インバウンドコラム

第13回 政府は民間交流に口を出すべきではない

2012.09.17

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残念なことに、前回懸念したとおり、尖閣をめぐる日中間の応酬が始まってしまいました。現在のところ、その余波は感じられませんが、先ごろの日韓関係の政治レベルの悪化が民間交流にそれほど影響を与えないと思われるのに対し、今後の展開によっては、秋以降の訪日中国人旅行市場になんらかの影響を与えるのではないかと気がかりです。

2000年9月に始まった中国人の訪日観光旅行の解禁以降、数年おきに繰り返される反日デモの光景。まるで恒例行事のようでもあり、慣れっこになったといえなくもありません。とはいえ、事件が起こるたびに市場は停滞し、その結果さらなるツアーのデフレ化が進行、ただでさえ利幅の薄い日中双方のインバウンド関係者を疲弊させてきたことは確かです。

国家間の論争を前にひとりの民間人としてなすすべはないのですが、今後も間歇的に起こるであろうこの種の衝突に備え、常に心構えをしておくと同時に、声を上げて言っておきたいことがあります。それは、たとえ国家間に不和があろうとも、政府は観光に代表される民間交流に口出しすべきではない、ということです。連載のテーマからまたもや脱線してしまいますが、今回はどうしてもこの話をしておきたいと思います。

 

2年前の残念な光景

ちょうど2年前の9月、尖閣諸島沖漁船衝突事件が起きたときのことを思い出してみましょう。

事件後、中国政府は日中間の観光交流を立て続けに停止させました。温家宝首相の提案だった1000人規模の「日本青年上海万博訪問団」の延期や世界旅行博での中国出展者のドタキャン、そして何より影響が大きかったのは、旅游局による中国の旅行会社向けの日本行きツアー募集の事実上の取りやめを迫る通達でした。

以前ぼくはこのコラムで書いたことがあります。「中国政府にとって観光は政治の道具だ」(https://yamatogokoro.jp/column/column_72.html)と。まさにそのとおりのことが起きたのでした。民間交流の最も自然な姿である訪日旅行をあえて停止させることで、当局の意向や政治的な主張を広く知らしめようとしたといえます。

事件直後に訪ねた北京で、ぼくはある省の旅游局から送られたという通達書類のコピーを入手しています。その通達には、省内の旅行会社に日本行きツアーの募集をしばらくの間取りやめるように促す内容が書かれていました。

関係者の話によると、さすがに当局もこうした書面があとに残るとまずいと思うのか、北京や上海などでは口頭での通達だけだったようです。地方政府はそこまで慎重に扱う配慮に欠けていて、書類が出回ったようです。

たかが国民の旅行の行き先にまで政府がダメ出しするなんて……。書面をまじまじと見ながらあきれたものです。自国の主張を通すためとはいえ、国民が娯楽を享受するささやかな機会である観光交流を止めさせるような通達を出すとは、中国政府はどこまで野暮で度量が狭いのか。道義にもとる行為だと思ったものです。

 

中国の”空気”を読むことの難しさ

2年前といえば、もうひとつ残念な話があります。

尖閣事件から2ヵ月後の2010年11月中旬、観光庁は上海で行われた中国国際旅游交易会(CITM)に多くの日本企業や自治体などを出展させました。日本は海外出展者の中で最大のブース面積を占めたそうです。ところが、受け入れ側の中国の主催者は大いに当惑したといいます。なぜなら、2ヵ月前に東京ビッグサイトで開催された旅行博で、中国の出展予定者がドタキャンを食らわしたばかりだったため、日本は同じことをしてくるだろうと彼らは考えていたからです。

日本の出展者たちはまるで何事もなかったかのように、いつものきまじめさと熱心さで観光PRを繰り広げました。日本人は「こんなときこそ、日本の良さをPRしよう」と一生懸命だったと思いますが、中国側から見ると「(当局から日本行きツアーの取りやめを促されている)こんなときに来られても……。いつものように歓迎する雰囲気はつくりにくいし、困ったなあ」と、その光景を苦笑交じりに眺めていたそうです。彼らだって商売は早く再開したいけれど、「いまはそのときではない」と考えていたのです。日本側はまるで”空気”が読めていなかったといえます。

実際には、日本の出展者の多くは、一旦決めた予算だから消化しないわけにはいかなかったのだろうと思いますが、こういうすれ違いが起こるのも、日本のインバウンド関係者があまりに中国側の事情を読む力がないからだろう。そう話してくれたのは、会場を視察したあるアジア系の在日インバウンド業者でした。彼は上海旅游局の関係者から直接聞いた話としてぼくにそう言ったのです。

中国の政治とその影響下にある民間の”空気”を読むというのは本当に難しいと思ったものです。

 

中国はそういう国だから仕方がない?

