インタビュー

「不便さ」を武器に。わずか7軒の限界集落に建てた宿「ume, yamazoe」が提案する価値とは

2023.03.24

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人口減少と高齢化に加え、都市部への人口一極集中が進む日本では、全国で900近い市区町村が2040年には「消滅可能性都市」になると予測され、特に農山村地域ではより深刻な問題となっている。

移住定住だけでなく交流人口や関係人口を通じて地域を維持するという動きが加速するなか、奈良県の西端、三重県との県境に位置する人口3000人の山添村では2020年、限界集落地域に古民家を改修した宿「ume, yamazoe」がオープン。アクセスの悪い山間部という立地を生かした「不自由なホテル」というユニークなコンセプトが、特に20~30代の共感を集め、稼働率90%を維持、数カ月先まで予約が入るほどの人気ぶりだという。「自然以外何もない不便さ」を武器に、自然の中で自己を見つめ直し、新たな価値を提案する「ume, yamazoe」の支配人である梅守志歩さんに、農山村エリアでの地域づくりについて伺った。

 

山添村へ移住、多忙な日々が自然との暮らしを考えるきっかけに

─ 梅守さんは、2020年に古民家を改修した宿「ume, yamazoe」をオープンされましたが、そのきっかけは山添村に住み始めたことだそうですね。どういう経緯で移住することになったのでしょうか。

元々は大学卒業後に大手IT企業に就職し、大阪で働いていたのですが、実家が奈良市で寿司の製造販売業を経営していたので、父に3年経ったら家業を手伝うようにと言われていました。なので、その約束のもと25歳の時に会社を辞め、家業の梅守本店に入社しました。そこで、店舗販売から、寿司工場の運営、経営企画までなんでもやりましたが、中小企業ならではの仕事量や煩雑さに、だんだん自分自身が何をしたいかを見失い、いろいろと悩むようになってしまったんです。そんな時、写真家の星野道夫さんの書かれた「旅をする木」を友人が薦めてくれて。アラスカの厳しくも美しい自然や、歴史や伝統を大切にしながら暮らす人々の話を読むうちに、自然が生み出すリズムに癒やされていったんです。自分の呼吸のリズムを取り戻せたというか。

それで自然の中で暮らし、働ける仕事はないかと考えるようになりました。家業の本社がある奈良市に通える範囲の田舎を探す中で、家業の主力商品である「手毬わさび葉寿し」に使うわさび葉の生産農家さんがいて、仕入れの関係で父の知人が多かったこともあり、山添村で暮らすようになりました。山添村の中でも私が住んだ地域は、他所から入ってくる人を受け入れる土壌ができていたので、田舎暮らしもスムーズに始めることができたのも、今思うとすごくよかったです。

 

暮らしの中で地域の魅力発掘、500人以上のインバウンド客が訪れる事業創出

─ 実際に暮らす中で、何か変化はありましたか?

山添村で生活するようになり、週末に自然の中で遊ぶようになると、お金をかけず楽しめることがたくさんあることに気づきました。

また、地域の方とお話しするうちに、スーパーで買っていた味噌や漬物は、季節の手仕事の延長にあることや、野菜をはじめとした作物を作る上で自然の力を活かした栽培方法などの工夫を教えてもらいました。そういった昔から伝わる知恵や工夫、季節に合った暮らし方って実は理にかなっていて、四季に関係なくなんでも揃う都会やネット社会の中で過ごしてきた私にはとても興味深く面白かったんです。この地域に住む方たちの生活の知恵が伝えられたらとの思いもあり、地元の農家さんたちに協力してもらい里山の暮らし体験や農家民泊の企画を考えるようになりました。


▲地域の人が育てる新鮮な野菜、豊かさを感じられる瞬間

─ 地域ならではの魅力を見つけたのですね。それをどう仕事に結びつけたのでしょうか?

