インタビュー
余市町のなだらかな丘陵地で実ったワイン用ブドウが現地で醸造され、世界一予約が取れない北欧のレストラン「noma(ノーマ)」のワインリストに載る。ワイングラスの「リーデル」が世界で初めて自治体と包括連携協定を結ぶ。ふるさと納税8億円のうち約30%をワインが占め、2022年に取り組んだNFTを用いたふるさと納税は受付開始3分で全返礼品に寄付が集まった。
2018年の町長就任以降、ワイン用ブドウの生産地である余市町の名が一躍知られるようになった全ての仕掛けに、この人がいる。2022年に2期目の再選を果たした齊藤啓輔町長に人口約1万8000人のまちから始まる地域戦略を聞いた。
綿密な戦略に基づく「noma」ワインリストへの道
─齊藤町長が北海道の公職に就かれたのは、外務省時代に手を挙げた地方創生人材支援制度で2016年に人口約3000人(当時)の天塩町副町長に就任されたのが皮切りです。天塩町での経験が現在に活かされていると感じることはありますか。
天塩時代に一番実感したことは、北海道は「食や自然の宝庫」と言われているけれどそのポテンシャルを十二分に活かしきれていない、ということでした。今後の日本の行く末を考えると、日本全国の首長が自らの管轄エリアで成長産業の芽を伸ばしていくことに取り組んでいかなければ、日本全体が沈下してしまう。その思いもあり、北海道に残る道を選んで現在に至っています。
天塩は天塩、余市は余市。どの自治体にも強みが必ずありますから、起点はそこをしっかり見極めるところから。それぞれの土地にあった戦略立案が必要で、余市の場合はそれがワインであるというシナリオです。
▲JR余市駅併設の余市町観光物産センターにはワインテイスティングのサーバーを設置している
─齊藤町長が就任される以前の2011年に町は「北のフルーツ王国よいちワイン特区」を取得。その後ワイナリーが爆発的に増え、現在町内には16のワイナリーと50以上のワイン用ブドウ農家さんがいらっしゃいます。
その中でもやはり、ピノ・ノワールの名手である曽我貴彦さんのドメーヌ・タカヒコの存在は非常に大きいですね。彼の元でお弟子さんたちが育ち、また新しいワイナリーが加速度的に増えていく。いい流れが出来上がっています。
もちろん、ワイン以外のことを何もやっていないわけではないですよ(笑)。マーケティングとブランディングの手法にのっとって、あえてワインを「目立たせている」。世界の美食家たち“フーディ”を唸らせているデンマーク・コペンハーゲンの「noma」のワインリストに、タカヒコさんの「ナナツモリ ピノ・ノワール2017」が載ったのも、「noma」が世界一のレストランだから売り込んだというよりは、北欧と北海道は狩猟採集や発酵・燻すといった食文化に親和性があり、評価してもらいやすいというロジックがあってのこと。行政として公金を使う以上、緻密な戦略に基づいて地域の所得を安定的に残せる方向に舵を切っていく。それが首長の役目だと思っています。
▲余市町でワイン用ブドウの栽培が本格的に始まったのは1984年から(提供:余市町)
─町内のブドウ生産者に対してヨーロッパで人気の赤ワイン品種ピノ・ノワールや白のシャルドネへの品種転換に対して補助金を手厚くするといった思いきった施策も打たれています。新しいことを始める際の「合意形成」という点では、どのようなことを心がけていらっしゃいますか。
戦略と現場を結ぶ、通訳のような人材は必ず必要だと考えています。2021年度に日本人初のマスター・ソムリエ(イギリスで設立された資格認定機関The Court of Master Sommelierの最高ランク)である高松亨さんや食とワインに強いライター・編集者の本間朋子さんを「余市町地域おこし協力隊」に任命したのも、その一環です。リーデル社をはじめ、カルディコーヒーファーム、ニトリといった民間の方々とも積極的に連携することで、町内にもきっと当初の目的以上のものが生まれるはず。そこに期待しています。
これは余市に限ったことではないですが、今、地方の財務状況はその大半を地方交付税等の依存財源に頼っている現状です。そうすると、従来の考えであれば「出」を削減しようとしますよね。そこを僕は「入り」を増やすことに注力している。その手段がワインであり、官民を超えたネットワークで取り組んでいます。
トライブマーケティングの視点で打ち出すふるさと納税
─コロナ禍でいっとき世界の観光産業が止まり、北海道からもアジアからのインバウンドが姿を消した時期がありました。
駅前にあるニッカウヰスキー余市蒸溜所や魚介が売りの柿崎商店を目当てに来るマスの層は、確かに一時期動きが止まりました。ただ、今、余市が注力しているワイン産業は、フーディを含む世界のトップティア層をターゲットにしたもの。彼らのライフスタイルを考えるとその動向に大きな変化はなく、むしろ雪国独特の自然を持つ北海道が再評価されています。
単に「北海道観光」という大きな括りで見るのではなく、例えばアドベンチャートラベルが好きな層、アートに関心がある層、フーディの層といった特定の興味や趣味嗜好を持つ集団に向けて発信するトライブマーケティングの視点が重要です。
▲JR余市駅前にあるニッカウヰスキー余市蒸溜所は入場無料。コロナ以前は年間60万人が訪れた
─お隣の観光都市・小樽との連携はいかがですか。
ANAのふるさと納税ポータルサイトでは「世界が認めた余市のワイナリーをめぐる2泊3日の優雅な旅」と題したツアーを組み、小樽芸術村見学ツアーも盛り込みました。これは先ほどのトライブマーケティングでいうと、アートの文脈。小樽の西洋美術館やステンドグラス美術館のコレクションは一見の価値があるものが多く、小樽はアート、余市はワインと住み分けながら協働していくことが可能だと考えています。
