インバウンドコラム
世界的に観光業の再活性化が進む中、日本への注目度が著しく増している中東市場。その熱気を肌で感じられる場となったのが、2025年4~5月にドバイで開催された国際旅行博「アラビアン・トラベル・マーケット(ATM)2025」だ。過去最大規模となった今年の旅行博では、日本への関心の高まりと新たな旅行トレンドが明確に浮き彫りになった。
本レポートでは、2016年に初めて出展して以降、複数回の出展経験を持つ筆者の視点から、会場の様子や中東市場の最新トレンド、訪日観光に関する注目点、そして事業者が直面する課題と解決策について伝える。
過去最大規模で開催された中東旅行博、アジア勢の存在感も強まる
アラブ首長国連邦・ドバイにて中東最大級の国際旅行博「アラビアン・トラベル・マーケット(Arabian Travel Market:ATM)」が2025年4月28日から5月1日まで開催された。今回の旅行博テーマは「Global Travel: Developing Tomorrow’s Tourism Through Enhanced Connectivity(グローバル・トラベル:つながりの強化で切り拓く観光の未来)」。会場はドバイ・ワールド・トレード・センターで、展示ホールは13ホールに拡張。アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカなど、地域ごとにゾーンが分けられ、世界各国、地域の観光局・旅行関連企業など166以上の国、地域から約2750社が出展した。
近年では、国単位だけでなく、州や地域、都市などの単位での出展が増加しており、観光資源の個性やテーマを前面に打ち出す動きが一層活発になっていた。今回の旅行博の中でも、前年比27%増で最も出展数が増えたのはアジアであり、また、有名な観光地にとどまらず、地方への誘客を狙うプロモーションの増加が広がっている様子も見られた。
多様化する展示テーマ、トラベルテックが注目分野に
メディカルツーリズム分野では、韓国やドイツのブースで、膝関節や未病ケアといった、現地の生活習慣や疾患に特化した専門クリニックが紹介されており、健康志向や医療目的の旅行が着実に広がっていることがうかがえた。また、美容整形やアンチエイジングといった美容医療を強みにした韓国のブースも、前年に続き多くの注目を集めていた。
ホテルゾーンではラグジュアリーブランドによる豪華なブースがひときわ目立ち、ブランド力や上質なサービスを前面に打ち出した展示が来場者の関心を集めていた。
さらに、年々拡大している「トラベルテックゾーン」ではAI、ブロックチェーン、ARなどを活用した最先端の旅行関連ソリューションが多数紹介されており、旅行業界におけるデジタル化の加速が強く印象づけられていた。
ジャパンブースに熱視線、中東からの訪日ニーズが急拡大
日本政府観光局(JNTO)が展開したジャパンブースは、交通事業者、宿泊施設、DMCなど20社が共同出展し、大きさ、出展社数ともに過去最大であった。
弊社もDMCとして参加したが、2016年の初出展時とは明らかに様相が異なり、積極的に働きかけずとも、日本を目的にブースを訪れる中東の旅行事業者が格段に増えていたことが印象的だった。
▲商談スペースを広く取ったJAPANブース
実際、1日あたり百数十件に及ぶ商談の中でも「今、日本がブームになっている」「最近のトレンドは日本」といった声が多く聞かれ、訪日旅行への関心の高まりを実感することができた。
訪問地へのニーズも進化しており、定番のゴールデンルートに加え、リピーター向けの訪問地や「桜以外でお勧めの季節」への問い合わせなども増加。ジャパンブースでは、関西以西から九州にかけての“西のゴールデンルート”や大阪・関西万博の紹介も積極的に行われ、注目を集めていた。
また、ファムトリップなどの招請に頼らず、自ら視察に訪れたり、今後視察を予定しているという現地の旅行事業者が増加している点も顕著だった。さらに現地旅行会社の担当者が「周りの家族や友人が、最近日本に行った」と話す回数も以前にまして増えており、中東の人々にとって、日本がより身近な渡航先として浸透しつつあることを感じた。
進化する旅行スタイルと旅行会社、中東市場に広がる“個”の多様性
