インタビュー

観光MBA取得を転機に、民間企業からDMOへ。学び直しを成功させる出口戦略の必要性

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人生100年時代という言葉が盛んに聞かれるようになった。長寿化により、働き方や生き方も多様になった現在、社会人になってから再び教育の機会をつかみ、次のステップへとキャリアを進める働き方が注目を集めている。

観光業界で活躍し、学び直しに挑戦した人々は、その機会をどのようにとらえ、いかに次のステップへ踏み出したのか。観光業界におけるリカレント教育の現場をインタビューでお届けするシリーズ2回目。今回お話を伺ったのは、現在、一般社団法人金沢市観光協会でCMO(最高マーケティング責任者)として活躍する遠藤由理子氏。

遠藤氏は、大手旅行会社に32年間勤務した後、50代で京都⼤学経営管理⼤学院観光経営科学コースに入学した。健康であれば70歳でも80歳でも働いていたいと、人生100年時代をしなやかに、そして力強く歩む遠藤氏が、MBAでの経験を振り返り、学び直しがもたらす未来への展望とともに、どうアウトプットするかの出口戦略の必要性と難しさについて率直に語ってくれた。

 

旅行会社勤務32年、キャリアを手放して学び直しの場に飛び込む

─ 大学院での学び直しに挑戦するきっかけを教えてください。

私が京都大学大学院の観光経営科学コース(以降、観光MBAコース)に入学したのは2018年4月になりますが、入学する前年の8月、日経新聞に、京大大学院に観光MBAコースが来春開講されるという記事が掲載されました。日本の観光の未来を背負って立つ人材の育成! 読んだ瞬間に心が動きました。京大のほかに、東京でも観光MBAを開学する大学があるということでした。

旅行会社に30年以上勤め、53歳だった当時、部長職を務めていました。肩書もあり、部下もいて、この先60歳の定年まで安泰に勤められるかもしれない。一方で人生100年と言われる中、違う可能性を模索したい気持ちもあり、これが最後のチャンスかもしれないと思いました。2017年と言えば、ちょうどインバウンドも伸び盛りの時期でした。

2000年からインバウンドビジネスに関わり、なかでも富裕層事業は立ち上げから担当し、知見も深く、日本の観光をアピールするアンバサダーという自負心もありました。ただ、あくまでイチ企業の立場で見てきたわけです。観光産業でこの先も働こうという意志にブレはありませんでしたが、より広い視野で、理論的な視点で観光産業を見つめ、違う立場から日本の観光を世界に発信していきたいという思いが強まり、悩んだ末に受験を決めました。

─ 受験をすると決められたとき、ご家族はどのような反応でしたか。

受験を決めたとき、長女は大学受験、長男は高校受験を控え、最初は家族にも言い出せませんでした。京大と東京の大学院の二校を受験し、両方合格。家族からは最初、自宅から通える東京の大学院を勧められましたが、京都に決めたのは、これまでずっと東京で仕事をしていたため、関西にもネットワークを広げたいと思ったからです。最終的には家族も賛成してくれ、旅行会社を退職し、2018年4月、京大⼤学院観光MBAコース第一期生となりました。子供たちは、送り出してくれたあとは、京都の大学院で単身勉強する母親を誇らしく思ってくれたようで、それはうれしかったですね。

 

学びをモノにするかは自分次第、グループワークの苦労が今活きる

─ 京都では、どのような学生生活を送られましたか。

1年目は経営の基礎である、経営戦略、マーケティング、統計学などの基礎科目を中心に学びました。覚悟はしていましたが、予想以上に大変で、時間があれば図書館で課題と向き合い、1日に13時間は勉強の毎日でした。

当初は年齢のこともあってついていけるか不安でしたが、ビジネスの実務経験がある人と、ない人では議論の中での発言力はまるで違いました。ひと月経つころには、しっかりやれば若い子にも負けないかな、と自信が出てきました。大学院の授業は、モノにするも、無駄にするも、とにかく自分次第です。議論では、否定されようが論破されようが、発言しないと損だと、授業中に1回は発言することを自分へのミッションに課しました。

─ とくに印象に残っている授業はありますか。

おもしろかったのは、実は観光以外の科目で、「経営戦略」「マーケティング」「イノベーションマネジメント基礎」などです。

観光MBAコースの第1期生には、旅行・観光業、ホテル業などの経歴をもつ、30代から50代までの、私を含め8名が入学しましたが、経営戦略やマーケティングといった基礎科目は、観光MBA以外の、ファイナンス系や新規事業系といった他のコースの方々とも一緒に学びます。

