インタビュー

【海外での学び直し】キャリア形成への挑戦、ホテル業界から2度の米国留学で目指すものとは?

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社会人を経験してからの学び直しを経て活躍の場を広げる人たちに話を聞く「学び」のインタビュー。今回話を伺ったのは、新卒でホテル業界でのキャリアをスタートした後、海外の大学院に学びの機会を求めた根来葉子(ねごろようこ)氏だ。ホスピタリティ経営学をアメリカで学んだ後は、日本に戻って観光業で人事としてのキャリアを重ね、再び米国へ留学。現在はペンシルベニア州立大学の博士課程で学んでいる。

社会人と海外留学を交互に繰り返しキャリア形成をはかってきた根来氏にとって、2度の大学院進学は、キャリアの中断ではなく飛躍への挑戦だ。ホテル業界を支える一個人として自身が果たせる役割を、学びを通じて模索してきた根来氏に、アメリカの大学院で学ぶホスピタリティ経営学について、またなぜ2度の米国留学を通じて学びを続けているのか、そして博士課程後の今後の抱負について聞いた。

 

外資系ホテルでのマネジメント層との意思疎通を機に、海外の大学院へ進学

─ ホテルでのキャリアをスタートしてから、海外の大学院を志した経緯を聞かせてください。

新卒で働き始めたのは東京・恵比寿にあるウェスティンホテル東京という外資系ホテルでした。2年目に広東料理・龍天門でチーフサーバーとなり、のちにキャプテンを務めました。当時は女性のマネジメントをどんどん増やそうという過渡期で、このレストランで私が女性初のサービス担当のキャプテンになったという、そんな時代でした。


▲ウェスティンホテル東京・龍天門でキャプテンとして働いていた頃

キャプテンとして仕事をする中で、メニューやプロモーション、イベントのインチャージ業務やマネジメント業務を担当するようになりました。上層部はアメリカ本社から送られてくるエグゼクティブ。指示は英語で出され、まず現場のメンバーは意思の疎通でつまずきます。文化的な違いやトップダウン方式のやり方に対して軋轢も生まれ、やる意義が理解できないままに物事が進むようになりました。こうした課題に直面することが増えたとき、「海外の人たちのマネジメントの視点とはどういうものなんだろう」という問いが自分の中に生まれました。英語ができても、役職と知識をもったうえで指示を出している彼らと同じ目線に立てなければ耳を貸してもらえません。海外の人たちの視点を知ることができる機会はないだろうか、と考えたのが、海外での学びを考え始めたきっかけです。

ホテリエのための留学セミナーに参加し、そこで、のちに留学先に決めたセントラルフロリダ大学で教鞭をとられている原忠之先生とお会いしました。先生から「英語はただのツールであり、数値ベースで融資や投資を考える人と経営視点で対等に話せるバイリンガルになることが大事」という衝撃のある言葉をいただき、海外の大学院で学ぶ決意を固めていきました。

─ 留学先はアメリカの大学院に決めたとのことですが、ほかにも候補はありましたか。

海外の視点を知ろうとしたとき、ヨーロッパでは実務、アメリカでは理論がより重視されると聞きました。ヨーロッパでは高いサービススタンダードや、ホスピタリティのクオリティを重視したオペレーションを学べる一方、アメリカでは、現場のオペレーションはもちろんながら、経営視点を重視し、セオリーを多く学ぶ学問がベースとなります。当時、私が働いていたホテルでは、アメリカでマネジメントを勉強された上司が多かったことや、日本にないものを知るのなら、日本のおもてなしに通じる点が多いと言われるヨーロッパではなく、あえてアメリカで学ぶのがよいのではと思いました。

留学セミナーに参加してから約1年後、ホテルを退職しフロリダへと発ちました。まずは語学学校に通いながら大学院入学への準備を進め、2014年8月にセントラルフロリダ大学ローゼンカレッジのホスピタリティ経営学部・修士課程に入学しました。

▲修士課程を学んだセントラルフロリダ大学ローゼンカレッジ

 

論文を基に3時間ディスカッション、日本とは異なるスタイル

─ ホスピタリティ経営学とは、具体的にどのような学問ですか。

ホスピタリティ経営学は、セントラルフロリダ大では英語で、Hospitality and Tourism Managementと呼ばれています。ホスピタリティ産業としての守備範囲は、ホテル、MICE、エアライン、公共交通機関から、テーマパーク、カジノ、ゴルフ、ワールドカップなどのスポーツイベントと実に幅広く、その中で、数値をベースにしっかりとエビデンスをもったうえで、関わる事業者をいかに満足させられる企業経営ができるかという視点を学んでいく学問です。

