インタビュー

瀬戸内国際芸術祭はなぜ20年近く続くのか? 集客数を追わず、地域とともに育てる運営の裏側

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いまや日本を代表する国際芸術祭の一つとなった瀬戸内国際芸術祭。瀬戸内海の島々を舞台に、現代アートを通じて地域の魅力を発信するこの取り組みは、毎回100万人規模の来場者を集め、国内外から多くの観光客を惹きつけています。加えて、移住者の増加や滞在型観光への変化など、地域にも具体的な変化をもたらしてきました。

香川県交流推進部瀬戸内国際芸術祭推進課の今瀧哲之さんは、2006年に直島のアート事業と出会って以来、約20年にわたり瀬戸内国際芸術祭に携わってきました。立ち上げ期から地域住民との調整や現場運営を担い、現在も自治体・民間・地域をつなぐ実務の中核を担っています。

瀬戸内国際芸術祭はなぜ地域と共生しながら継続できているのか。そして、なぜ訪日客を含め多くの人を惹きつけ続けているのか。立ち上げから運営に携わってきた今瀧さんに、地域との関係づくり、自治体の役割、そして“文化”を地域に根付かせるための考え方や取り組みについて聞きました。

なぜ瀬戸内国際芸術祭は20年近く続くのか? 集客数を追わず、地域とともに育てる運営の裏側

 

「地域に還元される仕事がしたかった」今瀧氏が瀬戸内国際芸術祭に関わるまで

― まず、香川県庁へ入庁された経緯や、これまでのキャリアについて教えてください。

香川県生まれ、香川県育ちで、人生の99%以上を香川で過ごしています。もともとは、地元で就職したいと思い、県庁に入りました。

20代・30代は、道路や河川整備に伴う立ち退き交渉など、公共事業関係の仕事をしていました。ただ、その中で、「この事業があって良かった」と地域の方に思ってもらえる仕事がしたい、という気持ちが強くなっていったんです。

公共事業は国の制度に基づいて進める部分も多いので、もっと地域の特色を生かした、香川県独自の事業に携わりたいという思いもありました。こうした志を抱く中で、30代後半頃より、観光系の仕事を希望するようになりました。

― そこから、どのように瀬戸内国際芸術祭へ関わっていったのでしょうか。

2006年に離島振興を担当する部署へ配属されて、直島で開催されていた現代アート展「NAOSHIMA STANDARD 2」に関わることになりました。

それまで現代アートにはまったく縁がなかったんですが、実際に見てみるとすごく面白かったんです。体験型の作品も多くて、視野が広がる感覚がありました。

あと衝撃だったのは、来場者層です。「NAOSHIMA STANDARD 2」では、女性の来場者が非常に多かったことが印象的でした。体育会系の世界にいた自分にとって、アートやカルチャーがこれほど多くの人を惹きつけることは大きな発見で、 その時に、文化にはこれほど人を動かす力があるのか、と驚きました。

その後、新潟県越後妻有で開催される「大地の芸術祭」も視察しました。直島でベネッセアートサイト直島が築いてきた離島での国際的なアートへの取り組みと、越後妻有で開催されたその土地の風土を活かしたアート、その両方を見たことで、「現代アートは地域振興に活かせる」と確信したんです。

瀬戸内国際芸術祭が動き出した2007年の今瀧さんの様子(故クリスチャン・ボルタンスキー氏と)▲瀬戸内国際芸術祭が動き出した当時の今瀧さん(写真左)と、故クリスチャン・ボルタンスキー氏(同右)

 

― アートと地域振興が結びついた瞬間だったのですか?

そうですね。同時に、瀬戸内海というロケーションそのものの価値にも気づきました。普通の観光では、アクセスの不便さはマイナスになりやすいですが、現代アートの場合は、船に乗って島へ向かう時間そのものが体験になる。そこに可能性を感じたんです。

作品を見るだけではなく、瀬戸内海の風景や島に流れる独特の空気も含めて体験になる。瀬戸内の“不便さ”や“離島性”を、むしろ価値として逆手に取れるんじゃないかと感じました。

 