経営戦略は、おもしろかったのと同時に辛かったという意味でも印象に残っています。いくつかの授業ではグループワークが課せられましたが、一番大変だったのが、「経営戦略」でした。決められたグループ内でそれぞれ役割分担をし、2カ月ほどで1つの課題をまとめ上げます。さまざまなMBAコースで学ぶ6人から成るグループのうち、半数以上は海外からの留学生で、日本語があまり得意でない人もいました。ビジネス経験者もそうでない人もいますし、仕事をしている人、起業を目指す人など、それぞれの目標もスケジュールもバラバラでした。かなりハードな状況でしたが、押したり引いたりでメンバーをまとめ、最終的に1つのものに練り上げる力がついた、という意味では大きな収穫でした。現在私がDMOで担当している国の事業でも、異なる目的や方向性をもった事業者といかに連携し、事業を推進するかが悩みどころですが、このグループワークでの経験が大いに生きていると感じます。

 

授業を通じた人間関係が、モチベーション向上にもつながる

─ 授業を通して、ほかに得られたと感じるものはありますか。

授業を通して育まれた横のつながりです。お互い励まし合う仲間の存在は大きく、また、自分とは全く異なる視点で非常におもしろい発言をするユニークな人材や、学びに対して貪欲な方とも出会え、刺激になりました。彼らに触発されて、私も自分の体力と時間が許す限りはひたむきに学ぼうと、積極的に横断授業にも手を伸ばしました。


▲勉強に明け暮れる日々、大学院の仲間とのホッとするひととき。写真右端が遠藤氏

─ 横断授業というのはどういったものですか。

これは、MBAで履修が求められている必修科目や専門科目とは別に、ほかの学部で開講され、単位としてカウントされる授業になります。観光MBAコースの学生にオススメの授業を先生方がいくつか紹介されていて、そこからも選ぶことができます。

たとえば私が受講した「イノベーション」の授業は、情報学を学ぶ学部生に推薦されている授業ですが、私たち院生にも推薦されていました。クラスメートのほとんどは18歳や20歳といった若い学生たち。彼らの発想力は新鮮で、先生も議論好きとあって、白熱した議論が生まれることもしばしばでした。世代や専門を越えた学びができる点は、京大の大学院で学ぶ醍醐味の1つだと思います。


▲大学院のマーケティング講義の最終公開授業を終えて、教授や仲間たちと

やろうと思えばさまざまなことにチャレンジできるし、用意されているチャンスも多く、あとは手を挙げるか挙げないか次第。インターンのチャンスもそのうちの1つでした。

 

ウィーン観光局のインターンで学んだ、欧州DMOの先進的な取り組み

─ インターン先や、そこでどのような経験をされたのか教えてください。

大学院2年目の2019年8月、オーストリアのDMOであるウィーン観光局に1週間行きました。事前に希望者を対象にヒアリングがあり、学校側がマッチング先を決めました。私は研究テーマをインバウンドの富裕層ビジネスに決めていたことから、富裕層をターゲットとしたプロモーション活動を実施しているウィーン観光局に決まりました。

先端を歩んでいると話に聞いていた海外のDMOを実際目の当たりにし、規模の大きさや強固な組織体制に驚かされました。MICE部門、富裕層誘致部門、データ分析部門に分かれ、それぞれの部門のミッションも明確化されています。数値管理も徹底され、外部の投資家に対して数値データを公開し、なぜならば、の事業背景をきちんと説明しています。財源はほとんど宿泊税ですが、宿泊税に貢献度の高い4つ星ホテルや5つ星ホテルがより誘客につながるような事業支援が行われていました。


▲大学院2年目の夏にインターンで訪れたウィーン観光局で、現地スタッフと

観光MBAコースの中では、私のほかにもう一人、ウィーンのMICE部署に行った方がいるほか、国内DMOの京都市観光協会でインターンした方もいました。いずれにせよ、第1期生は新型コロナウイルス感染症拡大前でしたので、国内外の現場で経験するチャンスに恵まれていたと思います。

先ほども申し上げた通り、大学院ではやろうと思えばいろんなことができますし、私自身、やれることは十分やったと思い、2年間のMBA生活を終えました。

▲2020年3月の卒業式で、ともに学んだ仲間と

 

卒業後、希望の仕事に就く目途が立たず悪戦苦闘の1年間

─ 大学院を卒業後、次のキャリアをどのように築いていったのでしょうか。現在(一社)金沢市観光協会でCMOのポジションに就いていますが、そこに至る経緯を教えてください。

