インタビュー

やんばる独自の文化体験を提供する宿の若手人材育成術「育てるよりも思いをつぶさない」の真意

2024.04.26

佐藤 優子

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「沖縄にはまだ、奥がある」という魅惑的なキャッチフレーズを掲げて2022年8月、沖縄県北部に集落滞在型宿泊施設「やんばるホテル南溟森室(なんめいしんしつ)」が開業した。運営するのは代表の仲本いつ美さんが「ここで生きていく」という決意とともに立ち上げた(株)Endemic Garden H。琉装やユタ文化など自然体験だけに偏らない、やんばる独自の風土や精神世界を映す20種類以上のアクティビティで、世界中からやってくる旅行客に忘れられない体験を提供している。

本格的な稼働から季節が一巡した今、その手応えや見えてきた課題、人材育成について仲本さんに語っていただいた。

 

地域の魅力を次代に語り継ぐ集落滞在型の宿泊施設

― 沖縄北部(通称:やんばる)にある国頭村辺土名(くにがみそんへんとな)出身の仲本いつ美さん。起業前は国頭村役場や沖縄県庁に勤務し、世界自然遺産登録に関する業務も経験されたそうですね。

世界自然遺産対策室、その後の推進室時代は地元のさまざまなステークホルダーの方々との合意形成について走りまわり、このとき初めて「やんばる3村」のうち、自分の故郷である国頭村以外の2村、大宜味村(おおぎみそん)と東村(ひがしそん)の方々と交流することができました。いろんな人の声を聞いているうちに、観光が地域づくりの手段として有効活用できること、けれどもどうやら観光と地域の間にはそう簡単にはいかない隔たりがあることも見えてきて。観光と地域の橋渡しをしたいという思いで起業を決意しました。

現在は、やんばる3村をフィールドとした地域限定旅行業と宿泊業、具体的には宿泊施設「奥やんばるの里」の指定管理業務と、自社で展開する集落滞在型宿泊施設「やんばるホテル南溟森室(なんめいしんしつ)」を経営しています。旅行会社やDMCからの依頼でツアーのみをご提案することもあります。


▲2021年7月26日、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録された。

― 起業するための資金調達や事業計画など、ご苦労があったのでは。

役場を退職後、2019年6月に姉と一緒に合同会社を設立し、まずは地域限定旅行業からスモールステップを踏んでいきました。コロナ禍でも旅行コンテンツの組み立てを試行錯誤しているときに、知人の紹介でNIPPONIA事業を展開する株式会社NOTEと知り合えたことが、大きな転機になりました。

沖縄の集落に関心を持つNOTEがちょうどビジネスパートナーを探していて、私たちがやりたいこととも合致した。そこから話がまとまり2020年に株式会社化し、現在当社の役員はNOTEから紹介してもらったNECキャピタルソリューション株式会社と私と姉で構成しています。


▲「南溟森室」とは南の海と森の部屋を意味する造語。

― 集落滞在型宿泊施設の構想は、どのような思いから生まれたのでしょうか。

地域限定旅行業を始めて地域の人たちと交流しながらやんばるエリアをリブランディングしていると、改めて「このエリアはすごくいい地域だな」と心の底から思うようになりました。沖縄には今も暮らしに密着したところに「ユタ」と呼ばれるシャーマンがいて、うちの母も亡くなった祖母から台所の神様である「ヒヌカン」をどう受け継いだらいいのかをユタに相談するんです。

こうした深い精神世界や海の向こうのニライカナイ(楽土)につながっている集落で暮らしている人たちがいることを伝え継いでいきたい。旅行業で私一人が食べていくためにビジネスをするのではなく、この地域を次の世代に残したい。

そのためには宿泊施設を設けて旅行客の滞在時間を長くし、体験プログラムも充実させる。その拠点になるのが「やんばるホテル南溟森室」です。400年の時を超えて今も残る古集落に一棟建ての宿が全4棟。喜如嘉(きじょか)集落に2棟、謝敷集落に2棟構えています。