本社である梅守本店に提案したところ、新事業としてスタートできることになり、山添村の人たちと地域協議会を作り、役場の地域振興課と連携して事業を推進していくことになりました。民泊プロジェクト自体は、なにか投資が必要だった訳ではなかったので、比較的早く収益化もでき、順調に進めていけたんです。

さらに、梅守本店の事業の1つに、主に訪日客向けの寿司職人の仕事を体験できる「うめもり寿司学校」というコンテンツがあるのですが、そこでの経験を活かし、山添村の特産品である大和茶の茶摘み体験ツアーができないかと旅行会社に売り込んだんです。2年ぐらいかかりましたが、富裕者層を扱う旅行会社と協業し、イギリスから顧客を受け入れました。


▲ティーピッキングに参加してくれた外国人のお客様と

その頃からインバウンドも有名観光地だけでなく、体験や地域に根付いたオリジナルツアーへの関心が高まっていたころで、村の生活をリアルに体験できる農泊はニーズがうまく合致したんです。結果、2018年から1年で500~600人ほどのインバウンド客が山添村に来るようになりました。そこから観光ツアーだけでなく、香港、台湾、中国からの研修事業へと発展していったんです。

 

朝日が昇る絶景をより多くの人に見せたいと、宿泊施設の開業を決意

─ 民泊に携わった経験とホテルの経営とは、規模の大きさや求められる質の違いといい、全く別のものだと思うのですが、どのような経緯でその決断に至ったのですか。

最初はツアー体験などで自由に使える場所が欲しいというぐらいの話から、家を探し始めたので、本格的な宿泊事業をやろうとは思ってもいませんでした。それが地元の方に、空き家を案内していただくうちに、旧波多野村の集落の頂上にある村長さんの家で、目の前から朝日が昇り、雲海も立ち上がる絶景を見せていただいて。その時に、この素晴らしさを感じるには、ここに宿泊してもらうしかないという気持ちが湧き起こったんです。ちょうど、農林水産省の農山漁村振興交付金を活用すれば、古民家改修などに必要な経費を支援してもらえることを知り、それが決め手となりました。

ただ、関わった者全員が宿泊施設の建設や改修に携わったことがなかったので、何もかも手探りの状態からのスタートで、今思えば大胆な決断でした。3年ほど空き家だったうえ、最後は村長さんが1人で暮らしていたので使われていない部屋も多く、あちこち傷みも進んでいて、修繕費はかなり膨れ上がりました。新築を建てた方が早かったぐらいです。総工費に対して「上限1億円の半分を補助」という制度だったんですが、補助の対象とならない解体費用などもあり、1億円を少し越えてしまいました。


▲頂上から眺める朝日、この景色が宿をやるきっかけとなった

─ その事業に対して、社長であるお父様やご家族の反対はなかったのですか?

そこがうちの会社のよいところで、もともと梅守本店は、国籍や人種、性別、障害や病気にとらわれず、みんなが楽しめる時間や場所を提供することを目的に「うめもり寿司学校」という事業を立ち上げました。それが多くの人に受け入れられ、たくさんの方に喜んでいただけたということもあり、このミッションから大きくブレていなければ何をやっても良いという会社だったので、父も背中を推してくれました。

 

地元の方の理解を得るため、2年がかりで関係構築に取り組む

─ 梅守さんの決断のタイミングが時代とうまく合っていたのだと思いますが、補助があったとはいえ、空き家の改修に加え、近隣の方々の理解を得るなど大変だったのでは。さらにコロナ禍での開業ということで不安はなかったですか?

近隣の方との調整は本当に大変でした。私がもともと住んでいた場所は、山添村の西側、奈良市に隣接した場所だったのですが、宿泊施設を建てた地域は、東側の三重県に近い場所で、周辺の民家が7軒ぐらいしかない集落。住人同士の関係性も密で、私たちは、よそ者という目で見られていました。今までのようなコミュニケーションが通じず、いろいろ厳しいご意見もいただきました。例えばホテルに来るまでの道に関しても、村の人たちは土地を少しずつ提供して、日常生活のための道を作ってきた地域だったので、施設の改修工事のための車が道路を使うことも良く思われませんでした。静かに暮らしてきたところに、いろいろな人が来て、騒がしくされ、ゴミが増えるんじゃないかという不安も大きかったようです。

─ そこをどのようにして理解していただいたんでしょうか。

開業のスケジュールを考えると、反対があっても着工し、工事を進めたかったのですが、途中で何度も工事をストップさせました。私としては「このまま人口減少が続くより、観光で訪れる方や住みたいと思う方が増えていくことが村にとってもよいことだ」と考え、この事業を進めたいと思っていました。一方で元々住んでいた方達には「村を大切に維持してきたし、このまま静かに暮らしていきたい」という思いがありました。どちらも村を好きで大切にしていきたい部分は変わらないけど、起こすアクションは正反対です。どちらも正しいので、自分の考えを押し通すのも違うと思いました。歩み寄れる部分は歩み寄りながら、お互いが納得できる落とし所を探すことに多くの時間を割きました。宿の近くに住んでいる90歳の長老のところには、話すことがなくなるぐらい毎日、通い続けました。結果的には、ここで村の方から教えていただいたことも多く、じっくり関係性を作り上げながら進められたことが、却ってよかったと思っています。