留学した当時、日本でこのような分野を学べる大学はまだ認知されていなかったと思います。大学で観光学を専攻したものの、実際のところ、原先生からお話を伺うまでは、観光学の延長線だろうと思っていたくらいです。

─ 修士課程のカリキュラムについて教えてください。

修士課程で学ぶ学生は20~30名程度。私をはじめとする留学生は2年間、学業に専念する人が多かったのですが、現地在住の方など、働きながら各学期に数コマずつ履修し、2~3年かけて修士号取得を目指すという計画の人も多かったです。

学期は、8月後半から12月までの秋学期と、1月から5月までの春学期に分かれています。留学生の場合は、各学期に最低3つの授業、合計9単位をとらなければなりません。大学の学部時代を振り返り、1週間に3コマだけでいいの?と案じましたが、3つで十分、むしろそれ以上はきついと言われ……。始まって、その意味を知りました。各科目では、毎週、20~30ページある論文を4~6種類渡されます。授業の予習としてすべて読み、批評を書いて提出します。授業では、割り当てられた学生がプレゼンテーションを行い、その後約3時間延々とディスカッションを行います。

たとえば、お客様対応について学ぶゲストサービスの授業では、読んだ論文に関するプレゼンをもとに、どんなゲスト対応がいいのか、それはどのような理由からで、どういった統計やデータによって裏付けられているのか、果たしてこの論文は意味があるのかどうかを話し合います。マーケティングの授業では、ある企業の強みと弱みを見つけたうえで展開方法を探るグループプロジェクトや、自分たちでレストランを一から作ってみるというプロジェクトもありました。グループディスカッションは大体7~8名くらいのクラスで、中には2~3名という授業もありました。

英語圏以外からやってくる留学生にとって、修士号取得を目指すときに一番ネックとなるのは語学です。発言が当たり前に求められるアメリカの授業では、次々に発言するクラスメートに追いついていくだけでも必死で、苦労しました。


▲セントラルフロリダ大学にて、語学学校時代から支えてくれた友人と

ほかに、私自身苦労したことと言えば、統計学とファイナンスの授業です。アメリカで観光学の学位をもっていると言えば、統計学とファイナンスの基礎は履修済みとみなされます。しかし、私が通った当時は日本の観光学部では必須科目になっていません。私立文系で数学から逃げ続けてきた私は、日本の大学でも履修せず、大学院で初めてそれと向き合うことになりました。学部生の授業をとって基礎から学びましたが、私にとっては日本語であったとしても理解が難しい統計を、一から英語で学ぶというのは本当に苦労しました。

 

明確な意思をもって学ぶ米国の学生の姿に、日本との違いを感じる

─ アメリカの修士課程で学ぶなか、印象深かった出来事はありますか。

修士課程で学ぶホスピタリティ経営学は、実務経験が重視される学問で、働きながら大学院に通う人も多くいましたが、私にとって衝撃的だったのは、彼らが大学院に通う理由です。正社員になる、あるいは昇進や昇格にあたって修士号の取得が必須だからという理由で、明確な目的とプライドをもって学んでいました。

日本の観光業界で修士号を必要とする、もしくはそれがないと昇進・昇格できないという企業がどれだけあるでしょう。企業側がマネジメントを行うのに必要な基準を示し、お金と時間を費やして身につけた学びにはきちんと対価を与えるという事実に、日本との大きな違いを感じるともに、日本でも企業側が学び直しをきちんと斡旋、評価することで、企業や人材の成長をもっと見込めるのではないかと思いました。

なお、卒業論文は必修ではありませんでした。実務での学びを重視していたことから、働きながら通う学生の多くは論文を書かずに卒業していました。一方、私は、博士課程での学びという将来的な可能性も考えて論文を執筆するコースを選びました。

論文のタイトルは『日本のホスピタリティ業界における組織市民行動の役割認識』。日本のおもてなし文化を題材に、文化的特徴と世代間ギャップの側面から、日本の友人・知人300名ほどに行ったアンケートをもとに統計値としてまとめました。


▲卒論発表を終えて、論文指導の先生方とともに

 

日本のホテル業界で「人事」を経験したのち、博士課程で再び学びの場へ

─ 博士課程への進学も選択肢のひとつと考え、論文コースを選択したとのことですが、その後のキャリアについてどのように考えていましたか。

博士課程への進学については、修士時代のはじめから漠然と視野に入っていました。実際に学ぶ中で、日本のホスピタリティに対する海外でのイメージは、人間性をはじめ、清潔、安全な国という点でとても高く評価されているものの、証拠となる数値や文献は非常に少ないことを痛感しました。