そうはいっても、中国はそういう国なのだから仕方がないじゃないかと思われる方も多いでしょう。もちろん、それはそうです。国民に主権のない中国という国柄を考えれば、民間が何を言おうと物事は動かない。余計なことを言ったばかりに、不利益を被るとも限らない。あの当時、中国の旅行会社の関係者に話を聞いても、「自分たちは上の判断を待つしかない。何も決められない」と言うばかりでした。

中国歴史ドラマ『三国志』などを見ていると、この国の人たちはいまも昔も変わらないなと思います。一般に権威主義的な政治といいますが、中国の場合は、権限を握っているのが誰なのかをはっきり示さないと気がすまない、と為政者が考えるような世界です。まるで民主的ではありません。

では、どんなに理不尽な状況でもこの国では誰もが口をつぐんでいるかというと、そうでもない。ドラマの中には、さまざまな軍師が登場します。彼らは王が誤った判断をした際には、慎重に時と場をわきまえ、的確な状況分析と効果的な対処法を具申する。三国の勢力が拮抗した当時は、中国の歴史では珍しい、いわば自由競争の時代でしたから、奇想天外とも思えるような卓抜な献策が飛び交いました。

一般に日本人は『三国志』の世界をたくさんの英雄が登場するロールプレイングゲームのように見立てて愛好する傾向があると思いますが、この物語からは実際の中国社会と同様の規範や法則が読み取れるというのは、これまで多くの論者が語ってきたことです。おもしろいのは、規範のひとつとして、その人物に徳があるかが為政者にふさわしいかどうかの基準になるということです。中国という独特の政治空間の中で、為政者を相手に物申すには、道徳心に訴えることが有効だというのです。

なぜ中国政府は観光という国民のささやかな楽しみや慰安にかかわる領域までを政治の道具として利用しなければならないのか。それは彼らの統治に対する考え方やそもそも不安定な社会が背景にあるからでしょうが、そりゃあんまりだろう、考え直すべきでしょう、とあらためて言っておくのは意味があります。あとで利いてくることもあるからです。

実をいうと、2年前、中国政府の姿勢に異を唱えたひとりの在日中国人がいました。富士通総研経済研究所の柯隆さんという方です。確か、BS朝日の番組中だったと記憶していますが、彼は「中国政府は民間交流に口出しすべきではない」とはっきり言いました。それは日本では当たり前すぎる正論にすぎませんが、中国人が発言したという意味で、とても印象深い光景でした。

残念なことに、当時こうした声は在日中国人の中からあまり聞かれませんでした。彼らの多くは、中国人の富裕化による訪日旅行市場の拡大を我がことのように喜び、日本社会における自らの地位向上につながるビジネスチャンスとして歓迎していたはずなのですが、あえて声を上げる人は少なかったように思います。

柯隆さんの勇気ある発言は、もちろん彼ひとりから発せられたわけではないでしょうけれど、中国側に届いていたように思われます。

今回の事件後、中日友好協会会長の唐家璇元国務委員は「民間交流は予定通り続けるべきだ」と発言しています。まあ今年は日中国交回復40周年ですからね、ともいえますが、2年前とは違う談話が出てきたのは、声を上げる人たちがいたからだろうとぼくは思います。

中国ではこうした発言を誰にどのタイミングでさせるか、政府内での計算があるに違いありませんし、実際にその発言のとおりになるかどうかは今後のなりゆき次第といえますが、「政治と民間交流は分けて考えるべきだ」「もし民間交流に口を出すとすれば、その政府は徳がないとみなされるぞ」というもの言いは、それが禁じ手としてひとつの了解事項となるまで、今後もしつこく言っていくべきだと思います。

 

訪日旅行ビジネスは日中民間人の協力が不可欠

今年、日中国交回復40周年の地味なイベントが実は各地で開かれている。新味はあまり感じられないが、この40年を振り返ってみるいい機会だろう

とはいえ、今後のなりゆきについては、頭で考えていても仕方がない。我々民間人としては、こういうときこそ、中国のビジネスパートナーとの情報交換や連携を密にしていくべきでしょう。

今年の秋、中国は政治の季節に突入します。本来であれば、彼らは不要に海外との波風を立たせたくないはずなのでしょうが、国内にはいろんな勢力がいます。我々が想像する以上に社会の安定感が揺らいでいるといわれるだけに、どんな想定外な事態が起こるかわかりません。現地のビジネスパートナーに逐次状況を尋ねて、現地の”空気”を読めるようにしておくことをおすすめします。

現在のところ、9月下旬に予定されている日本の旅行博の中国出展者の来日は予定どおりと聞いています。もちろん、これはアウトバウンドの商談会ですが、日中双方のビジネスパートナーが出会える貴重な場です。ぼくも旧知の関係者と会場で会う約束をしていて、とても楽しみにしています。ただし、今後いつ面倒なことが起きてもおかしくないだけに、心の準備をしておくことは悪くないと思います。それが杞憂にすぎないことを祈るばかりです。

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