インバウンド特集レポート
訪日客数6000万人、地方部延宿泊者数1.3億人泊。新たな観光立国推進基本計画で掲げられたこれらの目標は、現在の延長線上では容易に達成できないことが前編の分析結果からわかった。特に大きな課題として浮かび上がったのが「地方での滞在日数の短さ」である。
後編では、この課題に対して、どのような方向性が考えられるのかを、市場別に整理していきたい。
>>前編はこちら:訪日6000万人時代は本当に来るのか? データで読み解く「観光立国」の現実
6000万人達成には「日本選択率」の維持・上昇が不可欠
冒頭に述べたとおり2030年までに訪日旅行者数6000万人を達成することは容易ではない。理由は、日本を旅行先として選ぶ割合である「日本選択率」が、すでにかなり高い水準に達しているためだ。
既に高水準にある旅行者の「日本選択率」
2019年と2025年の日本選択率を比較すると、韓国・台湾・香港市場では平均21.7%から31.1%へと1.43倍、中国市場では6.2%から7.0%へと1.12倍、東南アジア6市場(シンガポール、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ベトナム平均)では4.6%から6.0%へと1.31倍、欧米豪市場では0.8%から1.5%へと1.80倍に上昇している。
背景には、コロナ禍後の円安や、日本の相対的な物価上昇率の低さ、さらには日本ブームの継続などがあると考えられる。
6000万人の目標達成にはこの日本選択率をもっと引き上げる必要がある。しかし現在の日本選択率はコロナ禍後に大幅に上昇した直後である。さらに上昇する可能性もある一方で、円安やブームといった一時的要因に支えられている面を考慮すると、今後、反動で水準が低下するリスクも否定できない。
今回のシミュレーションで、日本選択率を2030年まで概ね横ばいと置いたのはそのためである。現在の水準を維持すること自体が、ひとつのチャレンジだと考えた。
「初訪日客の増加」と地方宿泊目標は両立しにくい
日本選択率の引き上げが「地方宿泊1.3億人泊」という目標と相性が良くない点にも注意が必要だ。
日本選択率を想定より数百万人単位で引き上げるということは、初訪日客数を増やすことを意味する(詳細は前編を参照)。問題は初訪日客の宿泊需要がリピーターに比べて大都市に偏在する傾向があることだ。このため、日本選択率を引き上げることで旅行者数6000万人を達成できたとしても、地方宿泊目標と両立させることは一層難しくなると考えられる。
現実的なのは、2030年以降を見据えた「リピーター積み上げ型」の成長
ただし、2030年という期限にこだわらずその先の需要を試算すると、わざわざ日本選択率を引き上げなくても、2035年頃までには6000万人に到達する可能性が見えてくる。
このケースでは、リピーターを中心に旅行者数が積み上がるため、地方宿泊目標とも整合性が取りやすい。
現状を顧みると、ツーリズム産業における人手不足の深刻化に加え、オーバーツーリズムへの対策にも時間が必要である。そうした状況を踏まえると、限られた時間の中で性急に量的拡大を目指すのではなく、時間をかけてリピーターを着実に積み上げていく方が、現実的な6000万人への道筋なのではないかと筆者は考える。
地方での平均泊数をどう伸ばすか
次に、地方における延べ宿泊者数1.3億人泊という目標達成に必要な方向性を考えてみたい。
地方部の延べ宿泊者数を延ばすには「地方を訪れる人」を増やすことに加え、地方での滞在期間を延ばす必要がある(詳細は前編を参照)。この問題を考えるひとつの切り口は国内における訪日客の流動パターンを考えることだ。
これは大きく以下の3つに分類できる。
1.大都市のみ訪問
2.大都市と地方の両方を訪問
3.地方のみ訪問
