インバウンドコラム
サステナブル・ツーリズムへの世界的な関心の高まりに伴い、観光地や宿泊施設等におけるサステナブルな取り組みに関する国際的な認証への注目も集まっている。東京都と東京観光財団(TCVB)は2024、2025年度に続き2026年度もサステナブル・ツーリズムについての知識や国際基準を詳しく解説する基礎講座を、「持続可能な観光」セミナーと題して、都内の地域や観光関連事業者を対象として全4回実施する。今年度は「インクルージョン」「地域マネジメント」「フード」「環境」の4つをテーマとしてテーマごとにセミナーを開催し、サステナブル・ツーリズムの推進に資する地域や旅行事業者、宿泊施設等での取り組みや、国際的な認証の仕組みなどについて詳しく解説する。
第1回は「誰もが楽しめる観光を実現する『インクルージョン』の推進」と題し、観光において障害や高齢、LGBTQ+など多様な背景を持つ人への配慮や対応を行う「インクルージョン」の重要性をテーマに、2026年8月3日に開催した。株式会社STYZ(スタイズ)CEO補佐/デザインリサーチャーの佐藤徹氏が、インクルージョンの概念と具体的な取り組みについての講演を行った。続いて、株式会社JTB ツーリズム事業本部・全社ユニバーサルツーリズム推進担当マネージャーの関裕之氏がユニバーサルツーリズムの市場について講演を行った。本記事では、セミナーで語られたポイントを紹介する。
▲左:株式会社STYZ 佐藤徹氏、右:株式会社JTB 関裕之氏
欧州で進む「グリーンウォッシュ」への規制強化
最初に、サステナブル・トラベルに特化した旅行会社のTricolage株式会社でサステナブル・トラベル・マネジャーを務める藤田愛和氏から、持続可能な観光に関する基礎的な説明が行われた。藤田氏はサステナブル・ツーリズムの定義を「現在及び将来の経済、社会、環境への配慮を十分に考慮する観光」と説明し、経済、社会、環境の3つの側面をバランスよく考慮することの重要性を強調した。
続いてBooking.comが2025年に行った「サステナブル&トラベル」に関する調査結果を引用し、「混雑を回避した旅行の広がりなど、全世代の旅行者の意識が変化しており、国際認証の利用も拡大している」と藤田氏は述べた。その背景に、グリーンウォッシュ(「エコ」「環境に優しい」などの抽象的な言葉で環境に配慮したように見せかける、実態や根拠が伴わない行動や表現)に対し、欧州では消費者の警戒心の高まりがあると指摘した。
2026年9月から、欧州では「グリーン移行のための消費者エンパワーメント指令(EmpCo指令)」によりサステナビリティに関する規制が強化され、根拠のない「エコ」などの実態を伴わない宣伝(グリーンウォッシュ)や、審査基準が不透明な認証の使用が禁じられることも示された。藤田氏は「第三者機関による公的認証ラベルが信頼されるようになる。こうした動きは、少なからず日本にも影響を与えるのではないか」と説明した。
参考:グリーンウォッシュとは
一般社団法人 国際自然保護連合日本委員会(IUCN-J)サイト
インクルージョンとは、それぞれの当事者に合った選択肢と機会の拡張
基調講演を行った株式会社STYZの佐藤徹氏は、インクルージョンの本質的な定義と、インクルーシブな取り組みを阻む「構造的な壁」について解説した。
佐藤氏は医療系大学院を卒業後、医療機関での勤務を経て、現在はコンサルタントとして建築や空間のインクルーシブデザインの支援を行っている。具体的取り組みとして、ろう者・視覚障害者が楽しめる博物館の展示体験の設計支援、ホテルの医療的ケア児の受け入れ支援などを行っているという。
撮影場所:WeWork 渋谷スクランブルスクエア
佐藤氏は身体的・精神的障害、高齢、LGBTQ+など幅広い多様性を持つ人への、観光における対応について、「すべての人に優しい体験」という曖昧な概念ではなく、具体的な当事者を明確にし、その人が見通し(予測可能性)を持てるようにすることの重要性を強調した。
それには受け入れる側と旅行者の建設的対話が必要で、対話の基礎となるのが双方の情報・知識・経験の共有であると説明。これらを踏まえ、インクルージョンの定義は「すべての人に同じ体験を提供することではなく、それぞれの当事者に合った選択肢と機会を拡張すること」と述べた。
インクルーシブ化を阻む「5つの壁」と対応策
事業者がインクルーシブ化に取り組む際、どのような点が壁になるのか。佐藤氏は自身の経験をもとに、「平均的モデルへの依存」「ハード整備への依存」「『配慮』の属人化」「利用者の『遠慮』と潜在化するニーズ」「『インクルージョン=コスト』という誤解」の5つを挙げた。
まず見直すべきなのが、サービスや施設を設計する際に、無意識のうちに「標準的な利用者」を想定してしまうことだ。成人男性などを基準とした身長・体重や、異性愛のペアなどを前提にすると、内部障害や発達障害、ジェンダーなど、目に見えにくい多様性が見過ごされる可能性がある。佐藤氏は「自分たちの設計は誰を標準にし、誰を排除しているか、まずは現状把握すること」を勧める。
また、エレベーターや多目的トイレなどの設備を整えても、その情報が必要な人に届かなければ利用にはつながらない。ハード整備とともに情報発信を充実させ、利用者自身が判断できる環境をつくることが重要だ。
スタッフの「配慮」に頼りすぎることも課題となる。特定の「気が利くスタッフ」だけが対応できる状態では、組織としてサービス品質を安定させることが難しい。必要な対応を日常の業務フローに組み込み、誰もが迷わず対応できる仕組みにすることが求められる。