地域との関係づくりから始まった芸術祭の立ち上げ

― 第1回開催に向けて、最初に取り組んだことは何だったのでしょうか。

地域との関係づくりです。

2007年に、ベネッセアートサイト直島代表の福武總一郎氏から香川県へ、「直島だけでなく瀬戸内全体へ広げた国際芸術祭を開催したい」という提案がありました。そこから、県庁内での調整と並行して、各島で地域の方との話し合いを進めていきました。

私は男木島・女木島・大島などを担当していたんですが、何十回と島へ通いました。

瀬戸内海と島々を結ぶフェリー(Photo : Osamu Nakamura)▲瀬戸内海と島々を結ぶフェリー(Photo : Osamu Nakamura)

― 地域との対話で難しかったことはありましたか。

最初は、現代アートそのものへの理解を得るのが難しかったです。その価値を言葉だけで説明することにも限界がありました。だから最後は、「まずは私たちを信じてください」とお願いするしかありませんでした。

「島のためにやろうとしているので、騙されたと思って付き合ってください」と。
単発イベントとして持ち込むのではなく、「地域の未来にとってプラスになる」ということを、地域の方と共有することを意識していました。

― 立ち上げ当時、どのような状況だったのでしょうか。

開催前は、とにかく毎日現場を回っていました。

男木島では、急斜面の集落の中で空き家を借りながら、作品制作をサポートしていったんですが、開催3カ月前くらいに、全貌が見えてくると「これは多くの人の心を動かす社会的にもインパクトを与える取り組みだ」と確信していました。

 

芸術祭を支える運営体制と役割分担

― 現在の瀬戸内国際芸術祭の運営体制について教えてください。

現在は、香川県、会場となる13市町と福武財団等で構成する瀬戸内国際芸術祭実行委員会を中心に運営しています。

当初は県主導の色合いが強かったですが、回を重ねる中で、今は各市町から実行委員会への出向者も増えました。今では地域全体で芸術祭を運営する体制になっています。

自治体が主体的に関わっている地域ほど、地域との連携や受け入れ体制づくりも進みやすく、その後の地域活性化にもつながりやすいと感じています。

実行委員会事務局の様子、総合ディレクター北川フラム氏らと(Photo : Osamu Nakamura)▲実行委員会事務局の様子、写真中央は総合ディレクターの北川フラム氏(Photo : Osamu Nakamura)

― 香川県としては、具体的にどのような役割を担っているのでしょうか。

香川県は、同実行委員会の事務局の中心として、関係団体や総合ディレクター北川フラム氏らと共同で、作品制作のサポートから海上交通等の交通アクセスの整備、ボランティア管理、会場運営など、芸術祭を支える実務全般を担っています。

瀬戸内国際芸術祭といえば、華やかな作品が注目されますが、その裏側ではこうした地道な調整の積み重ねが欠かせません。

― 財源面で工夫していることはありますか。

予算規模は3年間で約14億円です。財源は自治体負担、企業協賛、チケット収入などの自主財源で構成されており、それぞれがおおむね3分の1ずつを占めています。

自治体依存だけでは長期継続は難しいので、民間や来場者も含めて“みんなで支える構造”を意識してきました。

現在は県内外の約280社が協賛企業として参加しています。

 

なぜ3年に1度なのか、空白のない術祭運営を、どう動かしているのか

― 芸術祭は3年に1度の開催ということですが、瀬戸内海の離島を舞台にするからこその開催までの道のりやハードルの高さについて教えてください。

瀬戸内国際芸術祭は春・夏・秋の約100日間開催され、毎回100万人規模の来場者が訪れます。会場は全17エリアで約250作品があり、そのうち約140点は新作です。

今瀧さんが最初に制作に関わった作品 ジャウメ・プレンサ「男木島の魂」(Photo: Osamu Nakamura)▲今瀧さんが最初に制作に関わった作品 ジャウメ・プレンサ「男木島の魂」(Photo: Osamu Nakamura)

さらに会場の多くが離島なので、作品制作だけでなく、船の運行調整や空き家活用、地域との合意形成や調整などにも時間がかかるんです。そのため、次回開催に向けた準備には最低でも2年ほどは必要になります。

