インバウンドコラム
福岡県の山奥にある古民家宿「天空の茶屋敷」は、宿泊客の約8割を外国人旅行者が占めています。公共交通機関ではアクセスしにくい立地にもかかわらず、なぜ世界中の人々がこの場所を目指して訪れるのでしょうか。
その理由は地域に昔からある「お茶」と「里山の暮らし」にありました。特別な観光地ではない山奥の古民家が、いかにして唯一無二の目的地となったのか。そこには、地域資源を外国人旅行者に伝わる「体験」として編集し、直接海外へ届け続けたオーナーの地道な取り組みがあります。
今回は、地方インバウンドの可能性を広げる、同宿の取り組みに迫ります。
茶畑の里山に世界中の旅行者が集う理由
福岡県八女市黒木町。福岡市内から車で約1時間半、福岡空港からもレンタカーでアクセスできる山あいの地域に、古民家宿「天空の茶屋敷」はあります。
宿へ向かう道を進むにつれて、美しく整えられた茶畑が広がり、やがて山の斜面に佇む古民家が姿を現します。周囲には民家も少なく、聞こえてくるのは鳥のさえずりや風に揺れる茶畑の音だけ。まさに日本の原風景ともいえる里山の風景が残る場所です。
▲宿は茶畑に囲まれた山際にある(筆者撮影)
「天空の茶屋敷」は、「母屋」や「離れ」、改装された「納屋」などからなる古民家宿です。庭先からは遠くの山並みや集落を見渡すことができ、都会のホテルでは味わえない時間が流れています。
客室は、絶景を見渡せるバルコニーとトイレの付いた広々とした個室(最大6名)をはじめ、仕事に集中できるワーケーションスペース付きの部屋(最大2名)、ひとり旅に最適なデスク付きの離れ、グループ向けの離れ(最大4名)、そして旅人同士の交流も生まれるドミトリー(最大3名)と、旅のスタイルに合わせた5つのタイプが用意されています。
取材当日もヨーロッパやアジア各国からのゲストが滞在していました。近年、日本の地方や日常に深く触れたいと願う旅行者が増えている中で、「天空の茶屋敷」を訪れるゲストもまさにその層です。
オーナーの坂本治郎さんによると、宿泊客の多くは「日本の原風景」や「里山の暮らし」に魅力を感じているそうです。実際、世界の旅行者にとって「山奥であること」は必ずしも不利な条件ではありません。都市部では味わえない風景や文化、地域の日常に価値を見出す旅行者は確実に増えています。
▲多国籍のゲスト同士で一緒にすき焼きパーティー(筆者撮影)
ただし、里山の魅力だけで人が集まるわけではありません。現在の人気は、坂本さんが地域の魅力を海外へ伝え続けてきた積み重ねの上に成り立っています。
なぜこの山奥の古民家宿が外国人旅行者を惹きつけるのか。その背景には、オーナー坂本さんのユニークな生き方と、地域資源を活かした挑戦がありました。
▲薪釜の前にたたずむオーナーの坂本さん(坂本さん提供)
5年の世界放浪の末に見つけた「人間らしい暮らし」
「自分らしく生きたいと思って、人里離れた場所で暮らそうと考えました。たまたま大きな古民家と出会い、昔からやりたかったゲストハウスを始めたんです。地方創生と言われるようになったのは、その後ですね」
「天空の茶屋敷」のオーナーである坂本治郎さんは、そう笑いながら話します。
現在では古民家宿の経営者であり、八女市議会議員(1期目)として地域振興にも取り組む坂本さんですが、その出発点は観光振興や地方創生ではありませんでした。
若い頃から「自分らしい生き方とは何か」を模索していた坂本さんは、日本を飛び出し、約5年間にわたって世界各地を旅しました。アジアやヨーロッパ、中南米など様々な地域を巡る中で、多くの人々と出会い、その土地ならではの文化や暮らしに触れてきました。ワーキングホリデービザでニュージーランド滞在中には、ゲストハウスでの仕事も経験しました。
▲坂本さんの世界放浪時代に、ウルグアイの元大統領の故ホセ・ムヒカ氏と出会う(坂本さん提供)
そして一つの結論にたどり着きます。それは、「本当に豊かな暮らしは、都会よりも田舎に残っているのではないか」ということでした。
世界各地を旅する中で坂本さんが魅力を感じたのは、有名な観光都市よりも、その土地の暮らしや文化が色濃く残る地方の集落でした。だからこそ、自分自身も地方で暮らしてみたいと考えるようになったそうです。
2015年の帰国後に選んだのが、祖母の実家がある福岡県八女市でした。当時は具体的な事業計画があったわけではありません。まずは祖母の家に身を寄せ、できるだけお金をかけずに暮らしながら、自分の理想とする生き方を模索していきました。
そんな生活の中で、海外で知り合った友人たちが次々と八女を訪れるようになります。彼らは有名観光地ではなく、坂本さんが暮らす里山の日常そのものに興味を示しました。地域を散策し、お茶畑の風景を眺め、地元の人たちと交流する。そんな何気ない体験が、外国人旅行者にとって大きな魅力になることを坂本さんは実感していきます。
