インバウンドコラム

訪日客数4000万人時代、“旅ナカ体験”がインバウンド消費を左右する理由

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2025年、日本のインバウンド市場はひとつの節目を迎えました。訪日外客数は4270万人に達し、過去最高を更新。2024年に記録した3687万人を大幅に上回り、コロナ前の2019年比でも約34%増という水準です。訪日消費も9.5兆円(2024年比+1.4兆円)と過去最高を記録し、日本政府が掲げる「2030年に訪日客数6000万人・インバウンド消費額15兆円」という目標も、現実的な射程圏内に入ってきました。

日本政府の観光政策の軸は、すでに「訪日客数」から「消費額」へとシフトしています。単に人を呼ぶのではなく、一人ひとりにより多くを消費し、より深く日本を体験してもらうことが求められている時代です。その鍵を握るのが、「旅ナカ体験」、すなわち、目的地で過ごす時間へ旅行者がどれだけ投資をするか、という視点です。

本稿では、グローバルな旅ナカ体験市場の現在地を整理しながら、日本が置かれている状況と、今後の可能性・課題について考えていきます。

訪日客数4,000万人時代の旅ナカ体験——世界の潮流と、日本の現在地

 

評価の高まりとともに拡大する訪日旅行、欧米市場が鍵に

日本の観光地としての地位は、近年高まり続けています。米コンデナスト・トラベラーの「Best Countries」ランキングでは、日本が3年連続で世界第1位を獲得。東京・京都・大阪をはじめとする主要都市も、各種の「世界のベストシティ」ランキングで上位に名前を連ねるのが当たり前になってきました。

これは偶然の出来事ではありません。文化的な奥行き、食の多様性、安全性、都市インフラのクオリティ。日本が持つ複数の強みが、世界の旅行者から高く評価されています。そして、こうしたランキングが検索やSNSで広く共有される時代において、「世界的な評価」はさらなる訪日需要を生み出す強い要因となっています。

特に注目すべきは欧米圏の成長です。2025年の地域別訪日客数の伸びを見ると、ヨーロッパ+26.8%、北米+14.3%と、東アジア+3.7%、東南アジア+15.3%と比較しても際立った伸びを示しています。欧米圏の旅行者の多くは、まだ日本を初めて訪れる段階にあります。つまり、彼らにとって「日本旅行」はまだ初期の段階にすぎません。リピーターが増えるにつれ、滞在地域の多様化や体験への消費が加速していくとみられ、ここに中長期的な成長の余地があります。

 

急成長する体験市場、デジタル化の遅れが生む成長余地

旅ナカ体験の市場規模は、グローバルで見ても急速に拡大しています。調査会社PhocuswrightとArivalの調査によれば、ツアー・アクティビティ・アトラクションを含む旅行体験セクターの世界市場規模は、2025年時点で約2710億ドル。2029年には3420億ドルを超えると推計され、宿泊・交通に次ぐ観光業第3位のセクターまで拡大しています。

訪日客数4,000万人時代の旅ナカ体験——世界の潮流と、日本の現在地

一方で、この市場がまだ「デジタル化の途上」にあることも見逃せません。各種調査によると、OTA(オンライン旅行代理店)経由の予約比率は、宿泊予約が50%を超えているのに対し、体験・アクティビティは30%前後にとどまっています。体験市場はデジタル化という構造変化自体に伸びしろがあり、旅行者の行動がオンラインにシフトし、スマートフォンで目的地の体験を検索・予約するのが当たり前になるなか、この比率は上昇していくと考えられます。

 

旅行者は「どこに行くか」ではなく「何をするか」で選ぶ

旅ナカ体験の重要性が高まる背景には、旅行者の意識変化があります。

GetYourGuideが実施した調査では、旅行体験が目的地選びの重要な決め手になっていることが明らかになっています。かつては「どこに行くか」を決めてから「現地で何をするか」を考えるのが一般的でしたが、今や「体験したいこと」から逆算して目的地を選ぶ旅行者が増えています。体験そのものが、目的地選択に影響を与えるようになっています。

さらに、GetYourGuideが欧米圏の旅行者1000名へのアンケートや検索データなどを元に行った調査「Hidden Trends 2026」では、旅行者の行動に興味深い変化が見て取れます。バードウォッチングを次の旅行で試してみたいと答えた人は54%に上り、コーヒーにまつわる体験(コーヒーツアーや農園訪問など)の予約は前年比+54%という急増ぶりです。ワークショップ型の体験予約も+59%と大きく伸びており、旅行者の興味は「有名観光地を巡る」だけでなく、「自分の趣味や関心を深める」方向へと確実に広がっています。

チェコプラハの中世をテーマにした歴史的なレストラン「クルチュマ・ウ・パヴォウカ」食事はもちろん ファイヤーショーや剣闘、ベリーダンス、ジャグラーなどのパフォーマンスを楽しめるとして人気▲チェコプラハの中世をテーマにした歴史的なレストラン「クルチュマ・ウ・パヴォウカ」。食事はもちろん ファイヤーショーや剣闘、ベリーダンス、ジャグラーなどのパフォーマンスを楽しめるとして人気

 

ニッチな体験が、新たな旅先を生み出す

例えば東京にある「ゲームボーイ改造体験」。5万円以上するこの体験では、自分好みにゲームボーイを改造するワークショップに参加できます。ゲーム自体は必ずしも万人向けではありませんが、ゲームの聖地である日本での体験は、ゲームボーイやゲームに思い入れがある旅行者にとっては特別な思い出となり非常に高い評価を得ています。