▲客室名は集落内で語り継がれる「屋号」を受け継ぎ、土地の物語を伝える導入になっている

 

インバウンド客がこの地に魅せられる共通の理由

― どのようなお客様がいらっしゃいましたか。

南溟森室のオープンがコロナ期だったので初めは国内のお客様を想定していましたが、インバウンドが再開し、2023年に多くの海外メディアを受け入れたのをきっかけに、徐々に現地の旅行会社を通じてお問い合わせが入るようになりました。今は週に一度のペースでアメリカ、ポルトガル、ドバイ、タイ、シンガポール…とあらゆるところからお客様をお迎えしています。しかも驚くことに、皆さんに共通する旅の目的が「ブルーゾーンに触れたくて」でした。

海外の研究によると、沖縄のような世界の長寿地域は「ブルーゾーン」と呼ばれ、Netflixで配信されているドキュメンタリー番組『100まで生きる:ブルーゾーンと健康長寿の秘訣』の影響もあって、今インバウンドやアドベンチャートラベル層に非常に注目されているようです。皆でお金を出し合い、子どもの入学や引っ越しなど、その月にまとまったお金が必要な人が全額を受け取る「模合(もあい)」という相互扶助の仕組みなど、私たちが日常的にやってきたことに外の人たちが価値を見出してくれている。少しとまどいもありますが、逆にその本質を見つめ直すいい機会なのかもしれません。


▲土間とかまどがある昔ながらの間取りでくつろげる喜如嘉集落の一室「仲福屋」

― 国内のお客様はどのような方々が?

30代から50代の現役組や経営者の方々が多い印象です。今、喜如嘉集落の2棟は6〜7人のグループ向けで、謝敷集落の2棟は2〜3人用の小部屋をご用意していますが、そうすると必然的にご予約の人数によって宿の割り振りが決まります。ところが実際に稼働してみると、思った以上にグループのニーズが高いことがわかり、これから謝敷集落にもう1棟、3つの個室に最大6人が泊まれる宿を新築します。これで「グループで来たけれど、仕切りがある個室も欲しい、同じ集落内に分散して宿泊したい」というニーズにも対応できます。

それに加えて沖縄本島の最北端にももう1棟、神話の世界が色濃く残る辺戸(へど)集落にツインの部屋3室とトリプル1室で最大9人収容できる宿を作ります。こちらは企業研修やヨガの先生たちが生徒さんを連れて合宿できるような空間を意識しました。
こうした多様なグループ層を受け入れる準備を進めると同時に、本格的な顧客分析も取り入れて、次は宿の稼働率40%台を目指します。


▲謝敷集落にある一室「上ン根」(ウンニー)では土地の持ち主が大切にしてきた赤瓦を積み重ねてテラスのデザインに。

 

地域の「やりたい」「困った」をストーリーにした体験プログラム

― 南溟森室が提供する体験プログラムは「海と人」「神と人」「技と人」といった7つのテーマのもと、20以上のアクティビティが充実しています。これらはどのように作り上げていったのでしょうか。

2022年のオープン前に、日本のアドベンチャートラベル普及の第一人者である國谷裕紀さんが講師を務める人材育成プログラムを受講しました。そこで國谷さんから徹底してストーリーづくりの重要性を教わりました。この学びをベースに、まずは地域の人が「やりたい」と言ってくれたことを形にしたり、逆に「困っている」ということをプログラム化したものもあります。

沖縄の伝統的な衣装を着る「琉装体験」もその1つで、地元美容室のおばちゃんから「琉装着付けの機会がめっきりなくなった」という話を聞いたのがきっかけです。
琉装は沖縄固有のフクギ並木や古民家をバックにすると、すごく映えるんです。色にも意味があって、黄色地は琉球王家のみが使用できるなど、着付けを通して沖縄の物語を伝えられるし、着付けるおばちゃんも自分の技術を発揮できるうえに、衣装のクリーニングや陰干しの機会にもなってうれしいんですよね。