「里山には魅力がある。ただ、その魅力は待っているだけでは伝わらない」
2016年になると、地域の農家と連携しながら外国人向けのお茶ツアーを企画し、実際に海外からの旅行者を集落へ案内するようになりました。こうした活動は、後に「天空の茶屋敷」での茶摘み体験プログラムへの大切なステップになったといいます。
▲茶農園と海外からの友人をつないで収穫体験会を実施(坂本さん提供)
「未完成」でスタート。利用者の声で改善する古民家再生術
この年、坂本さんの活動を見ていた地域の長老から「解体予定の古民家を活用してみないか」と声をかけられます。その建物が、現在の「天空の茶屋敷」の母屋でした。
老朽化が進み、取り壊される予定だった古民家でしたが、坂本さんはこの場所に大きな魅力を感じました。周囲には美しい茶畑が広がり、地域の暮らしや文化も色濃く残っています。世界を旅する中で惹かれてきた「その土地らしい風景」が、この里山にはありました。
とはいえ、古民家はすぐに宿として使える状態ではありませんでした。そこでクラウドファンディングや補助金も活用しながら、DIYを中心に改修を進めていきます。旅先で出会った仲間たちも全国から駆け付け、作業を手伝いました。
▲友人たちが古民家のリノベーション工事を手伝いに駆け付けてくれた(坂本さん提供)
坂本さんが重視したのは、完璧な施設をつくることではありませんでした。
そのため、すべてを整えてから始めるのではなく、最低限宿泊できる状態になった段階で受け入れを開始し、利用者の声を聞きながら少しずつ改善していったのです。
当時の「天空の茶屋敷」は、現在のようなインバウンド宿というよりも、人が集まり、交流する場に近い存在でした。宿泊客や地域住民、移住希望者が自然と交わる中で、新たなつながりが生まれていきます。こうして「天空の茶屋敷」は、人と地域をつなぐ拠点として歩み始めました。その後、移住促進や外国人旅行者の受け入れへと発展していく土台が、この時期につくられていったのです。
▲古民家宿では、ヨガ教室を開催するなど、コミュニティの場にもなった(坂本さん提供)
移住者30人超の拠点から、世界中から旅行者が集まる宿へ
宿がスタートした頃、坂本さんが重視していたのは、人と地域をつなぐことでした。古民家には長期滞在できる部屋を用意し、シェアハウスのような機能も持たせていました。地域への移住に興味を持つ若者や、田舎暮らしを体験したい人たちが滞在し、地域住民との交流を深める場になっていたのです。結果として、「天空の茶屋敷」をきっかけに八女市へ移住した人は30人を超えるといいます。
こうした地域交流の拠点が、いかにして外国人旅行者が集まるインバウンド宿へと発展していったのでしょうか。
▲母屋の外観。当時の雰囲気を残し、歴史を感じる建物だ(筆者撮影)
開業して3年目、坂本さんは結婚を機に、家族を育む環境づくりを優先するようになります。かつて一人で自由に取り組んでいた頃とは異なり、移住予備軍である長期滞在者の受け入れが難しくなったそうです。短期滞在向けにゲストルームを振り分けていった結果、インバウンドの比率が伸びてきたのだろうと振り返ります。
坂本さんは開業前から海外でゲストハウスの運営に携わり、八女へ移住した後も外国人向けのお茶ツアーを企画するなど、地域と海外をつなぐ活動を続けていました。その延長線上に宿の運営があり、自ずと海外に魅力が伝わっていったのでしょう。
集客の中心はAirbnbです。また、早い段階から英語のホームページやブログを立ち上げ、宿の情報だけではなく、八女の里山やお茶文化の魅力を海外へ向けて発信してきました。
また最新情報をFacebookで英語で掲載して、英語の公式ページに連動させているので、いつでも宿のアクティブさが伝わります。また英語ページでは動画を多用することで、宿の雰囲気だけでなく山あいの茶畑のイメージも伝わり、旅行者の直感に訴えてきました。その臨場感に引かれて宿にやってくるのではと、坂本さんは言います。
加えて、宿泊客による良質な口コミやレビューが少しずつ積み重なり、Airbnbなどの宿泊予約サイトを通じて世界中から新たな旅行者を呼び込む流れが生まれていったのです。
現在の宿泊客は外国人旅行者が約8割で、欧米を中心に、香港やシンガポール、タイなどアジア各国・地域からも訪れています。東京や京都、大阪といった定番観光地を経験したリピーターも多く、日本の地方や里山文化に関心を持つ人たちが大半です。
滞在日数は1〜2泊が一般的ですが、連泊する旅行者も少なくありません。九州を周遊する旅の途中に立ち寄るケースもあれば、「天空の茶屋敷に泊まること」そのものを目的に訪れる人もいます。
次の章で説明しますが、坂本さんによると宿泊体験こそがキラーコンテンツであり、外国人旅行者に魅力となっていると言います。
▲宿から夕景の麓の里山を見渡す(筆者撮影)