市場別にみると、欧米豪市場は「1.大都市のみ訪問」あるいは「2.大都市と地方の両方訪問」が大半を占め、「3.地方のみ訪問」はわずかだ。一方、韓国・台湾・香港の3市場では「3.地方のみ訪問」の割合が一番多い。地方訪問者は「2.大都市と地方の両方訪問」、もしくは「3.地方のみ訪問」のどちらかの流動パターンをとることになるが、2と3の地方での泊数を比べると、「3.地方のみ訪問」の方が「2.大都市と地方の両方訪問」より長い。また「2.大都市と地方の両方訪問」の旅行者では、大都市滞在期間の方が地方滞在期間より長い傾向だ。
実は、現状、地方部延べ泊数の半分以上が「2.大都市と地方の両方訪問」の旅行者によって生み出されている。コロナ禍後に欧米豪の旅行者が伸びたことも一因である。地方部延べ泊数も増えたが、大都市延泊数はもっと増えたというわけだ。前編で述べた「地方泊数の短さ」の原因のひとつはここからきている。
東アジア市場は「地方直行型」への転換余地が大きい
東アジア市場(韓国・台湾・香港・中国)では、主な目的地は地方でありながら実際の出入国は成田や羽田、関西などの大都市空港を利用しているケースが相当数存在する。こうした旅行者は出入国地である大都市でも何泊か滞在するケースが多い。
こうした需要を地方空港へのダイレクトインに転換できれば、「2.大都市と地方の両方訪問」から「3.地方のみ訪問」にシフトが進み、地方での平均泊数を延ばすことができるだろう。
また、東南アジア市場についても、今後は航続距離の長い新しい小型機材による直行便の運航が増えると考えられる。新千歳や仙台、中部、広島、福岡、那覇といった地方の中核的な空港では直行便誘致や増便の実現可能性が高まっていくだろう。
現状、東南アジア市場では地方訪問者の約8割が「2.大都市と地方の両方訪問」に該当する。しかし今後は「3.地方のみ訪問」需要を増やす機会が増えていくだろう。
欧米豪市場では「地方滞在日数」をどう延ばすかが重要
一方、欧米豪市場については、「3.地方のみ訪問」を増やすよりも「2.大都市と地方の両方訪問」の旅行者が地方で過ごす期間を延ばすことを狙っていくのがよさそうだ。
実際、欧米豪市場の一部では、コロナ禍後に地方宿泊比率が上昇している。背景には、北陸新幹線を利用した金沢経由ルートのように、ゴールデンルートに地方都市を組み込む旅行スタイルが増えており、地方宿泊比率の上昇に貢献していると考えられる。
欧米豪市場は初訪日客が多く、首都圏と関西を結ぶ“ゴールデンルート”の需要が中心となる一方で、地方訪問意向自体は高い。その意味で「ゴールデンルート+地方都市」の提案は現実的かつ魅力的な旅程だろう。
欧米豪市場の需要が伸びている今こそ、各地域がこうした滞在ルートを模索する好機ではないだろうか。
問われているのは「地方で長く滞在してもらう力」
新たな観光立国推進基本計画に掲げられた目標は難易度に違いがある。リピーター4000万人や訪日客1人当たり消費単価25万円については達成の可能性がある一方、6000万人や地方部延べ宿泊者数1.3億人泊を2030年までの5年で実現するのは容易ではない。
ただ、旅行者数の目標には、“時が満ちれば成る”という側面がある。各市場における海外旅行需要そのものの拡大に加え、訪日経験人口の積み上がりによって、リピーターによる需要拡大が期待出来るためだ。
一方で地方宿泊目標については、単純に「地方を訪れる人」を増やすだけでは不十分であることが見えてきた。重要なのは「地方でどれだけ長く滞在してもらえるか」という点である。
地方滞在日数の短さという問題は、地域がどれだけ「長く滞在したい場所」になれているか、という本質的な課題にもつながっている。
その意味では地方部延べ宿泊者数1.3億人泊という目標は単なる数値目標というよりも、「大都市に集中する需要をどのように地方へ分散し滞在につなげるか」という日本観光の構造転換そのものを問う目標だといえるだろう。
旅行者を地方へ誘導するだけでなく、宿泊施設やコンテンツに対する民間投資を引き出して、「滞在したくなる地域」をどうつくっていくかが問われている。
本稿が、観光立国基本計画の数値目標を読み解くだけでなく、日本観光の構造変化を考えるための材料となれば幸いである。
著者プロフィール:
黒須宏志
千葉県出身。
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