インバウンドコラム

第5回 中国人の日本ツアーは メイド・イン・チャイナである【後編】

2011.12.18

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激安化はいつから始まったのか

前回ぼくは中国人の日本ツアーをさんざん酷評しました。
対中国ビジネスにおいて、表向き語られていることと実態面が大きく違っていることはよくありますが、海の向こうの出来事ですから、多くの人の目に触れることはありません。しかし、中国インバウンドのビジネスの舞台は日中双方にあります。我々の目の前で起きている国内の実態を見て見ぬふりをしていては、市場の健全な発展は望めないと思います。

ぼくは中国が新興国と呼ばれる以前の1980年代の姿を知っている世代であり、彼らが改革開放以降の30年間にわたる経済成長によって、海外旅行に出かけられるまで豊かになったことを歓迎すべきだと考えています。それは誰が考えてもビジネスの好機です。

でも、どうやら我々は彼らの経済成長の中身を少し買いかぶりすぎたのかもしれません。中国の成長ぶりは見かけが派手なだけに、ジリ貧気味のわが身と比べてしまい、期待値をむやみに高めてしまったところがあったのではないでしょうか。

そもそも中国人の日本ツアーの激安化はいつ頃から始まったのでしょうか。日経産業新聞2003年1月22日に以下の記事があります。

「訪日観光旅行(インバウンドツアー)の手配料金が下落している」
「顕著なのは、2000年9月に日本向け団体観光旅行が解禁となった中国だ。(中略)ゴールデンコースの場合、国内4泊5日の手配料金は2年前の15~23万円から、現在は7万5000円前後と半額以下に下がった」
「日本人の国内旅行が伸び悩むなか、旅行各社は潜在需要の大きいインバウンドへの関心を強めている。ただ『現状では採算性の低いツアーが多い』(近畿日本ツーリスト)こともあり、取扱量拡大や販促活動強化について消極的姿勢が目立っている」。

そうなのです。解禁からわずか2年で半値以下という激安化が起きていたのです。

数年前、ぼくは日本の旅行大手のインバウンド担当者にこう言われたことがあります。
「中国団体客ひとりワンコイン(=500円)の利益でビジネスできると思いますか?」

返す言葉がありませんでした。これでは日本の旅行各社が中国インバウンドに消極的になるのも無理はありません。中国人の日本ツアーの価格があまりに安すぎて、日本企業のコスト構造に合わないというのです。

これは海外に進出する日本の輸出企業が抱える問題と同じです。新興国市場の消費者を対象にする以上、これは仕方がないことなのか。
日本政府が「観光立国」を掲げ、ビジット・ジャパン・キャンペーンを開始した2003年、すでに中国人の日本ツアーの採算を無視した激安化が起きていたことは、ひとまず確認しておきましょう。

 

アンタッチャブル化で暗躍したスルーガイドたち

その結果、何が起きたのか。本来自国の消費市場を担うべき日本の旅行関係者の中国本土客のアンタャッチャブル化であり、それに代わる在日アジア系インバウンド業者による中国人ツアー受け入れの独占でした。

中国人ツアーが利用する免税店はたいてい繁華街のはずれにある

今日中国からの日本ツアーの手配を手がけるのは、在日アジア系外国人が経営する中小のランドオペレーターが大半というのが実情です。そこでは日本と異なるビジネス慣行がまかり通ることになります。端的にいえば、提携関係を結んだ家電量販店や免税店へのツアー客の連れ回しや、ガイドによるオプションや車内販売の利益から手配コストを補填するギャンブル的経営です。

どこの世界にも営業報酬をキックバックするという商慣行はあるものです。ランド業者が小売店から売上に応じて営業報酬を受け取るのは当然のことでしょう。小売店側も販促経費として計上するはずです。しかし、その利益を最初からコスト構造に原資として組み入れてしまっては危うすぎる。

中華圏では、こうした商慣行が日常的に行なわれています。問題なのは、そのやり方が持続可能といえるのか、ということです。

実際、震災後いくつかの中国系ランドオペレーターが廃業したようです。この半年仕事がないので中国の実家に戻っていたという中国人ガイドにも最近会いました。彼らの多くは専業ではないため(たいてい貿易業を兼業。商売になることはなんでもやる、というのが彼らです)、なんとかしのいでいるように見えますが、ここまで激安化した市場でこの先いつまで持ちこたえることができるのか。彼らの一部が淘汰されることは歓迎すべきだとの声も業界内にありますが、荒れ放題と化した市場だけが残されるというハタ迷惑この上ない現実もあるのです。