▲村の人たちもふらりと立ち寄って宿泊客とお喋りを楽しむことも

 

不便な場所だからこそ、「1日3組」限定の小さな宿に

─ 苦労と努力の末、誕生した「ume, yamazoe」なんですね、宿泊客数が1日3組限定というのもこの地域の特性と関係があったのですか。

場所も不便な山奥で、人がたくさん来るというイメージもなかったので、私自身もこの土地の持っている豊かさを大切に、宿泊事業をやろうと思っていました。だから大勢の人を呼ぶことはあまり考えていなかったんです。もともと、ここには母屋、農機具小屋、離れ2軒、蔵があったんですが、自然の流れを感じながらゆったりと考える空間にするために、2つの離れと蔵を使って3組限定の宿にしようと決めました。1つは最大2名利用の専用バスルーム付きの部屋、あとの2つは、最大8名まで利用できる部屋で、1つは専用の半露天風呂付となっていて、プライベートが保てる造りとなっています。


▲母屋はダイニングルームやデザイン性のあるゆったりした空間が広がる

ここでは美しい自然の営みをゆっくり感じてもらいたくて、大きな窓から景観を眺められるようになっています。また、大切に受け継がれてきた築100年を越える家の歴史を感じてほしくて、太い大黒柱も美しい欄間も、庭の梅の木もすべて残しました。少しの隙間風や小さな生き物たちの訪問も受け入れてもらえたらと思っています。

▲宿の部屋からは集落が一望できる

さらに、敷地内のフィンランドサウナもとてもこだわりを持ってつくりました。というのもサウナには感覚を拡張するような効果もあるので、季節ごとに違う風のにおいや温度、鳥の鳴き声など、普段気に留めないような自然の面白さも感じたり楽しんでいただきたいと思いました。風の流れと木材の特徴をよく理解して、マッチ1本で長く消えない火を起こす、薪割体験も好評です。とてもプリミティブなワークショップですが、都会では気付きにくい、何万年も続いてきた人間の本能的な感覚をトータルで味わってもらえたらと思っています。

 

ターゲットに合わせたプロモーションで、稼働率は9割を維持

─ お客さんにはどのような層が多いのですか。

客層に関しては、事業を始める際に、ペルソナをしっかり作ったんです。比較的宿泊単価は高い宿なので、可処分所得が多い層に絞り、2つのターゲットを考えました。1つ目は、都会で働く、情報感度が高いアクティブな20代後半から30代の女性、もう1つは、仕事もプライベートも充実させたい30-40代男性(≒アウトドアも好きなファミリー層)です。

サウナブームの少し前に、敷地内にフィンランドサウナを作ったこともあり、初めはサウナ目当てのお客様も多かったのですが、自然や建物のデザイン性の良さや、宿の世界観など、ターゲットにフィットするものも多かったようで、リピーターも増えています。

こうした方は、情報に敏感で、インスタからの流入が多いです。ターゲットと相性がいいインフルエンサーの方たちを招待し、情報発信したこともうまくハマったと考えています。

集客は、自社サイトからの予約が7~8割を占めます。来られた時に次の予約を取っていくパターンが増えており、週末は半年先ぐらいまで埋まっています。稼働率は、ほぼ90%と順調で、建築にかかった費用はだいたい回収できています。これは想定していたより早いペースで、良い意味でびっくりしています。また自然の中でゆっくり過ごしたい50~60代の方たちの集客は、OTAを中心に確保できています。

いずれにしても、ターゲットをきちんと最初に設定することで、プロモーションも効率的に行えた結果の積み重ねが、安定した集客に影響していると考えています。

 

この場所で自然に身を置くことで、優しい気持ちを取り戻すきっかけにしたい

─ アクセスの良くないこの地域に、お客様が来ていただける理由は何だと思いますか。

「不自由なホテル」というコンセプトをはっきりもたせたことがよかったのではないかと思います。開業するにあたって、工事前にも、周囲の人に反対を受けました。反対を受けるたびに、何のためにやるんだろう、本当にやる意味があるのか、ということまでオープン前に考えるタイミングがたくさんあったんです。