近年の旅行博では、中東の人々のライフスタイルや価値観の変化に伴う旅行スタイルの多様化により、それに対応する新しい旅行会社の登場が目立っている。弊社が実際に商談した現地の旅行事業者の中にも、従来の団体旅行や家族旅行とは異なる企画・形態を扱う企業が増えている。ここでは、その具体的な傾向の一部を紹介する。
女性だけの旅行の増加
かつては女性が単独または女性同士で旅行することがためらわれる風潮があったが、現在では女性グループや女性一人旅など、“女性だけ“の旅行も珍しくない。特に日本は、実際に訪れた旅行者から「安心して楽しめる旅先」として認識されることが以前より増えており、女性の訪日旅行への関心と需要は着実に高まっている。
男女混合グループによる旅行の登場
若年層に限った傾向はあるが、未婚の男女が同一グループで旅行を楽しむという、従来では考えられなかった形態が見られるようになってきている。
インフルエンサー主催の旅行企画が増加
SNSの影響力を活用し、インフルエンサーが自ら、フォロワーを対象としたツアーを主催、企画するケースも増加し、オリジナルな旅の提案が、世代を問わず人気を集めている。
20~30代による新しい旅行会社の起業
若い世代が、独自の価値観や世界観を基に旅行会社を立ち上げるケースも増えている。これらの会社は、旅のコンセプトが明確で、訪問先選定にも独自の指針があることが多い。最近は、同年代のみならず、40代以上の顧客からの支持も拡大しており、彼らに旅のコーディネートを依頼する例も見られる。
女性代表による旅行会社の増加
旅行に自由に出かけられなかった過去の経験をバネに、女性が自ら旅行会社を起業し、ツアーリーダーとして自ら各地を案内する例もみられ、同じ女性顧客から高い共感を得ている。
こうした新しい旅行のかたちに共通しているのは、「誰と行くか」や「どんな体験をするか」が、これまで以上に重要視されているということだ。そしてそのニーズに応える旅行会社は、旅先での訪問先選定から旅の演出までをオーダーメイドで提案できる柔軟性と創造性を持ち合わせた現地パートナーを求めている。
こうしたプレイヤーといかに接点を持ち、彼らのニーズに応える企画や情報提供ができるかが、今後の中東市場攻略の鍵になるといえるだろう。
▲様々な工夫を凝らして旅行会社にアプローチするUAEのアブダビブース
中東市場の受け入れに立ちはだかる壁、2つの課題とは
日本は従来型の旅行事業者だけでなく、前述のような新しい旅行会社にとっても、魅力的なデスティネーションとして認識されるようになった。旅行者にとっても「一度きりの日本」ではなく、前回の来日から比較的短期間で再訪するリピーターが増加傾向にある。
その一方で、構造的な課題も浮き彫りになっている。
中東地域の旅行会社とやり取りをする中で、繰り返し指摘されたのが「日本側の対応スピードの遅さ」だった。また、筆者自身の経験から、日本の観光事業者側の「中東市場への理解の浅さ」も大きな壁になっていると感じている。
中東市場に対する理解不足
地理的な距離や宗教、文化、生活様式などの違いから、中東市場を身近に感じにくく、彼らの価値観や旅行スタイル、興味関心を十分に把握できていない日本の事業者が多い。旅行者がどのような情報をもとに訪問先を選び、現地でどのように過ごし、どのような消費行動を取るのかといった具体的な傾向が掴めず、観光コンテンツ造成や受入体制整備、効果的なプロモーションに繋がりにくいのが現状だ。
また、中東市場参入の大きな懸念の一つであるハラール対応を含め、受け入れ側の日本の事業者の理解不足や誤解から「対応が難しい」と詳細を確認しないまま早々に判断されたり、当日になって対応方法が分からず、現場で戸惑いが生じたりするケースも多く、失注に繋がることも少なくない。
対応スピードの遅れによるビジネス機会の逸失
中東市場では、旅行に関する問い合わせから実施までのリードタイムが非常に短く、スピーディーなやり取りが求められる。にもかかわらず、“回答までに数日~1週間程度かかる”“提案や見積もりまでに時間を要する”“組織内での判断が多く、即決できない”といった事例が多く「なぜ日本は返事がないのか」「なぜ対応が遅いのか」という不満が、商談でも繰り返し聞かれた。このスピード感のミスマッチは、せっかくのビジネスチャンスを逃す大きな要因となっており、特に競争力の高い他国(ヨーロッパや、アジアではタイなど)と比較され「日本はビジネスをする気が無いのか?」と誤解を与えてしまう懸念もある。