残念ながら、彼らのやり方がそのまま訪日旅行市場に持ち込まれたことが、ツアー料金の際限なき激安化に拍車をかけたことは間違いないでしょう。その流れを食い止めようにも、インバウンド市場の主なプレイヤーは中華圏の人たちしかいなかったのです。

こうした危ういビジネスを支えたのが、スルーガイドと呼ばれる人たちでした。彼らの多くは、台湾や香港で元日本客相手のガイドをしていた人たちです。90日間のノービザ渡航を利用して自腹で来日、訪日中国人ツアーのガイドをハシゴしながら、オプションと車内販売で荒稼ぎしてきました。それが過去形なのは、震災後、団体ツアーが半減したことと、こうしたカラクリが東南アジアだけでなく日本でも常態化していることが中国全土で知れ渡ってしまったため、中国客も以前ほど”爆買い”しなくなったからです。

バスの運転手さんの話では、最盛時には1台のバスで1000万円近い売上を上げるガイドがいたそうです。彼らは車内販売の売上を源泉徴収することもなく帰国してしまいます。これでは中国客が来ても地元にお金が落ちないといわれるのは当然でしょう。

 

中国の旅行業界は人材育成より価格競争

もちろん、日本ツアーの激安化の張本人は送客元の中国の旅行会社であることは言うまでもありません。改革開放以降、彼らのビジネスの主力はインバウンド(訪中外国人旅行)市場でした。アウトバウンドが始まったのは1990年代末、せいぜい10年の経験しかありません。中国の海外旅行市場の多様化や成熟度はいまだに遅れており、価格競争ばかりが先行しているのが現状です。

中国のツアー広告は料金以外で他社の商品との中身の差別化はまずできない

実際、中国の消費者向け旅行パンフレットやツアー広告は、見ていてかわいそうなものばかりです。目的地と料金とわずかな文言だけが並び、ツアーの詳細なスケジュールや宿泊ホテルなどの具体的な明記はありません。比較するのは中身ではなく価格のみ。

いまでこそ、悪評高い免税店の連れ回しに対する拒絶感から、ツアー行程表に記載された以外の店の立ち寄りを禁じるよう出発前に旅行会社と消費者が契約書を取り交わすようになっています。とはいえ、基本的に中国の大半の消費者は旅行商品の品質を比較検討するすべがありません。
なぜなら、中国の旅行会社の販売スタッフが海外の事情に通じていないため、正しい情報を伝えることなどできないからです。

日本の旅行会社で働く人たちであれば海外旅行経験は普通のことですが、中国ではそうではありません。外客受け入れのインバウンド人材から海外に通じたアウトバウンド人材への切り替えが遅れているのです。
その育成のためには本来コストがかかるものですが、中国の旅行業界はアウトバウンド解禁とともに価格競争に突入してしまったため、それもままならないようです。

日本のアウトバウンドの解禁は1964年。渡航の大衆化は1980年代以降です。解禁から10年後の1970年代初め、ヨーロッパ旅行の代金は70~80万円が一般的でした。1ドル=360円の時代です。その後、ドルショックとプラザ合意などを経てドラスティックな円の高騰が進み、日本人の海外ツアーの激安化が起こりますが、アウトバウンドを扱う人材を育成する時間はありました。

一方、中国では人民元高基調にあるとはいえ、対日本円では近年人民元安が続いていますから、ツアー価格の値崩れは自らの首を絞めるはずです。ところが、社会の変動が激しい中国では、いつ何が起こるかわからないと誰もが考えていますから(現状がこのまま続くとは考えていない)、常に目先の利益を優先してしまいます。

客を集めてツアー料金の中からいくばくかの利益を抜けば、あとは適正コストがどうかなどおかまいなしに日本に客を送り出して終わり。あとは日本側のランドオペレーターにお任せです。これでは人材の育成は進みようがありません。