現在も2028年開催へ向けて、作品保全、交通アクセスの改善、予算確保、地域調整、プロモーションなどの準備が始まっています。

“空白期間”はほとんどありません。ただ、3年空ける理由は、準備期間だけではないんです。地域に過度な負荷をかけないことも重要だと考えています。

― 瀬戸内国際芸術祭では、集客の目標を掲げていないと聞きました。それはなぜでしょうか。

「集客目標」を掲げていない理由は、「来訪者数が多ければ多いほど良い」とは考えていないからです。

会場が離島なのとアート鑑賞が目的なので、過剰に来場者が増えると、お客様の満足度が下がり、地域の方の負担も大きくなります。オーバーツーリズムになってしまっては本来の目的が損なわれてしまいます。

大切にしているのは、来場者の満足感と地域の方の納得感です。

一方で、来場者の滞在時間の長さという点では、着実な変化も見られます。 来場者アンケートを見ると、滞在日数は継続して伸びています。2025年の開催では平均滞在日数が3.26日、平均宿泊数が2.66泊で、4泊以上する方も3割ほどいます。以前の香川は「うどんを食べるために日帰りで来る場所」というイメージが強かったので、滞在型の観光地へと変化してきていると感じています。

本島での島民の方によるお見送りの様子(Photo :Shintaro Miyawaki )▲本島での島民の方によるお見送りの様子(Photo :Shintaro Miyawaki )

― 現在は、アート作品展示の通年化も進めているそうですね。

はい。会期中は約250作品が展示されますが、そのうち半分近くは会期外でも鑑賞できます。2026年からは、直島、豊島以外の小豆島、男木島、女木島、大島、引田エリア、本島、粟島でも、屋内作品の定期公開を始めています。

3年間のイメージとしては、「大祭り・小祭り・小祭り・大祭り」ですね。芸術祭の会期中だけ人が訪れるのではなく、年間を通じて地域に足を運んでもらえる環境をつくることで、一過性のイベントで終わらせず、地域に芸術祭の活動を根づかせていくことが重要だと思っています。

 

「翻訳不要」の現代アートが、呼び込んだ意図せぬインバウンド

― 当初からインバウンドを狙っていたのでしょうか。

正直に言うと、始めた時はインバウンドの集客に戦略的に取り組んでいたわけではありません。もともとは、瀬戸内海の島々や地域の魅力をどう発見してもらうか、というところから始まっています。

ただ結果として、海外からも多くの方に来ていただくようになりました。その背景には、ベネッセアートサイト直島の取り組みがすでに海外でも広く知られていたこと、そして現代美術や現代建築は見ればわかるので、言葉が必ずしも必要でなく、国や地域を超えて楽しんでもらいやすいコンテンツだったことがあると思います。

さらに、芸術祭の開始時期と高松空港の国際線拡充のタイミングが重なったことも追い風になりました。現在、高松空港ではソウル、プサン、台北、台中、上海、香港を結ぶ6都市7路線、週約40便ほどが運航されています。

なお、海外への情報発信については、欧米市場に対しては、ベネッセアートサイト直島、アジア市場に対しては香川県が中心となり、行っています。また、インバウンド旅行者が増える芸術祭会期だけでなく、会期外も通年で海外向けプロモーションを行い、継続的な誘客につなげています。

芸術祭への海外からの来場者(Photo : Shintaro Miyawaki )▲芸術祭への海外からの来場者(Photo : Shintaro Miyawaki )

― 来場者層の傾向を教えてください。

インバウンドに限らずですが、来場する現代アートや現代建築のファン層は、一般的に高等教育を受けていて、一定の収入がある方が多い傾向にあると言われていますが、地域に対してリスペクトを持って接していただくなどマナーも大変良い方が多いと感じます。

鑑賞環境や地域の暮らしへの配慮を意識して行動される方も多く、離島という環境でも比較的スムーズに受け入れができています。

地域へのリスペクトがあるので、納得したものには適切な対価を払ってくださる方も少なくありません。現在、多くの地域が、こうした滞在型・体験志向の来訪者との接点づくりを重視しているのではないかと思います。現代美術や現代建築は、結果としてそうした来訪者を引きつけるコンテンツになっているのだと思います。

年齢層も幅広く、20代から60代まで各世代が比較的均等に来ています。リピーター率も約50%前後を維持しています。

 

― 海外からのボランティア参加もあるそうですね。

期間中に約1400人(延べ1万人)ほどのボランティアが参加するのですが、そのうち約200人程は海外から来ています。8割くらいがアジア圏で、2割くらいが欧米です。若い参加者は、2週間から1カ月滞在することもあります。