日本人でこの分野を研究している人も、ホスピタリティ経営学を教えられる人も、海外の規模に比べるとまだ少ないのが現状です。将来的に教えられる人材が必要になるのではないだろうか。私自身が大好きなホテル業界や日本の観光業界でこれから働きたい学生たちが、より長く、より楽しく働けるよう、教育の部分でもっと貢献できるようになれれば、と考えるようになりました。ぼんやりとした考えが次第に目標となり、そこから逆算してまずは人を育てる人事の仕事で実績を積もうと、修士課程を終えた後は一旦日本に戻る道を選びました。

─ 日本で、2回目の社会人キャリアをスタートさせたのですね。どんな経験をしましたか。

沖縄で、リゾートホテル開発・運営を行うKPG HOTEL & RESORTの人事部で、新卒採用担当をはじめとする人事全般の仕事をしました。仕事が楽しいと感じるには、学べる環境があるかどうかが大事な要素だと思いますが、幸い、ホテルに特化したビジネススクール「宿屋大学」のプロフェッショナルホテルマネージャー養成講座を受講する機会にも恵まれました。当初、2年程度で大学院に戻るつもりでいましたが、仕事が楽しすぎて気づいたら6年が経過していました。

社会人での学び直しは、踏み出すタイミングが難しいと思います。昇格や仕事が楽しい時期と重なったり、周りが出世していく中で今辞めていいのだろうかという不安もあったりします。私の場合は、どちらの選択をしたら後悔しないか、また、できるチャンスが今あるならやってみようという判断基準でこれまで決めてきました。プロフェッショナルホテルマネージャー養成講座で一緒に学んだ仲間たちから次のステップに乗り出す勇気をもらい、また、職場の社長をはじめ、上長や同僚からの温かな励ましに背中を押され、2022年9月、ペンシルベニア州立大学博士課程での学びに駒を進めました。


▲プロフェッショナルホテルマネージャー養成講座で、仲間とともに課題に取り組む根来氏

 

日本に「ホスピタリティ経営学」を、観光業でキャリアパスを描けるように

─ ペンシルベニア州立大学を進学先に選んだ理由はありますか。

最終的には4つの大学から合格通知をもらいました。その中から、私が学びたい人事や人財育成の内容の充実度、大学のランキング、援助してもらえる金額といった点を総合的に判断して決めました。

学費については、修士課程ではさまざまな奨学金をとり、アルバイトもしましたが、基本的には自身で負担しました。今通っている博士課程では、学費と保険はすべて学校側が負担してくれ、そのほかに週20時間分のアルバイト料に相当する金額を受け取っています。ありがたいことですが、その分求められるものは厳しいです。投資するに値するかどうかを大学側が厳しく判断、選抜し、進級試験に落第すればその時点で退学です。


▲博士課程1年目の少人数授業で、担当教授とともに学んだ仲間と

─ 社会人としての6年間を経て、再び学びのサイクルに入られました。苦労している点や、逆に強みに感じることはありますか。

修士課程では、社会人経験をもち、働きながら大学院に通う人も多かったですが、博士課程で一緒に学ぶ仲間たちは、大学を卒業してそのまま修士、博士課程へと進んでいる人がほとんどで、25~26歳が中心です。その中で私は6年にわたる現場での実務経験を経て学びの場に戻ってきました。学んだことを取り戻すのが大変という点での苦労はあります。その一方で、ホスピタリティ経営学の博士課程の中では、10年間の社会人経験をもつ私のような人は、日本だけでなく海外でも非常に珍しい存在だそうです。見える視点も、ほかの学生たちとは違いますし、現場経験に裏打ちされた説得力は強みだと感じています。


▲博士課程では学部生の授業サポートも担当。授業の一環として開催されたホスピタリティ業界で働く卒業生と学部生の懇親会の様子

─ 最後に、今後の抱負をお聞かせください。

私は常々、ホテル業界は伸びしろしかないと思っています。昨今、さまざまな問題点を抱え、無理難題もありますが、裏を返せば、それだけまだ改善の余地があるということです。ホテル業界で働く魅力と、ホテル業界からの離職という背中合わせのテーマを研究し、アメリカで教えられているホスピタリティ経営学をしっかり吸収したうえで、日本のホテル業界に応用したプログラムを作っていきたいと考えています。私自身が学生時代にもっと知っていたかった、業界で成長していくためのキャリアパスをいずれ学生たちに教えることが目標です。教育なり、体制なりを改善していくサポート役を務めることで、何よりホテル業界を目指す学生さんや今働いている方々が、楽しく誇りをもって働ける環境づくりにつながればと思います。

─ 貴重なお話をありがとうございます。今後のご活躍を心より応援しています。

文:堀岡三佐子

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