ある北京の旅行会社の販売スタッフからこんなことを言われたことがあります。「いまの中国人にとって5000元(約62000円)のツアーは高くないです」。彼は数年前まで日本客のインバウンド(訪中旅行)担当でしたが、会社の経営方針の転換で中国客のアウトバウンド担当になりました。これまで日本人はお金持ちだと思っていたけど、いまでは中国人も負けていない。お金持ちがたくさんいる。彼はそうぼくに訴えているわけです。

その切ないまでの愛国的心情は理解できますが、彼は末端の販売スタッフで、日本語教育は受けていても、日本に行った経験はありません。5000元では日本側のコスト構造に合わないことを理解していないのです。

厳しい言い方になりますが、現状の中国の旅行業者の実力からすれば、それ相応のツアーしか催行できないのは仕方がないといえます。

 

メイド・イン・チャイナを甘受する中国客

震災後、中国系免税店の経営も悪化している

未成熟という意味では、同じことは、中国の消費者であるツアー客にもいえます。ぼくは日本ツアーの激安化の最大の被害者は中国人客だといいましたが、実は彼らはそれを甘受している面もあるようです。

ある親しい中国人ガイドはこう明かしてくれました。

「中国のお客さんだって、ツアー料金がこれだけ安いのだから免税店の連れ込みも承知の上。仕方がないと思っているのよ。言葉もわからないし、自分ひとりでは何もできない海外旅行先で1週間も寝起きを共にしていると、ガイドさんに対しても情が出てくるから、車内販売でも協力してあげようかという気持ちになるんです」

オプションと車内販売に明け暮れる中国人ツアーバスが、狼に囲われた子羊たちのような殺伐とした世界であるかというと、必ずしもそうではない。彼らだって物事には道理があることを知っている。車内販売でガイドが高く売りつけていることに薄々気づいていても、自分が納得できる範囲と思えば受け入れる。それが中国の消費者でもあるのです。

ただし、あこぎなことが後で判明したら大変な騒ぎです。よくあるのが、中国製をメイド・イン・ジャパンとして騙して売ること。中国ではよくこの手の話題でネットが盛り上がります。もっとも、最近北海道の業者が中国客にニセ松坂牛を食べさせたとの報道がありました。これじゃ日本人も偉そうに言えませんし、情けない限りですが、中国側では「騙されたほうが悪い」という声も半数近かったとか。「騙し、騙される」という関係が日常的に繰り広げられているのが中国の消費社会であることは確か。彼らの物事の判断基準は我々とはずいぶん違うようです。

こうした事情を知悉(ちしつ)した中国系ガイドであれば、アメとムチを使い分けることで、中国客を納得させながらツアーを切り盛りできるのでしょう。結局のところ、中国人の日本ツアーがメイド・イン・チャイナだというのは、舞台は日本でありながら、すべてを取り仕切っているのが中華圏の人たちだったから、そうなってしまったといえます。

 

「奪われた10年」を取り戻すために

これまでの中国インバウンドを振り返ると、日本企業がコストに合わないと手をこまぬいているうちに、主導権を中華圏の人たちに「奪われた10年」だったといえます。
やむを得ないところはあったと思いますけれど、繰り返しますが、問題はツアーの激安化がもたらす日本のバリューの破損であり、「日本はお金をかけて行くような国ではない」というイメージが中国の消費者に定着してしまうことです。

そして、残念なことに、半ばそうなっています。ツアー料金を見れば明らか。東京・大阪5泊6日の料金はバリ島5泊6日の料金より安いのです。移動経費や適正なガイド代などを考えれば、日本のコストがはるかに高いにもかかわらず。日本はすでに激安ツアー圏として位置付けられているのです。

このままでいいのでしょうか。アンタッチャブル化した訪日中国旅行市場を日本の手に取り戻す必要があります。

そのためには、彼ら新興国市場の消費者の実像とビジネス慣行を理解することなくして、対策の立てようがない。
いかにすれば正当な収益を確保できるビジネスモデルを再構築できるか。これは今となっては難事業といえますが、頭を切り替えてビジネスを組み立て直していかなければならないと思います。

そのためには、もうひとつ考えなければならないことがあります。
これらの問題は彼らのせいだけだったのか。日本側に非がなかったといえるのか――。次回は我々の内なる問題について検討したいと思います。

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