自分のやりたいことのコアな部分を考えぬくと、その根っこには、自分の家族が幸せである世界をつくりたいという気持ちがありました。私には重度の精神疾患がある姉がいます。大きな声で騒いでしまうことも多く、異質な目で見られたり避けられたりすることもたくさんあって、私自身、世の中に対して少し憤りを感じた経験がありました。

世の中に憤りを感じているだけでは、姉が楽しく暮らせる世界にはなかなかならない。だったら少しずつ人がやさしい気持ちになるきっかけや感覚を取り戻す場所を作りたいなと思ったんです。

例えば、自然の中で片足を失ったカマキリがいても、それは個体ごとの違いでしかなく、生きていく上で差別されることなく、ただそのまま生きています。人間も同じで、誰しも1つ1つ違いがあり、出来ないこともある。それを許せたり、愛せたりすることができれば、すごく温かい世界になると思います。


▲お姉さんの梅守彩希さん(左)と志歩さん(右)

なので、この場所を通じて、日常の便利なものから全て一旦離れて自然の中に身を置き、いろんな自分の中の感覚や、やさしい気持ちに気づくことができるといいなと考えています。観光業や宿泊業をやるというより、文化を作ったり、価値観を作ったりして、その人の人生を変える場所を目指しているのですが、このホテルの持つ世界観を、お客様がなんとなくでも感じ取っていただけているようで、それが本当に嬉しいです。

 

地域で採れた新鮮な野菜を宿の食事に、地元の人が働く場所にも

─ この環境を活かし、ゆったりと贅沢な空間で過ごせることが、より「ume, yamazoe」の良さを伝えることに繋がったんですね。地域の方々は現在どのように受け入れてくれているのか、また、どのような影響を与えていらっしゃると思いますか。

地域の方々も宿がオープンしても、うるさくならないし、心配されていた騒音やゴミの問題が起こらないことがわかってもらえて、徐々に受け入れてもらえました。近隣の方が家庭菜園でお野菜を作っているので、余った野菜を買わせてもらっています。朝、採れたてのレンコンや筍を持ってきてくれたり。今では直売所やスーパーで野菜を買うことがないほどです。お客様にはその新鮮さも人気の一つです。家庭菜園のおばあちゃんたちからは、肥料を買うおこづかいが出来たと喜ばれています。働いてくれているスタッフも地元の方が多く、20代の方やUターンで戻ってきた方、近所に移住してきたアメリカ人の方など、新たな就労場所になっていると思います。


▲野菜を持ってきたついでにお喋りをしたり、手伝ってくれたり、緩やかなコミュニケーションが生まれる

 

20~30年後を見据え、環境保全と経済活動の両輪を目指して

─ 普通だったら、この限界集落はデメリットと感じる場所ですが、梅守さんの視点だとメリットに転換されている気がします。今後、梅守さんはこの場所でどういったことをやっていきたいと思っていますか。

小さな集落だし、誰かの暮らしの隣でやっているのだから、その人の暮らしを見て、自分もその人の暮らしに近づいて、寄り添っていきたいと思います。お客様にもそういう感覚でいてほしいなと思います。

実はいま、宿の裏山の整備を検討しています。杉の木が育ちすぎると、その影響で山の水の通り道がなくなり、土砂崩れや倒木などの危険性が高まります。一方で、山林を活用した木質資源での電力発電や、自然を活用した様々なプロダクトなど、少し視点を変えてうまく循環させれば、現代においても価値を生みだします。
この場所で自然と共に暮らすなかで、自然が生み出す問題を解決しながら、人間が生きて行くうえでの資源として活用したいと思っています。


▲宿の裏側にある大きな山

よく、自然の中で暮らすと経済的な活動が遠くなるように考えられがちですが、人が生きている世界は経済的な活動も切り離せないものです。自然の中で暮らし、事業をしている私たちだからこそ、自然によって生じる問題の解決に向けて、多くの人がメリットを感じる価値を見つけて提案できるのではないかなと考えています。環境保全と経済活動の両輪を回していくこと。それがこれからの20年、30年に向けて大事なことだと思っています。

(写真提供:ume, yamazoe)

取材/文:黒田直美

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