卒業後の次のキャリアを築く勤務先を探し始めたのは、大学院2年目の秋ごろからでした。入学前から、DMOを選択肢の1つに考えていましたが、DMOに限らず、さまざまな公募にチャレンジしました。前職の伝手も頼り、また、観光に限らず、調査研究を行うシンクタンクを含め、自分のキャリアとスキルが役立ちそうなところはすべてアプローチしましたが、なかなか決まりませんでした。卒業したのはちょうど新型コロナウイルス感染症が拡大する真っ只中の2020年3月とあって、タイミングも最悪でしたが、現実の厳しさを目の当たりにしました。卒業時点では進路が決まらず、7月からまったく畑違いの仕事をしながら、観光業に関わる仕事を探し続けました。

卒業してちょうど1年後の2021年春、金沢市観光協会の公募を見つけました。金沢は富裕層戦略を行っているエリアとして有名でした。それほどなじみ深い土地だったわけではありませんが、自分と目指す方向性が一緒で、これまでの経験を生かせるポストだと、ピンと来ました。給与などの待遇も自分のモチベーションを維持して働ける条件であることにも納得し、応募しました。

採用が決まり、2021年7月からCMOとして働き、現在は、インバウンド客の金沢への誘客と事業者支援をメインに、コンテンツ開発、観光庁の事業など、さまざまな業務を行っています。また、インバウンドの知見を生かし、近隣地域のインバウンド誘客に関するアドバイス支援をしたり、講演で登壇する機会もいただいています。


▲2022年9月に行われたVISIT JAPAN トラベル&MICE マートで。海外からのバイヤーとの商談にのぞんだ

 

卒業後のキャリアを具体的に描く重要性、国も推進のサポートを

─ 大学院での学びを転機にセカンドキャリアをスタートし1年以上が経った今、学び直しとキャリアチェンジについて、どのように感じられていますか。

私の経験を踏まえてお伝えすると、学び直しを考えている方に伝えたいのは、2年間学んだあと、どのような分野でどんな仕事をしたいのかという出口戦略をしっかり持ってほしい、ということです。それを実現するうえでのネットワークなど、ある程度の目途を持っておくことも必要です。私の場合、年齢という足かせがあったことは否めませんが、卒業後の進路は、観光産業での仕事をライフワークとし、組織に属しながら、民間営利団体とは異なる分野でチャレンジする、といった漠然としたイメージしか描いていませんでした。ここが新たなキャリアを築くうえでのハードルであり、反省点の1つです。MBAを取得すれば何とかなるだろうと楽観的に考えていました。周りでも、新しく事業を始めるとか、再就職目指して勤務先を探すぞ、といった声を耳にすることがありますが、自分が希望する職種や条件を挙げていくと、そう簡単なことではありません。その厳しさを理解したうえで、今の仕事を辞め、学び直しをしたいのかを見極め、覚悟を決める必要があると感じます。

他方では、国としても、学び直しやリカレント教育をこれからもっと推進していくのであれば、学び直しをしたい人が次にチャレンジできるフィールドを用意して斡旋したり、学び直しを行った人材をとる意義を、企業や自治体にもっと啓蒙したりすることが必要と思います。とくに観光産業は日本でまだ市民権を得ていません。しかし、いずれは基幹産業のトップになる可能性を秘めているのです。そこをもっと打ち出すべきですし、リードしていく人財を育成するのであれば、学び直したあとに活躍する場のフローを作っておかなければ、必死になって勉強しても再就職できず、結果的に観光業を離れてしまうというケースが増えかねません。

─ 実際に学び直しをされた、ご自身の経験と反省を踏まえての言葉に説得力を感じます。

 

大学院での学びを、いかにして観光業界に還元するか

─ 最後に、大学院の学びを現在、そして、これからどう生かし、セカンドキャリアを充実させたいか、展望をお聞かせいただけますか。

現在、DMOに入って1年半ほどが過ぎましたが、大学院での学びをダイレクトに活かして地域の観光マネジメントに貢献できるようになるには、まだ時間が必要と感じています。とは言え、DMOは日々進化しています。その1つが、私のような新しい人間を採用し、外からの新しい風を吹かせようということでしょう。


▲2022年11月ロンドンで行われたワールド・トラベル・マーケットに参加し、現地の旅行会社やメディアと商談を行った

また、人材不足や生産性向上のためのデジタル活用が社会で求められる中、DX人材の確保や数値に裏付けされた観光戦略の必要性を実感し、組織と共に課題感を共有しながら、その推進に向けて動き出したところです。

組織が進化、発展する中で、組織の一員として最大限のパフォーマンスを上げることを第一義に、私の旅行業界での経験とMBAで得た学びを掛け合わせて貢献していくことが、DMOという組織における私の今後の課題であると感じています。

─ 貴重なご経験をお聞かせいただき、力強いメッセージをありがとうございます。

取材/文:堀岡三佐子

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