▲スピード感をもって中東に積極的に仕掛けるタイのブース
中東市場の可能性と向き合うために、今できること
アラビアン・トラベル・マーケットでも実感したとおり、中東市場における訪日旅行のニーズは近年急速に拡大し、旅行スタイルも多様化している。従来のゴールデンルートに限らず、観光地化されていない地方の自然や文化、風景やその雰囲気を味わいたいという声も、確実に高まりを見せている。
その一方で、日本側の対応には依然として課題が残る。変化の激しいこの市場では、「きちんと準備を整えてから対応する」といった従来の姿勢では、ビジネスチャンスを逃しかねない。中東の旅行者は、以前にも増して自由度の高い旅を志向しているが、日本側には依然として「ムスリム対応は難しい」といった先入観が根強く残っているのも実情である。
中東市場は、訪日旅行の伸びしろや旅行消費額の面から見ても、今後の日本にとって更に重要な存在になると考えられる。弊社がこの市場に取り組み始めて10年が経過したが、その間には成功事例の一方で多くの試行錯誤や失敗もあった。そうした経験を通じて培ってきた知見を今後できる限り共有することで、新たに中東市場への参入を検討する方々の後押しとなれば幸いである。
日本全体で中東市場に取り組むプレイヤーが増え、この市場の可能性を共に広げていくために、弊社としても引き続き尽力していきたい。
株式会社ジェイ・リンクス 代表取締役 金馬(きんば)あゆみ
アルゼンチンでの日本語教師や帰国後の貿易商社での海外営業を経て、2008年に株式会社ジェイ・リンクスを設立。湾岸諸国を中心とした中東地域を主な対象とし、インバウンド事業、輸出事業、イベント事業などを手掛ける。近年は現地でのプロモーションや、現地ネットワークと現場の一次情報を生かした現地調査サポートおよびアドバイザリー業務なども行っている。
<編集部コメント>
中東旅行市場の進化に、日本はどう応えるか?
記事から読み取れるのは、旅行スタイルの進化だけでなく、その背景にある価値観の多様化と、日本側に求められる受け入れ姿勢の変化です。
中東市場は宗教や文化の違いから、日本の観光事業者にとって長らく「遠い存在」でした。そのため、旅行者の価値観やニーズに対する理解がいまだ十分とは言えません。 一方、現地では「女性のみの旅行」「男女混合グループ」「SNS発信型のテーマツアー」など、従来の常識を超えたスタイルがすでに浸透し始めています。このギャップに気づかぬままでは、日本に高まる関心が他国に流れてしまう懸念があると筆者は指摘しています。
異なる価値観を前提とした対応への難しさはありますが、今こそ、基本的な理解を深めつつ、変化を捉え、柔軟な受け入れで応えていくことが求められているのではないでしょうか。
▼関連記事はこちら
最新記事
-
ブラジル富裕層の訪日旅行は“直前・分割・旅程変更”―ILTMラテンアメリカ現地レポート (2025.06.17)
-
ITBベルリン2025で見えた世界の持続可能な観光の最前線 (2025.04.16)
-
サクラクオリティグリーン認証推進者に聞く「サステナビリティが切り開く宿泊施設の新たな可能性」 (2025.03.14)
-
飲食店のグローバルなサステナビリティの基準「FOOD MADE GOODスタンダード」の推進者に聞く、食の持続可能性と観光の未来 (2025.01.17)
-
気候変動対策の転換点、COP29が示した観光業界の新たな役割と未来 (2024.12.18)
-
災害危機高まる日本の未来、観光レジリエンスサミットが示した観光危機管理と復興のカギ (2024.11.26)
-
品川宿で交流型宿泊サービスを提供する宿場JAPAN 渡邊崇志代表に聞く「都市圏での地域を巻き込む宿泊施設と観光まちづくり」 (2024.11.15)
-
タビナカ市場最前線、国際会議「ARIVAL360」で見つけた日本のアクティビティ市場活性化のヒント (2024.10.25)