▲沖縄の景色に映える衣装を身にまとい歴史を実感する琉装体験

― そうした体験プログラムも含めた全体の旅程は誰が作っているのですか。

ご予約は全てホームページから支配人が直接受けています。そこで人数や日程、ご希望などをうかがって数回やり取りをして、全体の旅程が固まった時点で当社で「シェルパ」と呼んでいるスルーガイドたちに委ねます。シェルパは現在3人体制、うち2人が英語を話せます。南溟森室は2泊を基本としており、移動時間やチェックイン・アウトの時間を考えると、アクティビティも1日1つ、ないしは2つ。お客様の関心に合わせてご提案しています。


▲沖縄本島最大の高さを誇る比地大滝を目指すネイチャーガイドツアー

 

世界とつながり、プライドを育む若手人材

― アドベンチャートラベルでも重要視されている人材育成。御社のシェルパはどういう人たちですか。

この地域を次の世代に残すには、人材育成が必要不可欠。何もしないでいるといつか集落がなくなってしまうという危機感はつねに持っていて、若い人たちに選ばれる企業になりたいと思っています。当社のシェルパは24歳、25歳、26歳。「インターンをしたい」と連絡をくれた人もいれば、自営の会社をやりながら週3日勤務している人もいます。全員が県内出身者だということもあり、“地域の顔”になりつつあります。3回連続で同じシェルパを指名してくださったお客様もいらして、本人もすごく張り合いを感じています。


▲「会社のビジョンを皆が共有している」と高く評価されているシェルパたち

3人のうち2人は留学経験があり、英語を使う仕事がしたいということで入ってくれたんですが、先日そのうち1人が「実は働き始めるまではすごく不安でした」と打ち明けてくれました。将来的には海外で働きたいくらいの気持ちもあるのに、いきなり人口28人の集落という閉ざされた空間を選んで本当によかったのかと。ところが実際に働き始めてみると、沖縄にいながらにして世界中からお客様を受け入れ、2023年にはアドベンチャートラベル・ワールドサミットがあった北海道の商談会にも参加したりして、今は好きな英語を活かして「世界とつながっている」と感じる自分がいる。

しかも海外の方々が口々に「ここはすごいところだね」「案内してくれてありがとう」と言ってくれることで「この土地や自分にもプライドを持つことができました」と言ってくれたときは、私も希望の光が差し込むのを感じました。きっとお客様にとっても、地元の若い人たちがこんなにも沖縄のことが好きで、その魅力を堂々と語っている姿に、この土地の価値や希望を見出してくださっているのだと思います。私もそれがこの地域にとっての希望だと思うから、彼らの思いをつぶしたくない。育てるというよりも、本人たちの中にあるものをつぶさないということを意識しています。

 

終わりなき合意形成に向き合い、沖縄の魅力を伝え続ける覚悟

― 2024年の6月で起業から5年が経ちます。冒頭でおっしゃっていた「観光と地域の間の隔たり」は埋まってきましたか。

南溟森室がオープンするまでは「本当にこんなところに人が来るんかね」と心配する声もありましたが、こうして季節が一巡すると周りの見る目も変わってきて、人の心が解きほぐされていくのを実感しています。実際、新棟を建てる計画が実現できたのもその一例だと思っています。


▲集落に住むおじい、おばあとの交流も醍醐味だ

役場時代には期限付きの合意形成を経験しましたが、本当の合意形成って実は終わりがないもの。 “関わりしろ”として不安や不満を口に出す人たちも近くにいてくれないと、私の事業は成り立ちません。気になったことはどんなに小さなことでも言ってもらいたいし、みんなの気持ちを受け止めたい。私はずっと、この土地と向き合い、地域の人たちに伴走する。その覚悟で取り組んでいます。これからも沖縄の深さ、奥行きを若いシェルパやおじいおばあたちと一緒に伝えていきたいです。

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