インタビュー
日本酒のもつポテンシャルを世界へ発信 そこから始まる「観光立国」を目指す
JALのキャビンアテンダント時代にソムリエの資格を取得し、持ち前の探究心により行っていたワイン情報の収集からすべてははじまった。一流のワイン専門家との出会い、そして日本人としてのアイデンティティの再発見……。現在、日本酒の魅力を世界へと発信するキーパーソンとして注目を集める平出淑恵氏に、その活動や日本酒に対する思いを語っていただきました。
プロフィール:1983年:日本航空に客室乗務員として入社。国際線担当客室乗務員として勤務。
ソムリエ取得後より空飛ぶソムリエとして会社関係のワインセミナー講師多数。
JALソムリエクラブ「ルシエール」幹事を5年間務める傍らJAL管理職の会(鵬友会)のワイン、日本酒の会の企画担当を務める。担当主催イベントは、オーストラリア大使館にてワインセミナー、ニュージーランド大使館にてワインセミナー、自然派ワインセミナー、蔵元を囲んで日本酒勉強会など多数。
1999年:JAL・WESTワイン学校立ち上げスタッフとして地上業務につく。
2003年:WESTロンドン本校にて有志蔵元による日本酒講座をサポート。
2006年:若手蔵元の全国組織、日本酒造青年協議会の酒サムライ活動を社会貢献社外活動としてサポート開始。
2007年:ロンドンで行われる世界最大規模のワインコンペティション「インターナショナル・ワイン・チャレンジIWC2007」の本格的な日本酒部門開設にあたり日本酒造青年協議会と共に全面サポート。
2010年:日本航空を希望退職。インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)アンバサダー就任(日本代表兼務)。経済産業省主催、日本酒輸出検討会にオブザーバーとして参加。
2011年:株式会社コーポ・サチ設立。7月より『月刊時評』に「日本酒だより」連載開始。12月より1年間『月刊料理通信』に「Sake in the world」連載。外務省在外公館長赴任前研修の日本酒講習会コーディネーター、飯倉別館レセプションの日本酒ブース設営に協力。IWC上位受賞酒が外務省在外公館リストに採用となる。
2012年:佐賀県鹿島市産業活性化観光アドバイザー。
2013年:観光庁酒蔵ツーリズム推進協議会メンバー。
JALのCAが日本酒の魅力を世界へ発信する使命を帯びるまで
村山
平出さんは、ずいぶんたくさんの肩書をお持ちですよね。株式会社コーポ・サチの代表取締役、世界最大規模のワインコンペティションであるIWCのアンバサダー、そして、観光庁の酒蔵ツーリズム推進協議会のメンバー……。
平出
そうですね。元はといえば、全国の若手蔵元が組織する日本酒造青年協議会の会長、副会長の蔵元さん方との出会いから酒サムライ活動に参画したところからはじまりました。佐賀県鹿島市の産業活性化観光アドバイザーも引き請けさせていただいております。
村山
すべては「日本酒」というキーワードで繋がっているのですね。元々は、JALのキャビンアテンダントをされていたとか。
平出
そうです。JALに入社したのはまだ民営化前で、私も3年くらい勤めたら結婚して退社しようなんて思っていまして、キャリア志向などまったくありませんでした。
10年ほど勤めた頃に、同僚でソムリエの資格を取った人がいて、それに感化されるカタチでトライ。1年目に学科試験を、そして2年目にテイスティング試験をパスして資格を手にしたのです。
村山
当時はソムリエの資格を持たれているCAは珍しかったのではないですか。
平出
そうですね。会社側から要請され、後輩の指導に当たるようになって、仕事に張り合いがでたことを覚えています。またフライトで海外に出る機会が多いわけですから、一般的なソムリエさんでは難しい、現地のワイン情報の収集が可能でして。自主的にそのような活動を進めていく中で、現在、IWCの審査員になっているような超一流のワイン専門家たちとの出会いが生まれたのです。彼らは単なるワインの知識が豊富な専門家ではなく、ブドウの栽培から醸造、流通にも精通してワインを扱うお店の売上向上を目指すコンサルタントとして活躍し、さらにいえばワインを中心とした産業全体を育成することを視野に入れた活動を行っていました。
その姿勢に感銘を受けると同時に、ふと日本酒だって品質的にはワインに引けを取らないわけですし、圧倒的なオリジナリティを持っています。にも関わらず、大きな産業になり得ていない状況を大変残念に思いまして、先にご紹介した酒サムライの活動にコーディネーターとして参加したのです。協議会の蔵元さん方の協力を仰ぎながらIWCに2007年日本酒部門の設立に成功したのです。
村山
ずいぶん行動的ですよね。まだ、その段階ではJALでCAをされていたのですよね。
平出
そうです。酒サムライは完全にボランティア活動でした。関係各所の調整など、しばらくは二足のわらじを履いていたのですが、2010年にJALが経営破たんに陥り、希望退社者を募ったので、それに背中を押された形で退職を志願しました。落ち着かない乗務生活から解放されたわけですし、しばらく情報収集でもしようかと思っていたら、東日本大震災が発生したのです。早く社会に復帰して、何かしなくてはとの思いに駆られ、2011年6月に会社を設立するに至りました。
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