お隣の韓国でも、K-PopダンスレッスンはK-Popの人気の高まりとともに人気の体験として根付いてきています。タイでもムエタイ観戦はトップクラスの人気商品ですが、同時に地元のムエタイジムでムエタイの練習に参加する体験も隠れた人気アクティビティとしてインフルエンサーなどにも取り上げられています。筆者も長年キックボクシングを趣味にしており、先日出張でタイに行った際に参加しましたが、ムエタイの聖地での練習に参加するのは格闘技好きにとっては、ただの運動にとどまらず、特別な体験となります。

こうした個人の嗜好に根ざした体験に惹きつけられる旅行者が世界中で増えている傾向は、日本の地方にとっても大きなチャンスになり得ます。

例えば、岐阜県はインバウンドの宿泊者数では全国11位の230万人(2024年)。中でも高山や白川郷が人気の中心となっていますが、その反面それ以外のエリアはまだ多くのインバウンド旅行者が訪れていないのが現状です。関市は刀鍛冶の里として有名で、世界3大刃物生産地の1つとして知られています。まだ、多くのインバウンド旅行者には知られていない場所ですが、刃物に特別なこだわりを持つシェフや料理に興味ある方にとっては特別な意味を持った旅先となっており、GetYourGuideで掲載している刃物作り体験は5万円以上の高単価でも60件以上の5つ星評価がつくほど好評を博しています。

海外の同僚に話を聞くと、実に多様な観点で日本を認知していることに驚かされます。競輪という日本にしかない競技に自転車好きが高じて興味を持っている人もいれば、音楽や陶芸の趣味を通じて日本を見ている人もいます。

こうした例が示すのは、有名観光地でなくも地域の固有資源が体験を通じてインバウンドを引き寄せるきっかけになり得るということです。

 

豊富な観光資源が「体験商品」になっていない現実

訪日旅行者数は過去最高を記録し、世界における日本の評価も高く、市場のトレンドも体験の価値を後押ししています。にもかかわらず、日本の旅ナカ体験市場が持つポテンシャルが十分に発揮されているとは言い難い状況です。

いくつかの課題があります。まず、観光素材が「旅行体験商品」になっていないという課題があります。日本各地には豊かな自然・文化・食・伝統工芸など、世界に誇れる素材が数多く眠っています。しかし、依然として、旅行者に届く「体験商品」として設計・流通されていないケースが多く、商品造成、デジタル発信、オンライン予約対応のいずれもが課題として残っています。

先ほどの関市の刃物作りも、体験商品として販売されているが故に興味のある旅行者の予約につながっていますが、体験商品としてオンライン上に存在しない場合、どれだけ旺盛な需要があっても取り込むことはできません。タイのムエタイの練習も、同様に近所にジムがあったとしても言葉の壁などがあり、ジムに直接電話して練習に参加するハードルはとても高いです。

筆者も体験したタイのムエタイレッスン▲筆者も体験したタイのムエタイレッスン

この点については、近年国や自治体が補助金を通じた体験造成事業を行ったり、造成商品のOTA掲載を必須とするなどデジタル化に取り組み始めており、着実に動きは出てきています。しかしながら、十分な規模とスピードには至っていないというのが現場の実感です。

 

体験ビジネスが「利益」を生みにくい理由

次に、収益性の低さです。訪日消費全体の費目別内訳を見ると、宿泊費36.6%・買い物27.0%・飲食21.9%に対し、娯楽・体験費はわずか4.5%(約4218億円)にとどまっています(観光庁・インバウンド消費動向調査2025年)。旅行者が「体験」に最も価値を感じていると言われる時代に、消費構造はまだそこに追いついているとはいえない数字です。

日本の多くの事業者と話していて非常によく感じるのが、体験で利益を出すことへのためらいです。旅行者にとっては一生に一度の特別な体験でも、材料原価が多くかかっていないことから高単価にすることを躊躇し、500円などのワンコイン価格などに設定する例をよく目にします。

また反対に、高単価にするために、必要以上に豪華にしたり、幕の内弁当のように多くの体験の組み合わせにして原価を上げることで、高単価な体験にする例も見受けられます。いずれの場合にも旅行者目線が欠けているため、皮肉なことに、旅行者の体験自体が損なわれることが往々にしてあり、体験消費拡大の足かせになっていると考えられます。

体験商品は、ガイドやインストラクターなど「人のサービス」そのものが商品です。そうした従業員の方等へ十分な還元がしにくい利益構造は、人手不足の日本においては産業の競争力の低下に直結する要因になっています。

 

訪日客数4000万人時代は“スタートライン”に過ぎない

訪日客数4270万人という数字は、日本の観光業にとって誇るべき成果です。しかし同時に、まだ入口にある段階だと考えられます。

旅行先としての日本の評価は世界的に高まり、訪日旅行者数の増加はこれからも続く可能性が高く、欧米を中心にリピーター予備軍も着実に増えています。そして旅行者の意識は、モノよりも体験へ、有名観光地よりも個人の嗜好に沿った旅へと移行しつつあります。これは、日本の地域が「旅ナカ体験」を軸にインバウンドと向き合う絶好のタイミングです。

豊かな文化資産、独自の自然環境、ニッチな趣味の世界に深く潜れる環境。日本にはグローバルな旅行者を惹きつけるコンテンツが十分に備わっています。問われているのは、それをいかに「見せ、届け、体験として提供するか」という設計力と実行力です。それが、次のインバウンド成長を左右する重要なカギになっていくでしょう。

訪日客数4,000万人時代の旅ナカ体験——世界の潮流と、日本の現在地

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