一方、利用者側が「断られるかもしれない」「迷惑をかけるかもしれない」と相談をためらい、ニーズが表面化しないこともある。予約フォームに配慮の必要性を確認する項目や自由記述欄を設けるなど、利用者が自ら要望を伝えやすい環境をつくることも一つの方法だ。
さらに佐藤氏は、インクルージョンへの投資を「特定の人のためのコスト」と捉えることにも注意を促した。その例として挙げたのが、道路と歩道の段差をなくす「カーブカット」だ。車椅子ユーザーのための整備が、ベビーカー利用者や高齢者などにとっても利便性を高めるように、特定の人に向けた対応が幅広い顧客の体験向上につながることもある。こうした波及効果まで含めて費用対効果を捉えることが重要だとした。
完璧に対応できなくても、まずは『できること・できないこと』を伝える
すべてのニーズに完璧に対応できなければ、インクルーシブとは言えないのだろうか。佐藤氏は「完璧に対応できないから情報を出さないのではなく、不完全な点も含めて現状を適切に見える化することが重要」と強調した。
例えば、情報公開の表現として「バリアフリー対応」「車椅子利用歓迎」といった表現では、利用者が実際に利用できるかを判断することは難しい。そこで「入口に段差がある」「エレベーターがある」「客室の浴槽に手すりはない」「多目的トイレは1階にある」など、設備や環境について具体的に伝える。対応の可否を一律に示すのではなく、判断材料となる情報を提供し、利用者が選択できるようにすることが重要だ。
佐藤氏は、観光事業者側もインクルージョンの当事者であり、物理的・経営的制約や、対応への心理的・責任的不安を抱えていると指摘した。一つの事業者ですべてを完結させようとするのではなく、既存の設備や資産を活用しながら、地域や他施設との連携によって不足する機能を補うことを提案した。
ユニバーサルツーリズムの対象となり得る層は幅広い
続いて登壇した関裕之氏は、ユニバーサルツーリズム推進の意義とマーケットについて説明した。
関氏は大学時代にイギリスの重度障害者施設での介護スタッフ経験を経て、JTBに入社。バリアフリー旅行専門部署などを経て、2012年からJTBグループのユニバーサルツーリズム推進を担当している。
撮影場所:WeWork 渋谷スクランブルスクエア
関氏はユニバーサルツーリズムの対象者として、①移動に不自由のある人(杖・車椅子利用者、ベビーカー利用者、妊婦、高齢者)、②コミュニケーションに不自由のある人(聴覚・知的障害者、外国人)、③外見からはわかりにくい不自由のある人(聴覚・知的・内部障害者)を挙げた。
日本におけるユニバーサルツーリズムの対象となり得る層について、関氏は、高齢者が約29%、障害者手帳保持者が約7%、発達障害のある方が約10%、妊産婦・乳幼児が約3%、LGBTQ+や性的マイノリティが約8%と紹介した。これらには重複する人も含まれるが、各割合を単純合算すると約57%となり、対象となり得る層が幅広いことがわかる。
また、「対象者の約80%が2名以上で旅行するというデータもあり、大きなマーケットと言える」と関氏。令和5年度の旅行費用平均額と高齢者と障害のある方の現状と潜在的市場規模をかけてマーケットを推計したところ、旅行環境を整えることで約2兆2000億円の市場規模になる可能性があると説明した。
また、2025年の訪日外国人客で6割強を占めた中国、韓国、台湾、シンガポールで急速な高齢化が進行していることを指摘し、受け入れ環境整備によりアジアのシニアマーケットの拡大も可能であると述べた。
ユニバーサルツーリズムの基本は、利用者との対話
では、実際にユニバーサルツーリズムに取り組む際には、何から始めればよいのか。関氏が重要なポイントとして挙げたのが、「ヒアリング」「情報提供」「フィードバック」(建設的対話を通じた合意形成)の3つだ。
まず、顧客の障害の状況や要望を丁寧に聞き、どのような配慮が必要なのかを確認する。次に大切なのは、「旅の目的」を知ることだ。旅の本当の目的や想いを理解できれば、その人に合った柔軟な提案につなげることができる。そのうえで、顧客自身が施設やサービスの利用可否を判断できるよう、必要な情報を具体的に提供する。施設単体ではなく、移動を含めた一連の動線全体について、バリアやバリアフリー情報を伝えることが重要になる 。
そして、事業者が「できること」と「できないこと」を提示して、そのうえで双方が対話を通じて、利用方法や条件について合意形成を図ることが、ユニバーサルツーリズムの実践につながるという。
JTBでは、こうした考えを実践するため、社内向けガイドブックを作成し、社員の理解促進を行っている。また、サステナブル・ツーリズムの特設サイトでは、「手話通訳付きリモート相談」や「ユニバーサルツーリズム」の取組みを紹介している。
同サイト内の「ユニバーサルツーリズム」のページでは、介護技術と旅行業務の知識をもつ「トラベルヘルパー」や「海外透析治療手配」など、外部パートナーのサービスを紹介している。「自社で全てを担うのではなく、外部のパートナーと連携することも大切」と関氏は述べた。
佐藤氏と関氏の講演に共通していたのは、すべてを自社で解決する必要はないという考え方だ。まずは自社で「できること・できないこと」を具体的に情報開示し、利用者と対話する。そのうえで、足りない部分を地域や外部サービスとの連携で補うことが、誰もが楽しめる観光の実現に向けた第一歩となる。
<関連リンク>
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