インバウンドコラム
「英語ページはあるのに、訪日客からの問い合わせが減らない」観光地の現場では、そんな声が少なくない。AIの進化により、機械翻訳の精度は飛躍的に向上した。観光情報についても、多言語対応のハードルは下がり、ウェブサイトやパンフレットを自社で翻訳することも難しくない時代となっている。それでもなお、「伝わらない」という課題は残り続けている。
その原因について、長野県松本市を拠点に観光分野の翻訳を20年以上手掛けているエムティラボ株式会社の代表 松尾氏は「翻訳以前の情報設計にある」と指摘する。単なる言葉の置き換えではなく、訪日客の視点で情報を組み立て直すことが欠かせない。
同社の取り組みから、AI時代に求められる多言語翻訳の在り方や観光コンテンツの制作、情報整理のあり方を探る。

なぜAI翻訳では伝わらないのか? 翻訳の裏にある「前提のズレ」
AI翻訳の進化により、多言語化のスピードやコストのハードルは下がっている。しかし、一般的なビジネス翻訳と違い、各地域や観光地の魅力を伝えるのが目的の観光情報において、AIによる画一的な翻訳では、ターゲットの心に深く届けるのは難しい。なぜなら、日本人向けの観光パンフレットには、日本人なら誰でも知っている前提知識が隠れているからだ。たとえば、「長野県」と聞けば、多くの日本人は、中部地域に位置する、冬季オリンピックの開催地にもなった雪の多い地域というイメージが浮かぶ。しかし、訪日経験がない外国人にはその前提がない。単に言語を置き換えるのではなく、訪日客が持ち合わせない地理情報や、歴史、文化的背景を補いながら情報を再構成する。これこそが多言語化の本質である。日本人目線の情報を翻訳する前に、訪日外国人の視点に立って情報を整理し直すことで、「伝わる」内容へと生まれ変わる。
“翻訳”ではなく“書き直す”、外国人視点で観光情報を再設計
読んだ瞬間に、「行ってみたい」「やってみたい」「食べてみたい」といったワクワク感を抱かせること。そのつかみとして大きな役割を果たすのがキャッチコピーだ。日本語をそのまま直訳しても外国人には響かない。単なる翻訳を超え、ターゲットの心に訴えかける言葉を選ぶことで、訪日客の興味は一気に引き付けられる。エムティラボ株式会社が得意とする一つが、こうした「ライティング」だ。翻訳を担当するのは、日本在住のネイティブ翻訳者である。案件ごとに土地勘を持つ翻訳者をアサインしている。長野県を中心とする中部エリアや関東圏に精通する約100名の翻訳者が、英語、中国語(簡体字/繁体字)、韓国語、タイ語など、約15カ国語に対応する。訪日客と同じ目線を持ちながら、地域を深く理解する翻訳者だからこそ、言葉には土地の魅力がにじむ。彼らが仕上げた原稿は、次に日本人翻訳者の手に渡り、固有名詞の読み方や情報に誤りがないかどうかがチェックされる。
AI翻訳の場合、参照するのは、主にインターネット上に蓄積された情報である。同社の代表松尾昭氏は、「地方のコンテンツはネット上のデータが少ないケースが多いゆえ、機械だけに頼ると、地名の読み方や事実関係に誤りが生じるリスクもある」と指摘する。外国人と日本人の2名の体制を敷くことで、訪日客に響く感性と情報の正確性という両面を支えている。

同社が行う翻訳事業では、単なる翻訳の枠を超え、時には現地への取材や、写真や動画の撮影にも対応する。たとえば、雪をテーマにする場合、国内向けとインバウンド向けでは選ぶべき写真や訴求ポイントは大きく異なる。雪になじみのない台湾や東南アジアがターゲットなら、スキーやスノーボードよりも、ソリ・かまくら・雪遊びなど、日本人とは違った切り口での見せ方が求められる。さらに同社では、英語、中国語、韓国語など、それぞれの言語に応じた翻訳者が取材とライティングを行う。各国の文化背景や好まれる表現、ビジュアルに合わせて、国ごとに届ける内容を設計し直す。こうした丁寧なプロセスが、地域の魅力を世界へ正しく、より深く届けることにつながっていく。
多言語サイト再設計がもたらした変化、問い合わせ減少と現場の負担軽減
エムティラボ株式会社が拠点を置く長野県松本市にある上高地は、日本屈指の山岳景勝地として知られる。近年、海外からの観光客も増える中、2025年3月に、上高地観光旅館組合が運営する「上高地公式ウェブサイト」がリニューアルされた。その多言語ページ(英語、中国語〈簡体字、繁体字〉、韓国語)の翻訳、構築を担ったのが同社である。