なぜ世界から選ばれるのか?「お茶」と「里山」を体験化する二つのアプローチ
「天空の茶屋敷」が外国人旅行者に選ばれる理由は、大きく二つあります。一つは「お茶」、もう一つは「里山の暮らし」です。
福岡県八女市は全国有数の高級茶の産地として知られ、とりわけ玉露の生産地として高い評価を受けています。しかし、外国人旅行者にとって魅力なのは、単にお茶を飲むことだけではありません。彼らが求めているのは、お茶が育つ風景や文化、生産者の暮らしそのものです。
▲宿の脇にある茶畑で収穫体験をする海外からの宿泊者たち(坂本さん提供)
「天空の茶屋敷」では、坂本さんが英語で案内する茶摘み体験やお茶づくり体験なども提供しています。収穫した茶葉を蒸し、揉み、お茶になるまでの工程を体験することで、日本茶への理解が深まります。近年は世界的な抹茶ブームもあり、日本茶への関心は年々高まっています。坂本さんによると、抹茶をきっかけに八女茶を知り、実際に産地を訪ねたいと考えるインバウンド旅行者も増えているそうです。
▲収穫した茶葉を煎る体験会の様子(坂本さん提供)
もう一つの魅力が、里山の暮らしです。観光地を巡るよりも、宿の周辺を散策したり、縁側で景色を眺めたりしながらゆっくり過ごす人も少なくありません。地域の人との何気ない会話や、里山の空気そのものを楽しんでいます。
こうした旅行者の多くは、日本旅行のリピーターで、より深く日本を知りたい、観光地化されていない地域の日常に触れたいというニーズが背景にあります。
坂本さんは、「もともと八女の里山には価値がありました。ただ、それに世界が気づき始めただけです」と話します。お茶の文化と里山の暮らしを「体験」として丁寧に伝えることで、「天空の茶屋敷」は世界中の旅行者を惹きつけているのです。
議員1期目の挑戦。「八女茶」のブランド力を活かした、新しいインバウンドの形
「天空の茶屋敷」は、現在も多くの外国人旅行者を迎えています。しかし坂本さんの関心は、自身の宿の運営だけにとどまりません。2023年には八女市議会議員に初当選し、それをきっかけに地域全体の未来について考える立場にもなりました。
▲八女市の市議会選挙に初出馬したときの坂本さんと息子さん(坂本さん提供)
宿の運営を通じて国内外の旅行者と接してきた坂本さんは、八女市にはまだ大きな可能性があると感じています。その一つが、八女茶を単なる特産品ではなく、地域の暮らしや風景と結びつけて伝えることです。
坂本さんは「お茶を売る」だけではなく、「お茶のある暮らしや風景を体験してもらう」ことに可能性を感じているそうです。宿を運営する実践者として、そして市議会議員として。坂本さんはこれからも、お茶を軸にした地域の魅力発信と、新しいインバウンドの形を模索し続けています。
▲外国人旅行者にも注目されている茶摘み体験だが、山間部の茶畑は、後継者不足から今後の維持が危ぶまれる(坂本さん提供)
「天空の茶屋敷」から見えた地方民泊成功の条件
今回の取材を通じて感じたのは、「天空の茶屋敷」が新たな観光資源をつくり出したわけではないということです。八女に現在まで継承されているお茶づくりの文化と里山の暮らしを、現代の旅行者、とりわけインバウンド旅行者に伝わる形で編集し続けたことで、新たな価値を生み出したのです。
▲宿の玄関では残置物をインテリアとして活用している(筆者撮影)
「天空の茶屋敷」の事例からは、地方民泊の成功条件として次のような点が見えてきました。
・地域に昔からある資源を掘り起こし、価値として再編集すること
・宿泊だけでなく、その土地ならではの体験を提供すること
・お茶のような明確なテーマを持つこと
・英語での情報発信を継続し、海外との接点をつくること
・地域で暮らしながら、長期的な関係づくりを続けること
近年は、福岡空港を起点に九州を周遊する訪日旅行者も増えています。地方空港の国際化やリピーター市場の拡大は、地方民泊にとって大きな追い風になっています。
そのため「限界集落でも人は呼べる」「辺境だからこそ価値がある」といった声まで聞かれますが、実際には、地域資源があるだけで人が集まるわけではありません。
「天空の茶屋敷」も、坂本さんが長年にわたって地域で暮らし、海外との接点を築き、情報発信を続けてきた積み重ねの上に成り立っています。地方民泊の可能性は確かに広がっていますが、その実現には魅力的なコンテンツ、継続的な発信、そして地域に根を下ろして覚悟をもって取り組む「人の存在」が欠かせないことも、この事例は教えてくれます。
お茶と里山という地域資源を軸に、八女の魅力を世界へ届ける。「天空の茶屋敷」の挑戦は、これからの地方インバウンドを考える上で、多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
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