彼らと話していると、単に作品を見るためではなく、アートと地域づくりがどのように結びついているのかを学びたいという想いで参加しているのを感じます。

かつてはパリやニューヨークのような都市がアートの中心地として注目されていましたが、近年は瀬戸内のように、アートを地域づくりの中で実践している現場にも関心が集まるようになっています。

実際に、そこに可能性を見出したアジアを中心とした若い世代がボランティアとして参加しているのだと思います。

― 若い世代だけでなく、研究者からも関心が寄せられていると聞きました。

はい。欧米の研究者や大学院生から「話を聞かせてほしい」と言われることが増えてきています。

アートを「地域づくりの手段として使う」という考え方は、当初は、美術関係者の方から否定的に見られることもありました。ただ最近は、“アートを地域づくりに活用する”という瀬戸内の取り組みが、研究対象としても関心を集めるようになってきています。時間をかけて、その価値が世界にも伝わり始めている感覚があります。

 

芸術祭の先にある、文化を地域に根づかせる取り組み

― 今後の観光で重要になるものは何だと思いますか。

やはり“文化力”だと思います。瀬戸内国際芸術祭が続いていくためには、当然、中身のアップデートは欠かせません。ただ、芸術祭そのものだけが魅力であっても長くは続きません。香川や瀬戸内という地域そのものが、瀬戸内海の景観や環境を守りながら、文化的な魅力を発信できるかどうかが非常に重要だと思います。

古いものの蓄積を大切にしながら、新しいものも定期的にアップデートし、創出していく。そうした積み重ねが、これからの観光における“文化力”になっていくのだと思います。

今瀧さんが制作に関わった作品 リン・シュンロン(林舜龍)「国境を越えて・潮」(Photo: Yasushi Ichikawa)▲今瀧さんが制作に関わった作品 リン・シュンロン(林舜龍)「国境を越えて・潮」(Photo: Yasushi Ichikawa)

― 瀬戸内国際芸術祭は、地域にどのような変化をもたらしたのでしょうか。

一番大きかったのは、瀬戸内海の価値を国内外に再評価させたことだと思います。

瀬戸内海は、もともと海外からも高く評価されてきた場所でした。ただ、戦後は高度成長期の公害などもあり、長い間、十分に評価されずにきた面がありました。その瀬戸内海の価値に最初に気づいて、直島のアートプロジェクトを始めたのがベネッセの福武總一郎さんで、それが瀬戸内国際芸術祭へとつながっていきました。

作品や建築が瀬戸内海の景観や暮らしの中に自然に溶け込んでいるからこそ、地域そのものへの関心につながっています。作品を見るために船に乗るという仕組みも、旅の体験として非常に大きいと思います。

そうした影響は、移住にも表れています。男木島では、人口130〜140人ほどの島に移住者が50人を超え、小中学校と保育所が再開して10年以上続いています。移住のきっかけとして、「瀬戸内国際芸術祭で来て気に入った」という声は非常に多いです。

芸術祭は、瀬戸内の離島や地域を元気にすることが目的です。観光客として訪れるところから交流人口につながり、その中から移住を選ぶ人が出てくれば理想的だと思っています。

― 瀬戸内国際芸術祭を通して、今後どんな地域を目指していきたいですか。

今後は、瀬戸内国際芸術祭だけで完結させないことが重要だと思っています。

例えば、お遍路やこんぴら参り、栗林公園など、香川には昔から地域文化の蓄積があります。現代アートを入口にしながら、県内のほか地域にも周遊してもらう流れをつくっていきたい。

最近では、世界的建築家丹下健三設計の香川県庁舎の保存や、2025年に世界で最も美しいアリーナとして、ユネスコのベルサイユ賞を受賞した建築家ユニットのSANAAが設計した「あなぶきアリーナ香川」の整備など、“文化都市”としての価値向上にも取り組んでいます。

瀬戸内国際芸術祭だけが単独で存在するのではなく、地域全体として文化的価値を積み重ねていく。その中で、香川や瀬戸内エリアが“文化のハブ”になっていければと思っています。

地方が世界と直接つながれる時代になっている中で、香川にとってその核になるのは、間違いなく“アート”と“瀬戸内海”だと思っています。

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