リニューアルにあたってまず着手したのが、トップページの全面的な設計変更だ。日本人には周知されている冬期の閉山という重要な情報が、訪日外国人には十分に届いておらず、「いつ行けるのか」といった問い合わせが、海外から多く寄せられていた。解決策として、多言語版のウェブサイトでは、日本語サイトにはない「日本地図上での上高地の位置」と、外国人から問い合わせの多い「入山可能時期」を、最初に目に入る位置に配置した。アクセスに必要なバスの案内も冒頭にまとめ、閉山中も開山時期がひと目で理解できるように整えた。
▲Webサイト「Japan Alps Kamikochi」
国立公園である上高地では、生態系保護のためのルール遵守は徹底したいところだが、インバウンド客の行動に、国内客から苦情が寄せられることが少なくなかった。「植物や昆虫などの生きものを採らない」「ゴミはすべて持ち帰る」といった上高地5つのルールは、日本語ページにもあるが、多言語ページではトップに近い目立つ場所に配置している。
さらに、言語ごとにコンテンツ構成を変えている。たとえば、登山を楽しむ訪日外国人が多い韓国語のページでは、登山の情報を詳細に掲載した。一方、中国語やタイ語のページでは、本格的な山登りよりも散策を好む層が多いことから、登山情報は割愛。国ごとの旅行スタイルに合わせた設計を実現した。
訪日外国人に合わせた入念な「再設計」によるリニューアル後、訪日客の行動に明確な変化が見られた。これまで多く寄せられていた入山時期や、入山ルールに関する問い合わせは大幅に減少。実際に、Facebookに寄せられる問い合わせ件数は、2024年度の180件からリニューアル後の2025年度には53件へと、およそ3分の1程度にまで減少した。また、アクセス方法についても、乗車するバスの写真を載せビジュアル情報を充実させたことで問い合わせが減少し、受け入れ側の対応負荷が軽減した。地域に寄り添い、地域が抱える課題をひとつずつ丁寧に解きほぐし、ユーザーフレンドリーな設計へと落とし込む。こうした細やかなプロセスで、訪日客の満足度向上だけでなく、観光客を受け入れる側の負担軽減にも大きく貢献したのである。
AI翻訳か人かではない、“使い分け”が地域の差を生む
「上高地公式ウェブサイト」のリニューアル事例が示すように、観光コンテンツの多言語翻訳において、「人」の目線を介するひと手間は、情報の正確性だけでなく、訪日客への訴求力とわかりやすさを向上させる。では、観光コンテンツにはAI翻訳は不向きなのであろうか。エムティラボ株式会社代表の松尾昭氏は、コストや目的、内容に応じた柔軟な使い分けを提案する。「スピードやコストではAI翻訳に軍配が上がります。クオリティよりスピードが優先される緊急時のお知らせや、1回限りの小規模なイベント情報であれば、AI翻訳の活用で十分対応可能でしょう。しかし、同じイベント情報でも、地域にとって大切な毎年恒例の音楽フェスティバルや外国人に訴求する祭りなどであれば、翻訳者を介してイベントの意義を丁寧に伝えることで、イベントに対する外国人の興味や関心はより一層かき立てられるはずです」
▲エムティラボ株式会社で働く方たち、写真下段右側が代表の松尾昭さん
多言語対応が容易になった時代だからこそ、多言語で載せてさえいれば安心と考えるのは早計かもしれない。情報があふれる時代にあって、より魅力的な場所として、世界の旅行者から選ばれる地域であるためには、AI翻訳だけに頼らず、ネイティブの視点で地域の魅力を丁寧にすくい取り、届く形に再設計する。そうした真摯な観光コンテンツ制作や情報発信のあり方が、これまで以上に求められる。
観光情報の多言語対応に課題を感じている事業者にとって、単なる翻訳にとどまらない「再設計」という視点は、今後のインバウンド戦略を左右する重要な視点となる。
エムティラボ株式会社
https://mtlabs.co.jp/inbound
Sponsored by エムティラボ株式会社
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