─ふるさと納税にNFT(Non-Fungible Token)も取り入れたとか。
NFT関連の返礼品所有者が余市に来たらNFTイラストがレベルアップする機能を実装し、他に特典として余市の人気ワイナリーのワイン優先購入権の抽選権利も付与しています。NFT導入のポイントは、現実世界とのユーティリティをどう付与するかです。ふるさと納税の応募開始3分後にはNFT関連の全返礼品に寄付が集まったことからも、カルトワインのような存在になりつつある余市町のワインの資産性を知る人たちにささった事例だったと実感しています。
ふるさと納税は現在8億円近くの寄付が集まり、そのうち約30%がワイン関連です。トップティア層にうったえかけるものは供給量に限りがあり、おそらくこれ以上量を増やすことは難しい。そうすると次はマスの層が気軽に手を伸ばすことができるコンテンツを広げて、今年は総額を20億円まで持っていけたらと考えています。
▲町の北側は日本海に面しており、かつてはニシン漁で賑わった(提供:余市町)
余市に魅せられ「ワインを楽しむホテル」道外より進出
─2030年度の北海道新幹線札幌延伸に伴い、JR北海道の余市〜小樽間の在来線廃止が事実上決定と報じられました。余市町へのアクセスが悩ましいですね。
一般に「北海道新幹線が運んでくる経済活性を地域に波及する」とは言われていますが、具体的な戦略はどうなのか。もどかしさも感じています。余市のさらに先にあるパウダースノーで有名なリゾート地ニセコを訪れる富裕層も口々に言っているのは、やはり足回りの悪さです。空港と札幌・小樽を結ぶ快速エアポートの指定席の乗り方がわかりづらかったり、最寄りの倶知安駅で待つタクシーの台数がそもそも少ないうえに、言葉の壁も依然残したまま。今の北海道の「足」には、従来のルーティンにとどまらない発想が求められていると感じます。
─ワインやウイスキーを満喫するには町内の宿泊施設ももう少し増えてくれたら、と感じました。
2020年10月には駅前に「ワインを楽しむホテル」というコンセプトの「LOOP」がオープンしました。スペインの星付きレストランで修行した仁木偉シェフとフランスの星付きレストランでサーブをしていていたソムリエの倉富宗さんが余市の食材とワインのマリアージュを提供しています。これも余市のワインに魅せられた福岡市本社の企業が「ぜひ地元でバルのあるホテルをやりたい」と申し出てくれたもの。余市のワインにはそれぐらいの力がある証しです。
▲ワインカーブやブドウ畑のキャビンをイメージした部屋を用意しているLOOP
食材の魅力を最大限に引き出す「人」に着目
─現職2期目の構想はどのように考えていらっしゃいますか?
1期目でワインに関してイメージしていたことはほぼ全て着手できたと感じています。ワイナリーがたくさん出来たから目的達成ではなく、今後はそこから始まる産業構想としてワインと「食」とツーリズムを組み合わせて地域活性に繋げていく。「食」は日本の成長産業の一つです。日本各地にひっそりとある名店なども「見える化」して面展開していけば、まだまだ伸ばしていける要素があると思います。
ただ、ここで勘違いしてはいけないことは「食」と「食材」は違うということ。どんなに優れた食材があっても、それを料理へと昇華させるシェフや正しく評価してくれる人たちがいなければ、求心力を持つコンテンツとして成り立ちません。食材を高付加価値化して「食」というキーコンテンツにしていくには、「人」の存在が非常に重要です。その点、最近感銘を受けたのは「新潟ガストロノミーアワード」の取り組みです。各界の第一線で活躍する方々が審査員となり、新潟県内の飲食店や宿泊施設、お土産等を自ら体験し、評価する。自治体として予算の付け方が実に的確だなと感じました。
余市でも世界の「食」を知り尽くす本田直之さんにマーケティングディレクターに就任していただき、今年新たなプロジェクトが動き出す予定です。北海道のワインを売り出すためにターゲットが不明瞭なホームページやパンフレットを作ったり、イベントで揃いの法被を着ても、一体それは誰に響くのか。繰り返しになりますが、ルーティーンで「やった感」を出しても、それは真の地域活性とは遠いもの。手段を目的化せずに、誰に向けて何をするのかを考える。結局はマーケティングとブランディングの話に集約されていくと思います。
僕が首長になってから周りは大変だと思います(笑)。特に若手にはいつも「バリューを出すこと」を求めていますから。それでも海外出張の機会や外との繋がりが増え、今までやったことのない取り組みに前向きにチャレンジしてくれています。行政の人材を育てないと、まちは続かない。それも首長の仕事の一つだと受け止めています。
▲ワインと並ぶ観光コンテンツ・ウイスキーつながりでスコットランドの伝統柄タータンチェックに余市流のアレンジを加えた「Yoichiタータン」
─それにしても国内外に豊富なネットワークをお持ちです。
僕は基本、夜はいつも「こんなプロジェクトを始めたい」という目的のもとで友人たちと会食をしています。その場で異分野の企業同士がマッチングするのもウエルカムですし、実際に会食の場をきっかけに官民協業が実現したこともあります。
外務省時代に2年間で課題を見つけ、計画を立て、資金調達を含めて実行するというサイクルが身についていますし、もともとせっかちなところもあってアイデアはすぐに実行に移したいほう。町長の4年任期は2年の2倍ですから、できることはまだまだあると思います。
▲ワインエキスパートの資格を持つ齊藤町長
取材/文:佐藤優子
写真:上道めぐみ(
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