いたのが起源とされ、香港人のソウルフードとも言える。
コンビニエンスストア「OK便利店(サークルK)」旺角碧街店の一角にできたコーナーでせっせと鶏蛋仔を焼くのは、佐世保で生活する香港人の陳家祺さん。陳さんは日本へキリスト教の宣教師として渡り、日本の「子ども食堂」について知った。香港はもともとチャリティーへの意識が高く、チャリティーイベントなどが多く開催されるが、日常生活の中での支援活動はほとんどない。
食べることに困難を抱える貧困層や、孤食の人に向け、弁当スタイルの食事を配る店や人は存在するが、そこに場所やコミュニティーは生まれない。陳さんは「子ども食堂」を開こうと考えたが、それなりのコストがかかることも試算し、同じ場所で飲食店をやりながら経営を安定させ、子ども食堂を開けないかと考えた。それが「鶏蛋仔」の店を開いたきっかけだったという。
メニューにはオリジナルに加えて、抹茶、ほうじ茶味もある。陳さんは佐世保に渡る前の2年間、佐賀県の武雄に住んだ経験から、香りや味がさっぱりとした佐賀の嬉野茶が気に入り、現在も嬉野茶を使用しているという。今、香港では抹茶の人気が定着しており、「ほうじ茶が好き」と答える香港人も多いため、両メニューを提供し好評を得ている。
ここで、私が注目したポイントは“日本食材が香港の伝統食材に組み合わせられていること”だ。鶏蛋仔のみならず、日本食材を使用していることを大きく打ち出すメニューやレストランなどが増えており、日本ブランド、日本要素があることでブランドイメージが良くなっていることがうかがえる。
また、香港人のみならず、同郷人を信頼するのは当たり前であり、“佐世保に香港人の店がある”と聞けば、せっかくの機会に陳さんのお店を訪れた後、長崎で食べた鶏蛋仔を思い出し、再びポップアップショップに戻ってくる。このような良い循環が生まれるのも実に香港人らしいエピソードである。
▲普段は長崎の佐世保で展開する香港スイーツ「鶏蛋仔」のお店が香港でポップアップショップを開設
香港で広がる日本円換算と物価意識
最近の香港人にはある悩みがある。日本に行く頻度が増えたため、ただでさえ計算の早い香港人の頭の中には、自然と日本円換算が浮かんでしまう現象が起きているそうだ。さらに上級者となれば、日本円そのものの値段がインプットされている人もいる。
円安ドル高は一時よりは落ち着いたものの、今年の春、1USドルが160円にまで値上がりした時には、香港の両替所に長い行列ができた。銀行の支店でも「今日は日本円がありません」と言われた日すらある。中国経済の先行きが不透明なこともあり、香港経済の低迷が続いているにもかかわらず、依然として香港域内の物価は高止まりしている。
円安が訪日の理由にはならないものの、損をしたくない香港人の精神が、少しでも円高になると、日本のものを香港で買うこと躊躇してしまう要因となっているようだ。
※香港ドルは米ドルと連動しているため、対円で同じような値動きをする。
少し話はそれるが、「お金と日本産」の話題で、最近こんなことがあった。ある香港人経営のレストランで日本産鶏卵の採用が決まった。飲食店は一度グレードの良いものを使用すると後に戻れないため、食材選びにはコスト面で慎重になる。聞けば、「日本産を使いたかったから」という理由はもちろんあるものの、「中国産の次に安かったのが日本産だったから」という理由も決定打になったという。海外輸出の9割以上を香港市場が占める日本産鶏卵が、日本料理店だけでなく、ローカル店でも使われることになったことは喜ばしいことだが、「安かったから」という理由に複雑な気持ちを抱く自分がいる。
日本旅行は日常生活の延長線上に、変化する香港人の消費行動
日本に行く回数が増えるにつれ、「旅行をしてお金を使うだけでなく、滞在して生活する方法」を模索している香港人もいる。訪日の頻度が増えると、日本での消費パターンは少しずつ変化し、日本人が利用する近所のスーパーマーケットや100円ショップなどでたくさん買い物をして香港に戻ることが一般的だ。中には、日本語も分からず日本に移住した香港人もいるが、最近、「旅居式」遊日(住んでいるように日本で遊ぶ)ような人が増え、動画をアップする香港人YouTuberが増えたように思う。
香港は入境時に野菜や生ものなども含めて持ち込みの制限が特にない。そのため、以前はフルーツを箱ごと買う姿もみかけたが、最近はより日本らしいアイディア商品が注目されている。昔の香港は安いものから高いものまで選択肢が多くあったが、最近の香港では何もかもが高く、質もそこそこのものや、雑なものも多い。これは商品や提供メニューのみならず、サービスについても言えることなので、「香港で1万香港ドル(約18万5000円)を使うなら、同じ期間日本に行けばいいかな」と考える人がいるのも当然だ。だからこそ、日本で髪の毛を切り、日本の居酒屋で楽しい時間を過ごして満足し、また“戦場”の香港に戻っていく。
本当は、日本で生活するように旅をもっとしたい人はいるだろうが、現実問題、お金も時間も制約があり普通には出来ない。それでもなお、日本の商品がこれだけ香港に溢れていることを考えると、「ちょっと高いけれど、ここ数カ月は日本に行けないから買おう」と諦めと悔しい思いを抱きつつ、日本のものを日常消費しているのかもしれない。
ただし、香港では高いものが何でも受け入れられるということではない。香港人が価格にシビアなのは昔も今も変わらず、日本の商品価格を詳細に覚えている。日本企業は、それぞれの商品価値をしっかり理解してもらう努力を今後も続ける必要があるだろう。
日本の“安価な商品”に香港への輸送や人件費などコストがさらに計上されたとしても、「それでも欲しいから買いたい」と感じさせ、香港での生活に定着させるパワーを日本ブランドが維持し、イメージがさらに向上していくことを願っている。
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